2018年11月3日の唐津くんち見物の続き。
「旧大島邸」の続き。
旧大島邸(その3)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12492848869.html
「旧大島邸」の離れの茶室から母屋に戻って来ました。床の間のある6畳間。
釘隠しは、楓・紅葉で、黒地に金色というのがまた、手が込んでいますね~♪
6畳間の隣の8畳間に移動して…。
この8畳間には、神棚を置く空間がありました。
その隣の8畳間。
この座敷には、仏壇がありますので、仏間になりますね。しかし、豪華な仏壇だな~特注だそうで、地袋の襖絵も素晴らしい!
仏壇横の天袋・地袋付の障子戸もまた、趣があるな~♪
天袋の襖絵もまた見事!
豪華で、お金がかかっているのが、よく分かります!
その横の床の間。床柱がスゴい!
その横の襖絵も、スゴい!
その横には、障子とガラス戸があって…。
仏間から、先程の8畳間の隣の8畳間に移動して…。階段がありますが、上階には上がれず…。
この座敷には「竹内明太郎(たけのうちめいたろう)」の由緒書きがありました。
現在、旧大島邸が建っている場所は、明治19年(1886)から大正11年(1922)までの36年間、竹内明太郎が住居を構えていました。
竹内明太郎は、土佐藩の支藩宿毛領(現在の高知県宿毛市)の領主伊賀家の目付役竹内綱(こう)の長男として生まれ、弟には後の首相吉田茂がいます。
明治18年(1885)竹内綱は、高取伊好(これよし)とともに芳ノ谷炭鉱の経営権を取得、翌年その経営を任された竹内明太郎が唐津に赴任、最新鋭の鉱山建設に着手しました。
明治42年(1909)には、唐津市妙見に「芳ノ谷炭鉱株式会社唐津鉄工所(現唐津プレシジョン)」が新設され、我が国を代表する精密機械工場の一つとして名声を確立。
他にも、早稲田大学理工学部、私立高知工業学校(現高知県立工業高校)の設立にも尽力します。
竹内明太郎が所有していた遊泉寺銅山(石川県小松市)の付属施設として「小松鉄工所(現小松製作所)」を設立。
田健次郎(でんけんじろう)(九州炭鉱汽船社長)や青山禄郎とともに、国産第一号自動車であるDAT号(のちのダットサン、日産自動車の前身の一つ)の開発を支援。この「DAT」は、田、青山、竹内のイニシャルを取ったものと言われています。
「高橋是清と耐恒寮」という由緒書きもあって…。
唐津藩最後の藩主小笠原長国公は、明治3年(1870)従来の漢学、医学部に加え、英語学校である「耐恒寮」を創設。その英語教師として招かれたのが、後の首相で二・二六事件の凶弾に倒れた高橋是清で、当時18歳でしたが、月給百円という破格の待遇でした。廃藩置県で藩知事となった小笠原長国公の月給が30円だったことを考えると、藩の期待の大きさが感じられます。
「耐恒寮」は、当初大名小路にありましたが、あるとき放火により焼失。
その後、藩知事の江戸への引越が決まり、かつての藩主の館(現在の早稲田佐賀校)に移ることになり、高橋是清が教鞭を取ったのはわずか1年3ヶ月でしたが、この間に薫陶を受けた生徒には、東京駅の設計で知られる辰野金吾、同じく建築で三菱の顧問であった曽禰達蔵、経済学者で早稲田大学長の天野為之、法律家で大審院判事の掛下重次郎など、明治の世で活躍した人々が数多く存在します。
その隣には、高橋是清の薫陶を受けた辰野金吾の由緒書きもありましたよ。
辰野金吾は安政元年(1854)唐津藩下級藩士である姫松倉右衛門の次男として生まれ、叔父に当たる辰野宗安の養子となりました。
藩校志道館、英学寮耐恒寮で学び、恩師高橋是清を追って上京、明治6年(1873)工学寮(のちの工学部大学校、東京大学工学部の前身)の第1回入学試験を受け、曽禰達蔵や麻生政包は合格しましたが、辰野は点数が足らず、4ヶ月後に行われた再試験で合格しました。
入学当初は、第1期生32人中最下位の成績でしたが、6年後に造家学科(後の建築学科)を卒業する時は首席でした。
16年間、帝国大学教授を務めた後、辞職し我が国初のフリーの建築家という職業を確立し、200を超える建造物を手がけました。
初期の代表作とされるのが日本銀行本館で、晩年の代表作の中で最も有名なのが東京駅になります。
辰野金吾の設計した建物は、当ブログでも、いくつか紹介していますよね。
福岡市赤煉瓦文化館(旧日本生命九州支店)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483422093.html
旧山陽ホテル(下関市)のレポ。既に解体されてしまったそうですが…(涙)
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483425097.html
武雄温泉新館及び楼門のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483435379.html
大分銀行赤レンガ館(旧二十三銀行本店)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483441656.html
旧唐津銀行本店のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483460040.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483460053.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483460069.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483460075.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483460082.html
多くの建物を設計していたことが分かりますね。
「旧大島邸」の模型もあって…。唐津工業高校の生徒さんが作成したもの。未来の建築家が製作しただけあって、成功にできていましたよ(^^)
建物内の見学を終えたので、お庭に回って…。
庭園には、東屋がありました。
庭園から旧大島邸を…。
茶室の躙口を外部から…(涙)
「旧大島邸」の玄関先を今一度…。
「旧大島邸」を見学した後は、唐津くんち「西の浜お旅所」に曳込が終わった曳山を見に行ってみました。
その様子は、また後日。
旧大島邸
佐賀県唐津市南城内4-23
唐津くんち
https://www.karatsu-kankou.jp/feature/karatsukunchi/(唐津観光協会HP)
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