妙法蓮華経「観世音菩薩」普門品“偈“
法華経(全28品)の第25品にある経典。
観音経と呼ばれることも多い。
本文(長行)と詩(偈文)から構成されている。
特に、後半の偈文の部分を普門品偈という。
偈文では「念彼観音力」と繰り返えされ、
「かの観音の力を念じれば」
観音菩薩の力により様々な災いが去ると書かれている。
生きるも地獄。死ぬも地獄。
現世(六道「人界」)の本質が
特に六道「修羅界」と紙一重であることを
決して忘れてはならない。
総じて、人間の宿命の本質は哀しき定めなり。
~六道~
天界:「感謝(←喜び、赦し)の心&行為」
人界:「穏やかな心&行為」
修羅界:「特に慢心に基づく特に闘争行為」
畜生界:「愚かな心(←苛立ち、嫉妬)&行為」
餓鬼界:「むさぼる心&行為」
地獄界:「怒る(←孤独)心&行為」
妙法蓮華経「観世音菩薩」普門品
第二十五偈
(現代語訳)
そのとき、お釈迦様は「偈」をもって語られました。
無尽意菩薩が私に、
観世音菩薩の名についての意義と理由を尋ねた。
観世音菩薩とは、誓願の大海です。
幾百劫という考えられぬほどに長い間、
幾千万億という多くの仏のもとで、
彼が誓願を清浄ならしめた次第を、
私の説き示すところから聴きなさい。
その名を聞き、彼に見え、さらに彼を念ずるとき、
彼は人間達すべての苦悩を、消滅させるのです。
悪意のあるものが、
殺そうとして火坑に落とし込んだとしても、
観音を心に念ずれば、
水をかけられたように、火は消えます。
海の難所や、竜や海の怪物の住処に落ち込んでも、
観音を心に念ずれば、
海中に沈むことはありません。
悪意のあるものが、
須弥山の断崖から突き落としたとしても、
観音を心に念ずれば、
太陽となって虚空に留まります。
殺そうとして誰かが
金剛造りの山の大石を頭に投げつけたとしても、
観音を心に念ずれば、
一本の毛髪さえ害うこともありません。
剣で危害を加えようとする敵の集団に取り囲まれようとも、
観音を心に念ずれば、
たちまち彼らは慈しみの心を起こすでしょう。
刑吏の手によって、まさに処刑されようとしても、
観音を心に念ずれば、
そのとき剣はばらばらに砕けます。
手かせ足かせ、首かせなどに自由を奪われようとも、
観音を心に念ずれば、
たちまち自由を得るでしょう。
呪いや毒薬、鬼霊や悪鬼など人の体を滅するものは、
観音を心に念ずれば、
それを用いた当人にかえってゆきます。
人の体力を奪う夜叉や毒竜、
人間に憑く鬼霊や羅刹などに囲まれていても、
観音を心に念ずれば、
一本の毛髪さえ害うことはありません。
~意志と表象(現象)としての「生死」は、
本質的には実在しない~
いわゆる「タイム(時間)スリップ」とは、
SF上の既存認識のような、
縦軸(時間軸)へ向けての
時系列(時間軸)を
過去へ遡ったり、未来へ向かうことを示唆するのではなく、
本質的には、
「スペース(空間)スリップ」と呼称すべきであって、
横軸(空間軸)へ向けての
単なる別次元への空間移動に過ぎず、
理論的には可能なのである。
~参考~
洋画【パラドクス(2014/メキシコ)】
~参考~
/「スポットライト理論」(米研究)〕
(2015年3月25日 カラパイア)
〔一定周期的に無限ループする"地球史"
~「現世」ではなく「無間地獄」が存在本質〕
~参考~
〔小柴昌俊氏(2002年「ノーベル物理学賞」受賞)の警告
~「トリチウムの危険性」(2003年)〕
~参考~
〔 「天然ウラン」が隕石成分に含む「地球外生命体」の化体と仮定した場合 〕
宇宙空間そのものも、
ビッグバン(起点)=「有」(二次元→三次元)に始まり、
膨張し続け、
やがてボイド(空洞)=「無」(一次元)に戻る
ことを延々と繰り返す。
「無」⇔「有」
本質的には
単なる「空間的変遷」に過ぎない事項を
我々は「時間的変遷」と錯覚しているのに過ぎない。
そもそも、「時間」という概念は実在しないのである。
この輪廻的「循環」を人類は「神」と呼ぶ。
ただ本質的実態は
「無間(ループ)地獄」に他ならない。