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INDEADRUM

ぐずらもずら

夜に虫の鳴き声が聞こえるようになり、いつの間にか、イガグリも大きくなっていた。

夏から秋への移り変わり。

今年はほんとに切なく悲しくやるせない。

そんな決断をせざるを得ない。

それは、俺たちだけじゃなく、遠く離れた仲間たちも一緒なのだろう。

1人ひとりが、想い、繋げていこうと、日々、何かに没頭していく。

ときには、集中できないこともある。

それでも、ニコニコ笑ってる顔見ると、大切なもんは、それほど多くないんだなって、あらためて感じることができる。

物があふれすぎて、見えないものが増えてしまった。

今日もまた、少しずつ、一歩ずつの歩みを止めないこと。

努力だけで培われた自分の気概。

いつでも新しいことにチャレンジしてく。

予測不能な蛾の動きは、人々を惑わすためではなく、夜の唯一の光源であった月を頼りに自分の位置を確かめ、一定の高さや方向へ飛ぼうとする習性からくるものらしい。

本来は遠くにある月が、なぜか近くにあるように感じて、くるくる回ってしまう。

自然とはなにか。

多重人格のような自分の頭の中にびっくりもするが、本来、人とはそーゆーもんなのではなかろうか。

後ろを振り返っても何もない。あるのは鳥の糞くらいなもんだ。

前を見て歩け。

棒に当たらぬよう。

生きてりゃいろいろあるけれど

ほんとにいろいろあるんだね

 

何が起こるかは分からない

知ってはいたけどほんとなんだね

 

ぼんくら峠の愛樹さんが歌ってた。

 

逼迫した状況。

代わりになどなってあげられない。

 

ゆるゆる生きたいけれど、なんだりかんだりでいっぱいいっぱいだったりする。

 

だきとも。

 

声は聞いてあげたい。

話を聞いてあげたい。

 

それだけでも救われる命もある。

すくえなかった命もある。

 

聖徳太子のようにはいかないけど、せめて少しでも。

 

暇ない、金ない、時間ない。

好きなことをやらずに「いつか、いつか」と思ってるうち、歳とって死んでしまう。

 

なかなか思い通りにいかない。

 

でも隣を見れば、愛する人たちがいる。

毎日、笑ってられる。

それがとても大切なことだと、あらためて気づく。

 

旅にもしばらくいってない。

ライブも全然できてない。

畑も雨続きでなかなか時間とれない。

 

そんでも、近くで触れられれば、なんとかなるような気がする。

 

「今日帰れないかも、死ぬかも」って思いながら、17歳とかそのころ、HARD COREバンドのライブ見に行った。

本気でそう思ってた。

でも、その中に、愛があった。

いぎなりこえがったけど。

 

暴力沙汰は当たり前、そりゃそうだ。

パンクというのは、社会に対する不満が原動力となって生まれたものだ。

 

いつまでも高校生みたいな顔で、冗談きついぜと思うだろうけど。

 

心はパンクスだった。それは今でも変わらない。

 

「何もしないおまえに何が分かる 何もしないおまえの何が変わる」

そんなような言葉を胸に、ずっとイキガッテタ。

 

でも、好きな音楽が増えた。というか、音楽だけは、自分が好きな音楽は、素直に、純粋に、追い続けた。

 

そのおかげで、いろんな人に救われた。

それだけじゃないけど、いろんな人に恵まれた。

 

根底は、大して変わっちゃいないだろう。

んだげど、なんかが自分の中で変わったんだ。

 

言いたいことなんで、言葉にした瞬間に変わってしまう。

 

それが変わらないように鍛錬してるつもりだが、まだまだ遠く及ばない。

 

誰しもが闘ってる。

挑んでる。

 

何についての挑戦かは、人それぞれ。

イマココで、俺はそれを見守るだけ。

 

肯定も否定もできない。

代わりはいない。

 

君は君の踊りを踊れ。

 

俺は俺なりに、ブサイクでかっこわるくても、変な動きで踊り続ける。

 

人とおんなじ、みんなおんなじがよいという風潮をよしとはできない。

 

動きも思想もバラバラだけど、どこか1点、通ずるものがある。

 

それだけで十分だろう。

 

どっちが正しいか悪いかは分からない。

だからこそ、やる価値がある。

 

踏み出せずとも、かみしめろ。




かわいいな、かわいいな、とずっと眺めてニコニコしてたのもつかの間。



今年から始めた、共同ユルユル無気力農園。

土の力にまかせるという、穏やかな試みにして、順調だった、カボチャ、ズッキーニ、トウモロコシが、茎から実から、ボキボキむしゃむしゃと、やられてしまった。

おそらくケモノだろう。

これにはひどくうなだれてしまった。

相方のサタロウ(ラジオネーム)も、肩を落としていたが、終盤は笑いだして、俺らで株を引っこ抜き、また植えてやるべ!と意気込みはじめた。

野山からケモノが落ち、被害が増えたのは誰のせいだろか。

利便性、快適という名のもとに、動植物の楽園を破壊してきたのは、他ならぬ俺たち人間である。

都合よくは、いかない。

天国と地獄。
罪と罰。

いろんな条件が絡んだ上での被害は、地球全体の被害なんだろね。

悲しいけど、人間以外の生き物も、生き残るのに必死。

作物ひとつでも、こんなことを考えさせられる。

これだけで、畑やってる意味がある。

収穫(結果)がすべてじゃない。

その過程にこそ、学ぶべきものがある。

さてさて、自分1人でやってる農園のほうも心配になってきた。

ようやくズッキーニとかジャガイモとか収穫できるようになってきたから。

ほんとに、小さくても、畑やっててよかった。
人間の都合だけで物事を考えずにいきたいものです。