こんにちは、こんばんは。
来週、浅草では、“三社祭り”がはじまります。
といっても、私は実は初体験。これまで浅草には、余りご縁が無かったですから。
まあそれなりに楽しみにしてるんですが、浅草は母の方が世代的にも詳しくて。
浅草国際劇場とか、松竹歌劇団とかの時代?
母は、日本橋小舟町育ちなんですが、高校は、区境をこえて浅草橋の方だったそうです。
子供の頃から、台東区は非常に馴染みのある土地だと行ってました。
それに、義父も、元は浅草の出身で、(演芸関係の仕事をしてたとか)そのため、お墓が
西浅草の東本願寺にあります。私の浅草新オフィスから、とても近いんです。
それと、浅草寺の本殿前に吊り下げられてる、大行灯の『小舟町』。
あれは、さかのぼること江戸時代に『日本橋小舟町』が寄進したのが始りで、今でもそう。
つまり、区などというものが出来る前から、同じ文化エリアとして発展していた模様です。
因みに、中央区小舟町とはどういう処かというと、隣が日本橋本町で、江戸時代にはこの
地域一体が、薬問屋街です。日本橋の河岸に、薬が届くからですね。
そのため、今でもここに住所を持つ大手の製薬会社が多いそうです。
うちは、母の母方が代々医者で、本町とか小舟町の薬問屋町には、医者も多かったとか。
それでここに家がありました。(祖父は普通に武士の家系でしたけど。)
今はコンクリート・アイランドで、昼間でもひと気が無く、人の住む場所ではないかな~。
でも、浅草寺に『小舟町』の大行灯を見ると、「我が町日本橋」と、地元の人は思うそうです。
日本橋小舟町からは、日本橋人形町も近いので、そっちも懐かしいといってましたが、
人形町はまだ少しは、昔の面影があるようです。でも、わずかに、かな。
しかし、なんといっても、浅草がダントツで面影が残っている街のようです。
街ぐるみで、『ディズニーランド和風バージョン』状態で、古さをリニューアルして残す街です。
商業エリアは観光用と住民用と、両方を持っていて、住民も多い。
商店街がいくつもあるので、多分暮らしやすいでしょうね。
台東区そのものが、10キロ四方しか無い事がうまく生かされて、浅草から上野まで、
全部観光、全部エンタメで食っていこうという、並々ならぬ心意気が感じられます。笑
それに、外国人が、着物体験のつもりでチープなポリエステルの洗える着物をコスプレして
街を闊歩してる感じは、ちょっとコミケを思わせますね。^^;
オタク出身で“民族衣装や”である私の性格には、ひじょーに合います!
なんか楽しくなりそうな気配がします!