2019年2月15日の長崎散策の続き。
「風頭公園」の「坂本龍馬の像」を見学し、「上野彦馬の墓」と「風頭神社」にお参りした後は、「唐通事 林・官梅家墓地」に向かいました。
風頭公園・坂本龍馬の像・上野彦馬の墓・風頭神社のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12555166846.html
「上野彦馬の墓」の横、「風頭神社」の向かい側に、「唐通事 林・官梅家墓地」があります。
古そうな墓石がいくつも並んでいますね~
「唐通事 林・官梅家墓地」の由緒書き。福建省福州府福清県出身の林公琰が日本に渡来し、大村藩の森氏の娘と結婚し、生まれたのが林道栄で有名な大通事となりました。
その子林三郎兵衛が早く死んだので、孫の林勝五郎の後見として官梅三十郎をつけました。
官梅三十郎は平井仁右衛門の子で三郎兵衛の娘婿です。
三郎兵衛の子が林家を継ぎ、三十郎の子孫が官梅家となりました。
両家の墓は、向かって右側が林家、左側が官梅家となっています。
林家が一時、鹿児島に行き、断絶したようになったのを、游龍彦十郎が林道三郎を立てて、林の本家を継がせようとしたときは、もう幕末が迫っていました。
「唐通事 林・官梅家墓地」を正面から。
向かって左側の官梅家の墓石。
向かって右側の林家の墓石。
官梅家の奥の方の墓石も…。
林家の奥の方の墓石にも…。
一番後ろ側にある墓石。
「唐通事 林・官梅家墓地」のすぐ近くには、「阿蘭陀通詞 加福家墓所」もあるんですよね。
上から「阿蘭陀通詞 加福家墓所」全体を見渡して…。
「阿蘭陀通詞 加福家墓所」と刻まれた石碑。
「阿蘭陀通詞 加福家墓所」の由緒書き。加福家は代々阿蘭陀通詞を継承した家柄で、始祖加福吉左衛門は初めポルトガル語の通訳として勤めていましたが、ポルトガル人の国外退去に伴って、オランダ通詞と移行しました。
寛文4年(1664)小通詞となり、寛文8年(1668)に大通詞に就任しています。
阿蘭陀通詞の大役である江戸番通詞も務めましたが、元禄2年(1689)江戸参府の際、72歳で没しました。
加福家は、吉左衛門を含め、明治維新に至るまで9代にわたって阿蘭陀通詞を務めていて、3代加福喜七朗、4代加福喜蔵、5代加福安次郎、6代加福新右衛門が年番大通詞に就任しています。
墓地内には、大小合わせて29基の墓碑がありますが、中には寛文年間の墓碑もほぼ原型のままで残っていることもあり、大変貴重です。
阿蘭陀通詞・加福家の墓石に近づいて…。
大きい墓石と小さい墓石とがありますが…。
横の方にも…。
こちらの墓石は女性のもののようですが、寛文12年(1672)の銘があります。
こちらは、男性のもの。ハッキリとはしていませんが、延宝6年(1678)の銘がありました。
こちたは、比較的新しいのようですが…。立派な墓石ですね。
「唐通事 林・官梅家墓地」「阿蘭陀通詞 加福家墓所」とお参りした後は、風頭山を下って行きました。
その様子は、また後日。
唐通事 林・官梅家墓地
長崎県長崎市伊良林3-4
https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000695.html(長崎市HP)
阿蘭陀通詞 加福家墓所
長崎県長崎市伊良林3-4
https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000589.html(長崎市HP)
風頭公園(かざがしらこうえん)
長崎県長崎市伊良林3-6
https://www.city.nagasaki.lg.jp/sumai/630000/632000/p010403.html(長崎市HP)
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