2019年5月4日に、大分県杵築市歴史散策の続き。
「杵築レトロ館」から「青莛神社」をお参りした後は、「杵築城」に向かいました。
杵築レトロ館と、青莛神社のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12492503407.html
「法政大学創立者顕彰碑」のすぐ近くには、立派な門があります。お城に近づいて来た感じがしますよね。
門をくぐると、古い石塔があって…。こちらは宝篋印塔。室町時代のもので、阿弥陀寺というお寺にあったもののようです。
その隣には、享保9年の銘がある庚申塔があって…。
享保4年の文字庚申塔。「青面金剛塔」とありますね。
石塔が随分とあるな~何故?と思っていると、こんな案内板が!
「杵築市指定文化財 城山公園石造物群」
この地方の石造文化財の内、代表的なもの、祀る人のないもの、盗難破損の恐れのあるもの、保護管理を委託されたもの、170余基を集めたのですね!
敬老記念碑。明治100年記念に建てられたものなんですね。
こちらは「孝子兵吉碑」とありますが…。
この石碑の由緒書き「孝子 魚町 万力屋 兵吉」。
貧困の家に生まれ、老母を抱えて孝子の誉れ高く、その行状は孝女初とともに、三浦梅園の愉婉録に記されていて、安政10年没。正覚寺に葬る、とありますので、孝行息子・魚町の万力屋の「兵吉」という人物の顕彰碑になるのですね。
その隣には「孝女初碑」という石碑が…。
この石碑の由緒書き「孝女 紺屋町 小松 はつ」。
幼くして父と死別し、行商賃稼ぎを以って老病の母に孝養を尽くし領主の恩賞を受けること数度、孝女名は幕府にも達していたんですね…。文化14年没。正寛寺に墓あり、とありますので、孝行娘・紺屋町の小松初の顕彰碑になる訳か…。
その隣には、大きな石碑があって…。こちらも顕彰碑のようですね。
この石碑は、大正11年に建立された、杵築藩士として幕末国事に奔走した勤王の志士「小串邦太 小串為八郎 兄弟の碑」。
こちらも顕彰碑のようです。
この石碑は「功績記念碑」。北浜塩田を創築した、伊予国垣生村の中矢勘太郎氏の功績を称えるものなんですね。
享保9年の石仏。
同じく享保9年の庚申塔。
南北朝時代の宝篋印塔。
室町時代後期の石像塔5基。
室町時代後期の国東塔。
享保6年の石幢六地蔵。
江戸時代末期の供養塔(筆塚)もあったり…。
室町時代末期の一石五輪塔と石仏龕もあって…。
室町時代中期の一石五輪塔って、一つの石を削り出して五輪塔を製作したものなのか~スゴい!
この城山公園石造物群のある場所は、半分くらいは整備中のようでフェンスが設置されているんですが、そのフェンスの奥にも、数え切れないくらいの石塔が!
こちらのフェンスの奥にも!おびただしい数の石塔があるんですね、本当に…(^^;
この五輪塔も古そうです。
奥にも弘法大師立像や地蔵像・供養塔、阿弥陀石仏があって…。
ここにも、五輪塔が…。
これだけ石塔が集められているのは、本当にスゴい!でも、数があり過ぎて、逆に怖いような、不気味な雰囲気もありましたけど、石碑や石塔好きの下町おやじにとっては興味津々。興奮しながら、見て回りましたよ♪
「その2」に続く。
杵築城
大分県杵築市杵築16-1
https://www.kit-suki.com/tourism/index.php?action=story&sub_cat_id=1#229(杵築市観光協会HP)
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