2020年8月15日の羽村・青梅・奥多摩散策の続き。
「宗建寺」「馬頭観音」をお参りし、多摩川の河畔に整備された「釜の淵公園」を進んだ後は、「旧宮崎家住宅」に向かいました。
宗建寺・馬頭観音・釜の淵公園・多摩川のレポ
「鮎美橋(あゆみばし)」を渡り、「釜の淵公園」に入って左に進むと、「青梅市郷土博物館」があるのですが、その手前に、覆いをかけられた大きな樽のようなものがありました。
この樽は、「醤油用仕込み樽」。直径約190cm、深さ約170cm、容量4,240リットル(約23石5斗)。
「醤油用仕込樽」に近づいて…
その隣には、丸太を載せた台車がありました。
こちらは「荷馬車」。
青梅市域で使用され始めたのは明治10年頃と言われ、明治時代から戦前にかけて木材や砂利など物資の輸送手段の主流を占めていました。
車輪の数は初めは二輪でしたが、その後、四輪が使われるようになり、多くの荷物を運べるようになりました。
明治27年、青梅鉄道(現JR青梅線)が開通すると、各駅に物資を運ぶ手段として荷馬車による輸送が盛んになりましたが、戦後、道路が整備され、トラック輸送が主流になるにつれて、荷馬車は姿を消して行きました。
由緒書き「河岸段丘崖の湧き水と水車」
多摩川は、奥多摩渓谷から青梅周辺になると蛇行も緩やかに大きくなり、河岸段丘の発達が顕著となり、博物館周辺は、南の草花丘陵(長淵丘陵)と北の加治丘陵(霞丘陵)との間を流れて行きますが、上位から青梅面、竹ノ屋面、天ヶ瀬麺、千ヶ瀬麺、林川寺面、郷土博物館面の合計六段に大きく分類され、これらの河岸段丘の崖には、各所に湧き水が見られます。
由緒書き「堺橋の石材」
おっ!この「堺橋」は、今回の散策で「境橋跡」を見学して来ましたね~その石材がここに移設されたのですね。
境橋跡のレポ
その由緒書きの近くにある石材。こちらが堺橋の石材のようです。
斜面には、たくさんの墓石が並んでいて…
これらは、「青梅宿の旧家・池田家の墓碑」。
これらの展示物の右手には、茅葺屋根の建物があるんですよね。
こちらは、「旧宮崎家住宅」。立派な建物ですね~
「旧宮崎家住宅」の前には、力石があります。
ここにある2つの石は、青梅市成木の安楽寺、軍茶利堂の庭にあったもので、重さは38貫目(143kg)、32貫目(120kg)。
その由緒書きの下には、大きな石があって…
2つ目。大きさと言い、形と言い、力石ですね~
「旧宮崎家住宅」を別角度から…
建屋の中に入ると、土間に、いろいろな器具・道具が置かれていました。それも昔の道具ですね~♪
石臼に…
唐箕も!
座敷に上がると、囲炉裏があって…
神棚も大きくて、立派だな~
座敷の棚には、重箱やお櫃などもあって…
天井を見上げると、屋根裏がむき出しで、大木の梁が!見事!
奥の座敷に進んで…床の間もありますね~♪
障子。
奥の部屋に進んで…
そこには、昔の箪笥が!
おお!糸車も!養蚕業も盛んだったのでしょうね。
「旧宮崎家住宅」の見学を終えて、外に出て…
あら?こちらが正門やったん?笑
ここ「旧宮崎家住宅」は、航海時間は10時から17時。休館日は月曜日(祝日の場合はよく平日)と年末年始。入館は無料です。
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旧宮崎家住宅は、建築様式から一般的な農民の家として、19世紀初頭に建てられたと考えられています。「広間型」と呼ばれる古い型式の間取りを持っていることや、この地方独特の杉皮と茅を交互に混ぜる屋根の葺き方が特徴的な古民家です。
元々は北小曾木村(現在の青梅市成木8丁目夕倉地区)にあった住宅ですが、昭和52(1977)年に所有者の方より青梅市へ建物が寄贈され、昭和53(1978)年1月に国の重要文化財に指定されました。昭和53(1978)年4月から昭和54(1979)年6月までの工期で郷土博物館の隣地へ移築復元工事が行われ、現在は一般に公開されています。(青梅市郷土博物館HP)
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貴重な歴史的建造物を見学できて、ホント、良かった~♪
「旧宮崎家住宅」を見学した後は、「釜の淵公園」から旧青梅街道を進んで、「金剛寺」に向かいました。
その様子は、また後日。
旧宮崎家住宅
東京都青梅市駒木町1-684(釜の淵公園内)
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