海岸寺と、小平市八小遺跡と ~東京都小平市の寺院・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2021年1月下旬の小金井・国分寺方面散策の続き。

 

西武新宿線花小金井駅から鈴木街道小金井街道を通り、「小金井公園」「玉川上水」「秋葉神社」「行幸の松」と回った後は、「海岸寺」に向かいました。

 

 

花小金井駅・小金井公園・玉川上水・秋葉神社のレポ

 

 

 

 

 

玉川上水沿って旧五日市街道を西に進むと、右手にお寺が見えて来ます。

 

 

 

 

こちらは、「海岸寺」。海は近くにないのに、海岸寺!?

この地はもともと江戸南泉寺の抱地で、宝林庵という小庵がありましたが、享保年間にこの地一帯に移住した農民の熱心な要望により、元文元年(1736)越中(現 富山県)の国泰寺の末寺で武蔵国秩父郡三峰山境内にあった海岸寺を引寺して成功したものです。

 

 

 

元文4年(1739)江戸濟松寺の末寺となり、同寺7世頑石慧堅禅師を中興開山として、瑞雲山海岸寺の基を確立し、濟松寺の弟子だった円備首座の遺金を基金として、天明3年(1783)本堂が建立されました。

 

 

 

門前左側には、馬頭観世音と刻まれた石碑があって…

 

 

 

 

その横には、庚申塔が…馬頭観音とともに、庚申信仰の深さを感じます。

 

 

 

 

門前右側の樹木の根元には、石碑があって…

 

 

 

 

この石碑は、「小金井桜樹碑」。

武蔵野の名勝地8か所を紹介する「武埜八景」を著し、その中で「金橋櫻華」として小金井桜を選んだ江戸時代の漢学者大久保挟南が、武蔵野新田世話役の川崎平右衛門定孝の桜植樹の功績や、桜の花による玉川上水の解毒作用などを誤りなく後世に伝えるため、平右衛門の孫などと図って建立を計画したものです。

 

 

 

碑は文化7年(1810)に完成しましたが、碑文を書いた挟南は碑の完成を見ることなく、前年に没しました。

かつては現在の位置より約100m東の秋葉社の前にありました。

 

 

約100m東の秋葉社の前にあったということは…

前回レポの「秋葉神社」の前にあったということなんですね。

 

 

秋葉社のレポ

 

 

 

 

 

この由緒書きの右側には、「武埜八景」の「金橋櫻華」挿図が掲示されていて…

 

 

 

 

参道を進み、山門。

 

 

 

 

山門脇には、由緒書きがありました。「海岸寺山門」。

総ケヤキ造りで、本柱の前後に2本ずつの控柱を伴う四脚門で、鎌倉時代の禅宗様の建築様式が取り入れられたこの山門は、本堂と同じ天明3年(1783)頃、鈴木新田の大工の家に寄寓していた渡り大工が作ったものと言われています。

 

 

 

本柱上の枠組み、破風流れの屋根構え、茅葺は近隣には類例のない珍しい貴重な建物と言われています。

現在はわずかにその痕跡をうかがうことができるだけですが、天井板には、黒雲を割って天翔る龍の絵が描かれていました。

 

 

 

山門の天井板を見上げて…ちょっと分かならいですね…汗

 

 

 

 

山門脇には、ありがたいお言葉が!

「人間は 自分に都合のいい人を 良い人だといい 時分に都合のわるい人を 悪い人だという」

 

 

 

 

山門をくぐって…

 

 

 

 

石灯籠。

 

 

 

 

本堂。

 

 

 

 

地面を見ると…見事な霜柱が!確かに、寒かったからな…汗

 

 

 

 

多宝塔。

 

 

 

 

境内には、小さめの御堂もあって…

 

 

 

 

観音さまとお地蔵さま。

 

 

 

 

六地蔵。

 

 

 

 

馬頭観世音。

 

 

 

 

三界萬霊。

 

 

 

 

古そうな石仏も…昔の墓石のようです。

 

 

 

 

こちらにも…

 

 

 

 

海岸寺」のお参りを終えて、参道を下って…

玉川上水のある旧五日市街道沿いには、高木が植えられていました。

 

 

 

 

 

玉川上水に沿って、旧五日市街道を更に西に進みます。

 

 

 

 

 

貫井橋交差点を右折。北に向かって、鈴木中通りを進んで行くと、左手に案内看板が

あるスペースが見えて来ます。

 

 

 

 

この案内板は、「小平市八小遺跡」という由緒書きでした。

昭和44年(1969)1月、当時八小の職員だった鱒渕清之さんが発見した竪穴式住居址で、同年3月、当時東京都武蔵野郷土館の考古学担当主事だった吉田格さんの指導の下、東京学芸大学の考古学研究部によって発掘調査が行われ、土師器(素焼きの土器)や坏(皿型の土器)、甕や砥石の破片などが発見されました。

 

 

 

これらの遺物から、遺跡は奈良時代に属する建物の跡と思われ、昭和49年(1974)に発見された鈴木遺跡とともに郷土の歴史を知る貴重な資料です。

 

住居跡は上屋が復元されていましたが、老朽化した為、平成17年(2005)に埋め戻され、約40cm盛られた覆土の上に石列で住居址の位置が表示されています。

 

 

 

由緒書きの奥には、更地の空間が広がっていて…

中央付近に「八小遺跡」のプレートと、石列のようなものが見えました。上屋が撤去されたのは、淋しいな…

 

 

 

 

小平市八小遺跡」は、小平市立小平第八小学校の敷地の一角にあります。それで「八小遺跡」と呼ばれるんですね。

 

 

 

 

海岸寺」をお参りし、「小平市八小遺跡」を見学した後は、「鈴木遺跡資料館」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

海岸寺

東京都小平市御幸町318

 

 

小平市八小遺跡

東京都小平市鈴木町1-355

 

 

 

 

 

 

 

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