金剛寺と、中武馬車鉄道 森下駅跡と ~旧青梅街道 ~東京都青梅市の寺院・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

九州下町おやじの珍道中

下町おやじが、愉快に美味しく楽しく過ごす九州。
よかとこやね~九州は♪大好きバイ(^^)

20208月15日の羽村・青梅・奥多摩散策の続き。

 

旧宮崎家住宅」を見学した後は、「釜の淵公園」から旧青梅街道を進んで、「金剛寺」に向かいました。

 

 

旧宮崎家住宅のレポ

 

 

 

 

 

釜の淵公園」から「柳淵橋」を渡って路地を進み、国道411号線を北側に横断し、また路地に入ります。

釜の淵公園」からも坂道になっているのですが、入った路地の北側も坂道になっていて、それも段が付いているんですよね。多摩川の河岸段丘のようです。

 

 

 

 

坂道とその奥の石段を上ると、天ヶ瀬通りに出るので、そこを左折。しばらく西に進むと右側に天ヶ瀬グラウンドが見えて来るのですが、その脇に、石碑が3基並んでいました。

 

 

 

 

右から、道路改修記念碑。

 

 

 

 

中央に、馬頭観音でしょうか、庚申塔。かなり風化していますね…

 

 

 

 

左も庚申塔でした。こちらも、かなり古そうです…

 

 

 

 

石碑の脇には、由緒書きを刻んだプレートが…

ここより西方約30mの場所に祀られていたものを、東京都の道路拡幅事業によりここに異祀されたものになります。

 

 

 

 

天ヶ瀬グラウンドの角を右折。北に坂道を上って行くと、左側にお寺があります。こちらは、「金剛寺」。

 

 

 

 

門をくぐると、広場のような、駐車場のような空間が広がっていて、参道を進むと、山門が見えて来ました。

 

 

 

 

由緒書き「金剛寺表門」。

真言宗豊山派青梅山無量寿院金剛寺は、平将門の創建と伝えられ、元享年間(1321~1324)に再興され、三田氏、小田原北条氏の帰依を得た古刹。

この表門は、天保2年(1831)の火災の際に、金剛寺の諸堂宇の中で唯一焼失を免れた建造物です。

 

 

 

明治初期の街区整理により現在地に移築され、その際に屋根、礎盤(石造または木造の繰形を呈する柱と礎石の間に据えるもの)等が改変されていますが、旧状をよく保っており、建立されたのは17世紀前半か中頃と推定されています。

 

 

平将門ゆかりの寺院か~♪

 

 

 

表門をくぐると、右手にも立派な門があって…

 

 

 

 

参道を進みます。

 

 

 

 

由緒書き「金剛寺の青梅

平安時代に活躍した平将門の伝説を持つ古木ですが、現在では老衰期にあります。

この梅は、季節が過ぎても黄熟せず、落実まで青い為「青梅(あおうめ)」と称され、青梅市の名称もこれにより名づけられたと言います。

植物学的には突然変異であるとされ、滝上氏所有の梅もこの種の「青梅」だと言われています。

 

 

 

青梅市の由来は、この「青梅」だったとは…知らなかった…

 

 

 

その「青梅」は、こちら。

 

 

 

 

青梅」の根元には、文字を刻んだ石碑がありました。歌碑のようです。

 

 

 

 

本堂。

 

 

 

 

本堂に近づいて…

 

 

 

 

本堂に向かって左手前の御堂。観音堂だそうです。

 

 

 

 

本堂に向かって左手奥にも御堂があります。

 

 

 

 

その御堂に近づいて…こちらは、大師堂になるようです。

 

 

 

 

大師堂の横には、古そうな石仏が並んでいて…

 

 

 

 

お地蔵様。

 

 

 

 

本堂から表門に戻ります。すると、大きな石碑があって…

 

 

 

 

この石碑は、「青梅句碑」。「青梅や またこのさきも いくちとせ 好々居臼左

好々居臼左は本名を横川 好(よしみ)といい、明治初期の多摩地方俳諧宗匠として重きをなした人。この碑は、明治28年(1895)年5月に、当時金剛寺住職であった杉本亮誉師をはじめとする好々居社中40数人の手によって建てられたもので、碑の裏面にそれらの人々の氏名が刻まれています。

 

 

 

 

多宝塔。

 

 

 

 

弘法大師もいらっしゃって…

 

 

 

 

鐘楼。

 

 

 

 

梵鐘の由緒書き。「金剛寺銅鐘」。青梅市指定有形文化財。

中世末以来、多摩郡の鋳工として著名な横川村(現 八王子市横川町)加藤鋳物師集団による作品で、寛文6年(1666)寄進されたもので、銅鐘に陰刻された金剛寺縁起は、青梅地名伝説と将門伝承説話を伝える最古の文献として評価することができます。

 

 

 

寄進者には、青梅市をはじめとする山の根諸村支配の代官であった高室四郎左衛門尉昌直(昌久)を筆頭に18人の名が刻まれ、草創期の青梅村の治政者と集落形成の有力者との結束意識をうかがうことができます。

 

 

 

その梵鐘に近づいて…

 

 

 

 

金剛寺」から、門前の道路を更に北に進むと、国道411号線に突き当たるのですが、そこには、「おかざきリカーステーション」というお店があります。

 

 

 

 

お店の脇には、何故か、駅名標が!ここは「おかざき」!

駅名標の下には、「此処に駅有りき」という石碑もあって…その台石には、「中武馬車鉄道 森下駅跡」とありますので、駅の跡地なんですね~だから駅名標があるんですね♪

ここ青梅には、馬車鉄道が走っていたのですね。

 

 

 

天ヶ瀬グラウンド脇の庚申塔」「金剛寺」をお参りし、「中武馬車鉄道 青梅(森下)駅跡」を見学した後は、「旧稲葉家住宅」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

庚申塔

東京都青梅市天ヶ瀬町(天ヶ瀬グラウンド前)

 

 

 

金剛寺

東京都青梅市天ヶ瀬町1032

 

 

 

中武馬車鉄道 森下駅跡

東京都青梅市森下町498(おかざきリカーステーション)

 

 

 

青梅街道をゆっくり散策

 

 

新皇 平将門

 

 

 

にほんブログ村 福岡(市)・博多情報

https://localkyushu.blogmura.com/fukuoka_town/ranking.html?p_cid=10197823

↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!

 

 

人気ブログランキング

https://blog.with2.net/in.php?819555

↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!

 

 

Trip-Partner [トリップパートナー]

https://trip-partner.jp/

 

 

ぷらたび

https://platabi.com

 

 

やっぱり、もんきゃを聴きたい♪「MONSTER CAT'S」 WOMAN