誰もが違うということを前提とした教育にしていこう! -21ページ目

誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

人はみんな未熟で不完全です。
だからと言って、好き放題やって
自分も他人も傷つけていいわけではありません。

こんなことは誰もが分かっていることなのですが
コミュニケーションに困難さがあるために
言葉を上手に使えず、
苦しんでいる人たちがいます。

それが発達障害のある人たちです。

思ったままを口にしてしまう。
言いたいことが頭に浮かぶと
黙っていられない。

何気に言った言葉が
相手を傷つけてしまった。
でも、相手がなぜ傷ついたのか
理由が分からない。

感情コントロールがうまくいかず
気づくと相手を攻撃している。
あとで落ち着いてから、
どうして私はすぐに他者を攻撃してしまうのか?と
悩んだり後悔したりする。

勘違いして怒ってしまい、
暴言をはいてしまった。
でも、勘違いしたことには
すぐに気づくことができず、
数年経って気づくことが多い。

または、全く気づかないまま生きていることも多い。
など、、、人それぞれ、さまざまあります。

しかし、自分にも発達障害があるのではないか?
という気づきから、
発達障害についての勉強を
進めていった人たちの中には、
気づきにくいという困難さを知識でカバーしながら、
人格的に成長していき、
すばらしい特性が現れてきた人達がたくさんいます。

例えば、、、

自己中心的で攻撃的だった人が
様々な失敗体験と苦悩を繰り返し、
人との出会いの中で
(知識によって気づきを得て)
他者の気持ちが分かるようになり
人を大切にできるようになったとか、

人に頼ってばかりで
自分から行動しようとは思わず、
愚痴ばかりの毎日を送っていた人が、
様々な失敗体験を重ねていき
その失敗から多くの気づきを得て、
主体的に行動できるようになったとか、

こういった、たくさんのすばらしい話があります。

自分自身にも発達障害という特性があるということを知って、
その人のすばらしい特性が
現れてきた人がたくさんいるのです。

他者への思いやりや愛などのすばらしい特性は
元々誰もが持って生まれているのですが、
自分自身の中にある様々な脳機能の働き方などを知らなければ、
そのすばらしい特性が現れにくくなってしまうのではないかと
私は最近ことに思うのです。

更に、この思いやりや愛などのすばらしい特性は
多様性が認められない社会では
現れにくくなるのではないか?とも思うのです。

だから、発達障害のある子ども達への
正しい理解と適切な支援が早急に必要なのです。

どうか、皆様、子供達に
「大丈夫!あなたはそのままですばらしい!」と
言いながら、適切な支援をよろしくお願いします。

日本インクルーシブ教育研究所で開催する
初めての感覚統合入門講習会基礎コース、
一昨日、無事3日目、終了しました。

ふう~
さすがに初めてのことは
準備一つ一つに時間がかかるだけでなく
無駄な労力も結構使ったりして、、、
体力、知力ともに消耗しました~

何せ、三日目は修了証明書の発行がありますから
より一層慎重になります。

今回の入門講習会基礎コースを広島で開催するにあたり、
日本感覚統合学会会長の土田玲子先生をはじめ
日本感覚統合学会事務局の新庄玉恵先生、
感覚玩具を提供している「だかあぽ」の橋本健治さん、
そして、当法人のアドバイザーの先生方や
スタッフ達にたくさん支えていただきました。
感謝してもしきれないです。

発達障害を持つ子ども達を
正しく理解してほしい、
あたたかいまなざしを持って接してほしいという
みんなの気持ちが一つになったからこそ
広島で開催できたのだと思います。

応援してくださった人達に本当に感謝の気持ちでいっぱいです

では、一昨日の講習会(3日目)の内容を
写真で紹介しますね。


3日目の会場は広島市まちづくり市民交流プラザギャラリーです。
会場予約はどこもたいてい3ヶ月前からの予約のため
早朝から各団体が接戦になり3日間同じ会場で開催することは難しいです。


講師の日本感覚統合学会会長の土田玲子先生です。
いつもエレガントで、子ども達へのあたたかいまなざしが素敵な
県立広島大学の教授です。


こちらは感覚玩具です。
実際に手にとって遊んでいただきました。


前庭刺激がたくさん含まれている遊びを考えるグループ、
固有受容刺激がたくさん含まれている遊びを考えるグループなど
5グループ(職業別)に分かれて話し合い、各グループで発表しました。


土田先生がいろんな遊びを紹介してくださいました。


こちらもかなり楽しい遊びでしたよ。
ぬいぐるみを投げて、自分の陣地にぬいぐるみが少ない方が勝ち
かなり盛り上がりました。

では、受講者の皆さんからいただいた感想を紹介します。

・具体的な症例の話から皆で考えた後、土田先生の解説が聞けたことでよりイメージがわきました。

・理論、事例、話し合い、体験など様々な内容が組み合わされていてとても良かったです。自分自身も気持ちがほぐれ、開かれた感じで、今とても心地よいです。

・感覚統合入門講習会基礎コースを受けて、一人一人の個性に寄り添った保育がしたいと思いました。

・子供が無意識にしていることを叱っていました。子供にとても辛い思いをさせていたと思います。我が子の感覚と母の感覚の相互関係にも目を向けて自分なりに工夫して親子関係を育んでいきたいと思います。

・子供の行動を何も知らずに見るのと、感覚統合を知って見るのとでは全く違うということがわかりました。もっと深く勉強していきたいと思います。

・実際に体験しながらの講習会だったので、とても理解しやすかったです。

・今後の療育に取り入れたいと思いました。

・まだ、ふんわりとしか理解できていない気がしますが、子供とのセラピーで大切にしないといけないこと、基本的な考え、そして楽しさを感じることができました。

・事例を分析して、グループで活動を考え、土田先生にアドバイスを頂けるというすばらしい講習会でした。

・保育士をしていますが、この講習会では自分自身の子育てを振り返りました。子供のことが分かっているようで分かっていない、子供に寄り添っていない自分を反省しました。大人にとって都合のいい子供を育てようとしていたのではないかと自問自答しています。

・集団指導の工夫、単純に年齢や障がい面だけでなく個人の必要性を考慮した療育の必要性など、目から鱗のお話ばかりでした。土田先生の熱い思いを感じさせて頂いた3日間でした。

・遊びの拡がりを作るヒントがいっぱいありました。

・療育の中で、保育士先行になっていないか?深く考えさせられました。

・グループセラピー開始時、集合させていたことが良くないことだと分かりました。もっと個々を見なければいけないと反省しています。

・今までの子供の行動を理解できました。そして納得しました。

・明日からできることがたくさん見つかりました。

・どのような遊びがその子にとって訓練ではなく、遊びになるのかを考えるきっかけとなりました。

・3日間、本当にありがとうございました。日頃、私たちがしてきたことが、これで良かったのかと思うこと、こうすれば良いのかと思うこと等、多々ありました。とても有意義な時間でした。

今月のMISAKO先生のVIVA!発達凸凹~s!
無事、放送されました。

今日のテーマは「自閉症・自分自身を知る」でした。

お話した内容は次のような感じです。

人は、自分の苦手なところや、
うまくいっていないところには
すぐに気づくけれど、、、
そこそこうまくいっているところに気づいて、
「それって、すばらしいね」と思うことは
とっても、難しいのです。

人の欠点にはすぐに気づくけれど、
人のいいところを「ぱっ」と気づくには
結構、意識していないと、できないですね。

そんな中でも、特に自閉症の人たちは
社会的文脈で、まあまあうまくいっているな~ということを
把握することに困難さがあります。

どういうことかと言うと、
失敗したことや注意されたことは分かるけれど、
自分がうまくいっていることは
自分では分かりにくいということなのです。

だから、ちょっと失敗しただけでも、
否定的になってしまって
「僕はダメ人間なんだ」と言い始めて、
それから、過去に失敗したことを思い出したりして
「生きる意味がない」なんて言ってしまう人もいるわけです。

そういうときは、今できていることを
書き出して確認していくといいんですね。

そうすると、欠点があっても
ダメじゃなということが分かるわけです。

そして、工夫してうまくいけばOKという
体験を積み重ねていくといいです。

発達障害の人たちに関わっている人の中に、
障害と戦うとか、克服するとか言う人がいるのですが、
そういった視点に立つと、
うまくできないところばかりに
目を向けるようになってしまいます。

そうすると、どうしても発達障害の子ども達は
「できない自分」と認識してしまうのです。

だから、障害と捉えるのではなくて
「違う」と捉えると、
いいところを発見できるようになりますよ。

それで、発達障害のある人たちというのは
「できるところ」と「できないところ」が極端なので、
人ができて当たり前ということが
全くもってできなかったり、、、
「え~、どうして、そんなすごいことができるの~?」
というような一般の人達がどうやっても
できないようなことができたりするわけです。

しかし、一般の人たちというのは、
発達障害のある人たちにむかって
「どうして、そんなこともできないの?」
結構、繰り返し言ってしまっています。

そのため、発達障害のある人たちは
自己肯定感が持てなくなっています

私たちは誰もが得意なところと苦手なところがあって
どの人も同じではないということは知っているのですが、
同じにしたいという気持ちが結構あるのですね。

同じ方が、付き合いやすいですから、
同じにしてしまいたい!とか
同じようになって欲しい!っといった感じでしょうか?

でも、「みんなと違う部分」は
自分らしさだったり、個性なんですよね?

「みんなと違うところ」は
「ダメなところ」と
思っている
子ども達が多いのが
日本なのかな?と思います。

それは、周りの大人達が
「みんなと同じがいい」という価値観で
彼らに接しているからかな?と思うのです。

だから、子ども一人ひとりのいいところを伸ばして
苦手なところは、どうしたらうまくいくか、
どんな工夫をするといいかを
一緒に考えていくような生活にしていくといいですね。

じゃ、どうやって自分自身を知る、
いわゆる自己理解というものを
進めていったらいいのか?ということなんですけど、

発達障害のある子ども達は
自分の言動を客観的に見ることに困難さがありますから、

みんなと違うことをするということで
いつも怒られてしまいます。

だから、自分を否定的にとらえてしまっていることが多いのです。

こういったことにならないために、
周りの家族や支援者の協力が
とても大切になってくるんですけど、、、

どのように支援していいか分からないという
保護者や支援者もいるのです。

例えば、子どもの「どうして僕はいつも
失敗ばかりするんだろう?」という疑問に対し、
周りの大人達が「誰でも失敗はするよ。失敗は成功のもと」
なんていう言葉がけをするだけでは、
彼らの疑問にはちゃんと答えていないのです。

疑問にちゃんと答えてもらっていない子ども達には
否定的な感情が育っていってしまい、
「みんなと同じことができない私は、やっぱりダメだ!」
と思うようになってしまうのです。

そこで、私たち大人は彼らに
「得意なこと」というのは
誰かと比べてよくできているということではなくて、

誰かに助けてもらわなくてもできることだったり、
毎日スムーズにできていること等が
得意なことになっていくのだということを
伝えていかないといけないと思うのです。

でも、本人が自分のいいところや
できているところに気がついていない場合が多いので、
周囲が認めて「そこ、できてるよ。すごいね」なんて
まめに褒めて、本人に気づかせてあげる必要があります。

そして、「苦手なこと」というのは、
その子が「できない」とか
「できていない」ということではないんです。

一人ではうまくできないけど、
誰かに助けてもらえばできるとか、
練習をしたり、工夫したりすれば
できることなんですね。

「得意なこと」と「苦手なこと」について理解できれば、
子ども達は
「自分だけじゃなくって、
みんなも苦手なところがあるんだね」と気づいて、
前向きに人に助けてもらったり
工夫する気持ちになっていくのですよ。


「僕は、どうして、みんなのようにできないのかな?」と
悩んでいるとか、困っているような様子が見えたとき
自分を知るために、こういったワークブックをするのは
とてもいいと思います。



一昨日、ちょっと髪を切りすぎた私。。。
顔の肉づきがよく見える

Yahoo知恵袋を読んでいたら、
投稿された質問「弱者を抹殺する」と題して、
想像をはるかに超えるすごいアンサーが
投稿されていました。

このくらい物事を冷静に見つめることができれば、
世の中がインクルーシブになっていくことは
間違いないと思った次第です。

内容を紹介しますね。

*まず質問内容は以下です↓

【不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。

でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?

文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。

ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。
今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。

人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います】

*この質問に対してベストアンサーさんはこう答えています↓

【え~っと、、、よくある勘違いなんですが、
自然界は「弱肉強食」ではありません。

弱いからといって喰われるとは限らないし、
強いからといって食えるとも限りません。

虎は兎より掛け値なしに強いですが、
兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています。

***

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、
種レベルでは「適者生存」です。

個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます。
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます。
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません。
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、
それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです。

種レベルでは「適者生存」です。
この言葉は誤解されて広まってますが、
決して「弱肉強食」の意味ではありません。

「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです。
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く
「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)

そして自然というものの特徴は、
「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです。

必ずしも活発なものが残るとは限らず、
ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります。
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、
大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り
「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです。

そして「適者生存」の意味が、
「個体が生き延びる」という意味で無く
「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、
ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです。

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、
1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、
後者の方がより「適者」として「生存」したことになります。

「生存」が「子孫を残すこと」であり、
「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、
どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります。

人間の生存戦略は、、、、「社会性」

高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体
(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、
子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です。

どれだけの個体が生き延びられるか、
どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、
その社会の持つ力に比例します。
人類は文明を発展させることで、
前時代では生かすことが出来なかった個体も
生かすことができるようになりました。

生物の生存戦略としては大成功でしょう。
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、
そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。
「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、
自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)

「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ。
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です。

遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、
どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です。
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、
将来は「有効な形質」になってるかもしれません。
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの
「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、
生存戦略上の「保険」となるんです。

(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」
という質問をしないでくださいね。
それこそ誰にも読めないことなんです。
自然とは、無数の可能性の塊であって、
全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)

アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね。
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、
人間は全員「弱者」だということです。

その「弱者」たちが集まって、
出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです。

だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、
どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです。
「闘争」がどれほど活発化しようが、
最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです。

我々全員が「弱者」であり、
「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです】

う~ん、すごすぎる答え!

発達障害という障害は、
外見からだけではその障害が全くもって分からないため、
誤解を受けることが多いです。

周りの人達の「発達障害への理解」が進んでいないだけでなく
誤解や偏見もあり、本人や家族を傷つけてしまうことも
少なくありません。

発達障害のある人達が、自分の得意を活かして
苦手なところは他者に助けてもらいながら
幸せにいきていけるようになるには
どうしても平均的な発達をしている人達に
「発達障害」を理解してもらわなければなりません。

ただ、周りの人達に理解を求めようと思っても、
小さい頃から支援を受けることができないまま
育つしかなかった大人の発達障害の人達は
二次障害となっていることも多く、
周りの人達から「困った人」「トラブルメーカー」等と言われていて、、、

「こちらが迷惑を受けているのにどうやって理解すればいいのか?」

「発達障害の人を理解する前に、こちらが悩んで病気になってしまった」

「何かと細かく追求してくるし、攻撃もしてくるし、もうへとへとです。
私がどれだけ気を遣って対応しているか、ぜんぜん気づいてくれないんです」

「こちらがよかれと思ってしていることに対して、
すぐに怒ってくるんですよ。
自分が悪いって気づかないんです。
常に人のせいにしてしまうので、もうお手上げなんです」

と、皆さん、疲弊されています。

でも、ちょっと、考えてみてください。
平均的な発達をしている人達が感じていることと同じように
発達障害のある人達もかなりの苦しみを味わっているということを。

つまり、違うものどうしが共に生きていくには
理解し合うことが必要だということです。

でも、この「理解」というのが実に難しいのですね。

それは、学校や家庭で発達障害について
「発達障害って、そのままですばらしいんだよ。
周りが理解してくれて、自分で工夫する力がつくと、
とってもハッピーな生き方ができるんだよ」なんて
言ってくれる人が今のところ、あまりいないからです。

発達障害のある人達の脳機能は
自分のことや他者のことについて気づきにくいという困難さがあるわけですから、
どういった言葉を使うと相手が傷つくのか?や
相手が腹を立てるのか?等が分からなかったり、
お互いに気持ちよく過ごすためのマナーを学ぶ機会がないまま育ってきて、
トラブルが起きるたびに、苦悩しているのです。

こういった発達障害のある人達の苦しみを知ると、どうでしょう?

「あ~そうだったのか」と理解できて
やさしさが生まれてきませんか?

だから、発達障害のある人達には、
どうすればいいかを具体的に伝えるといいのですが、
そのときに、こちら側の要求に応えてくれたことへの
感謝の気持ち「ありがとう」を伝えることを
忘れないで欲しいな~と思っています。

一方、発達障害のある人達も
平均的な発達をしている人達が
自分たちの要求に応えてくれたときは
やはり感謝の気持ち「ありがとう」を
伝えてもらえるとうれしいです。

しかし、両者ともに、ほとんどの人達が、
して欲しくない行為に対して、ガミガミ怒るんですね~。
これがいけないんです

だから、察することに困難さのある発達障害の人達は
察する文化の中で生活していると
「褒められる」という経験が少なくなってしまいます。

それで、自己肯定感が低くなって、
どうしても物事を否定的に受け取りやすくなってしまいます。

自己肯定感が低い人が「あっ!自分が悪かったんだな。
こうすればよかったんだ。次からはがんばってみよう!」なんて
前向きになれることは少ないように思います。

こういったことを理解すると、
「あたなにはこんないいところがありますよ」
ということを互いに伝え合うためにも、
「いいところを探し合う」を
してみることをおススメします

「いいところを探し合う」をし始めると
人を褒めることができるようになりますから、
誰もが、とてもいい関係になっていくんですよ

褒められることの気持ちよさを
より多くの人達に体験してほしいと思っています。

子どもたちはどの子も、
友達や先生とよい関係をつくりたいと思っています。

そして、家でも学校でも
楽しく生活していきたいと思っています。

自分さえよければいい、
人に迷惑をかけてもいい、
と平気で思って思いる子は一人もいないのですね。

でも、子ども達は6年生になったとしても
たった12年しか生きてきていませんから、
ちょっとしたマナーや礼儀であっても
よく知らないのです。

言葉の使い方だって
人に嫌な思いをさせない言葉の選び方や
常識をよく知らないために、
自分が思っていることとは
まったく違った結果を
招いてしまうことが多々あるのです。

元小学校の先生で現在講演活動や著書出版を多数されている
親野智可等先生が教えたお子さんの中にも、
トイレに入っている友達に「うんち、がんばれ」と
言って嫌がられた子がいたそうです。

本人は悪気はないのですが、
そういった言葉がけをすることで
人に嫌われてしまうことを知らなかったために
(察するという脳の部位がうまく働いていないために)
こういった結果になることは結構多いのですね。

※大人でも同じで、知らなかったために
 失敗することは多々あります。

また、発達障害のある子ども達は
想像力に困難さがありますから、
危険な行動だと(想像できなくて)
知らないままやってしまって、
友達にケガをさせてしまうこともあります。

そこで、とってもいい本を見つけました!

学校生活において周りの人に嫌な思いをさせてしまう言葉や行動と
その反対に喜んでもらえる言葉や行動について、
そして危険な行動とその反対に危険を防ぐ行動について扱っている本です。

子どもたちがいろいろな発見を楽しみながら、
自然に学べるように工夫してありますよ。

表紙の画をクリックすると詳細をみることができます↓


マナーと敬語完全マスター!〈1〉 学校のマナーと敬語

よく発達障害のある人達は周りの人達から誤解を受けます。
それは、言葉の使い方が平均的な人達とは違っているからかもしれません。

平均的な発達をしている人達は、その場その場に応じて
言葉を使い分けたり、声のトーンや抑揚をつけて
状況や自身の感情をうまく相手に伝えることができます。

一方、発達障害のある人達は表情の作り方が上手くいかない人が多いようで、
いつもにやけているように見えたり、
怒っているように見えたり、
無表情のため無愛想に見えたりするため、
いろいろ誤解を招いてしまいます。

また、言葉の使い方も誤学習していることもあり、
その場で使ってはいけないような言葉を知らないまま使ってしまうこともあります。

言葉1つとっても、抑揚や声の大きさだけで
意味が随分違ってきますが、
そういった微妙な使い分けは上手くできないことが多いと思われます。

そのため、平均的な発達をしている人達を怒らせてしまいます。
同じように発達障害の特性を多く持つ人も怒らせてしまいます。

※発達障害のある人は自身のことには気づきにくいのですが
他の発達障害のある人の特性には非常に敏感に反応しやすい傾向があったり、
自分が持っている特性(自分が嫌だと思っている部分)を
相手も同じように持っていると、腹が立つことが多いようです。
このとき、自分にも同じ部分があるとは気づきにくいため
どうしても相手を嫌ってしまいます。

また、発達障害のある人は相手の声が大きいだけで
相手は何の他意もないにもかかわらず、
自分を「怒っている」「バカにしている」と捉えやすい傾向がある人もいます。

こういった場合は、できるだけ、声の大きさを小さくして
ぼそぼそっと伝えてあげる方がよいようです。
[注]これは発達障害の人達すべてに当てはまるわけではありません。

例えば「あれ?」という言葉ひとつ使うにしても、
本人はただ単に「これは、何かしら?」と疑問に思っていたとしても、
裏の意味をとってしまいがちな人にとっては
トーンや抑揚の付け方次第で「何よ!これ!どういう意味よ!」と
バカにしているように聞こえてしまうこともあります。

こういったトーンや抑揚の付け方や
言葉の使い方は発達障害のある人達にとって
実に難しいものなのです。

そこのところに気づかず
(発達障害の人達の困難さを理解できず)
一般の人達が「バカにされた。傷ついた」ということが
よくあるのが現状なのです。

一方、自身の言葉の使い方で相手を傷つけてしまっていることさえ
気づくことができない発達障害のある人達は本当に苦悩しています。

なぜ?周りが怒っているのか?
自分の発した言葉の何がいけなかったのか?
自分のどこを、どのように直せばいいのか?
自分で気づくことができない、
またどうしていいか分からない苦しみがあります。

そして、彼らが大人になって随分経ってから
自身の困難さに気づいたときの苦しみは
計り知れないものです。

私がおつきあいしている自閉症当事者の女性は
「自分が発達障害だと分かってから、
発達障害について深く勉強するようになりました。
そうすると、自分がこれまでしてきたことが
どれほど恥ずかしいことだったかを思い知らされるのです。
そうすると、あまりの恥ずかしさで生きるのが辛くなってしまいました」と
おっしゃっていました。

また、多くの大人になった発達障害の人達が
次のように言っています。

「子どもの頃から自身の特性を知って、
人はみんな、感じ方や受け取り方が違っているということを
教わりながら育っていたら、
どんなに楽に生きることができただろうか?」

この言葉から分かるように、
すべての人が「自分は普通」と思って
自分中心で物事を捉えていると、
他者や自分の困難さに気づいていない場合は
どうしても「傷つけられた、バカにされた」と
思うことが多くなってしまいます。

自分がバカにされたり傷つけられているのではなく、
ひょっとすると、自分も他者をひどく傷つけてしまっているのかもしれないと
時には、見方を変えてみることも必要かもしれません。

そうすると、とても穏やかな人間関係が築けるように思うのですが、、、
平和に暮らすには、すべての人が「自分は普通」と勘違いしているのではないか?
と疑ってみることも必要かもしれませんね

私達は小・中学校で9年間、
高校へ行けば、12年間、
学校教育の中で、学校らしい常識を教えられて育ちます。

よく「学校の常識は、一般社会の非常識」とも言われますが、
確かに、学校で教わった常識が
大人になってから役立つかと言うと、
私はどうかな~?とよく思います。

しいて言えば、
誰にでも素直に従うことが出来る
Yes Manになるには、
今の学校教育はとってもいいかもしれませんね。

ただ、従順すぎると、
独創性がない、リーダーシップがとれない等で
うまくいかない仕事も結構ありますから、
やはり、そろそろ、日本の学校教育を
インクルーシブな視点をもって
変えていかないといけない時期に入っているように思います。

学校教育の中では
先生から言われたことを文句も言わずに、
自分の意見も言わずに従っていると
「いい子」とレッテルを貼ってもらえることも多く、
ひとまず、平穏にやっていくことはできます。

※全ての先生達が子ども達を無理矢理、従わせているわけではありませんよ。
一人一人の子どもの個性を大事にしている先生はたくさんいます

一般的に、今の学校教育の中では
主体的に行動するとか
自身が持つ斬新なアイデアを提案するとか
新風を巻き起こすとか、、、は
なかなか、難しい状況がありますから
至って、一般的に言われる「平凡な人」に
なっておくのが無難といったところなのですね。

人それぞれ、どんな生き方をしたいかによって
平凡に生きることだって、とっても素敵な生き方なのですが、
どうやっても自身の特性上、
平凡には生きられない人だっているのです。

平凡という言葉をどのように捉えるかによっても
平凡ではなくなったり、、、
実に難し~いのですが、、、

とりあえず、日本の学校教育は
あまり個性を活かせる場所ではなさそうだということは
誰もが感じていることでしょう。

だから、発達障害のある子ども達にとっては
実に窮屈で居心地の悪いところになりますから、
不登校が増えるのも当たり前なのかもしれませんね。

これからは、個々が、
ある程度、自身の常識を疑ってみるくらいの勢いがなければ、
日本の学校教育の中で
発達障害のある子ども達がみんなと一緒に
のびのびと育っていくことは
ちょっと難しいのではないかと思うのですが、、、

さて、2016年4月から施行される法律で
合理的な配慮をしないことも差別となることを
皆さんはご存知ですか?

つまり、通常学級にいる発達障害の子ども達への
配慮やサポートがないのは差別になるのですね。

来年から、発達障害を勉強しないで



去年、私が出会ったAくん(小学6年生)の話です。

運動会の日、Aくんは熱が出て学校へ行くことができませんでした。

お母さんは「Aくんは一所懸命、運動会の練習をしてきたのに
運動会に出られないなんてかわいそう」といって涙ぐみました。

一方、Aくんにそっと聞いてみると、、、

「ぼくは運動会なんて、なくなればいいのにって思っているんだ。
練習だって、ちっとも楽しくないし、
運動会の練習って、将来、何かの役に立つの?

太陽が照りつける中、眩しくって目をつむっていたいけれど、
みんなについていけない僕は先生に怒られてばっかりだし、、、

集団演技なんて、いつ怒られるか分からないから
ずっと、ドキドキ、びくびくしているし、、、
疲れてどうしようもないんだよ。

いっそのこと、運動会の日には熱でも出ればいいって思っていたら
本当に熱が出ちゃったんだ!
あ~よかった!
これで学校へ行かなくて済むって本当にうれしかったんだ。

でもね、お母さんも学校の先生達も
僕が運動会に出られないことを
悲しんでいるんだな~。

僕の気持ちを分かってくれる人なんて
どこにもいやしないから、
もう、あきらめていて、
みんなに合わせているけれど、、、
とにかく毎日がしんどい!

「うん、うん、そうよね~」と答える私に向って、
Aくんは「おばちゃん、なんで、僕の気持ち、分かってくれるの?」
と聞きました。

私は「それは、みんな違うということを知っているからだよ」とだけ
答えたのですが、Aくんのうれしそうな顔は今でも忘れることができません。

親の悲しみが、決して子どもの悲しみではないのですね。

親は子どもがみんなと同じことができると安心できるかもしれませんが、
ひとり一人、子どもの発達や気持ちは違いますから、
どうか、子ども達ひとり一人の発達や身体感覚、気持ちに
寄り添ってやって頂けると助かります。

中途半端な知識は、発達障害のある子どもを傷つけてしまいますから
皆さま、発達障害については、しっかり勉強していきましょう

人はみんな物事の受けとめ方や捉え方、
そして、「感じ方」が大いに違うのです。

は~、やっと感覚統合入門講習会基礎コース2回目について書けそうです

いつものことなのですが、セミナー終了後の数日は
片づけや参加者への連絡、事務作業等でかなり追われてしまいます。

ワード・エクセルができて、
メール操作・文書作成がお得意で
更には、対人関係をうまくやっていくために
肯定的視点を持つ努力をしている人
(=悲観的・否定的な捉え方を肯定的な視点に変換できる人)であれば大歓迎です。
現在、謙虚に和を大事にしてくださるスタッフ1名、募集中です

さて、一昨日、2回目の感覚統合入門講習会基礎コースが終了しました。
講師は日本感覚統合学会の土田玲子会長(県立広島大学教授)です。

午前中は講義で、午後からは検査の体験でした。

スタッフは検査体験の準備で大わらわでしたが
何とか無事に、皆さんに体験を楽しんで頂けてよかったです。
写真は講義や体験の様子です。

 

 

 

 

参加者からの感想も書いておきますね。

・たくさんの内容を盛り込んでいただき、自分の体についても再認識できました。

JPANの中で取り入れられるものがありそうなので、実際に行ってみたいと思います。

・覚醒の高低について、どのようにしたらいいかが理論的によく分かりました。

・感覚統合の検査内容を知ることができたため、子どもが必要としている遊びの意味がよく分かりました。娘にいろんな遊びを与えてやりたいと思います。

・スタッフの方々が笑顔で対応してくださり、気持ちよく受講できました。

・覚醒と鎮静について理解が深まり、子ども達の顔が浮かんできて、児童理解に役立ちました。

・子どもの不思議な行動の意味を理解することができました。

・グループ活動や体験がたくさん入っているので、みんなで深い話ができうれしく思いました。

・感覚調整障害や行為のプロセスについて具体的にお話いただいて参考になりました。事例についての検討もよかったです。

・保護者・当事者の思いを感じとれる内容で、自身の先走りがちな(押しつけ)ところを反省し、もっと勉強しようと思いました。

・実際に検査で何を見ていくのかを体験させて頂けたので、頭の中でなく、自分の体で分かりました。