gig from チドリアシ
精神と時の部屋に見られる「持続」と浦島くんのお話、そこにジョジョなんか絡めたら面白いことになるやも?です。
「自分時間」についてと「時間の経過と鏡による自己認識」これから少しずつ考えていきたいと思います。
とにかく日々混乱して過ごさなければいけないわけで、多少の合理化もやむを得ないのかなと思いはじめています。
明日は撮影ですよね。
イイ絵、撮ってきて下さいまし。
それでは。
補足。 par 灰猫
ベルクソンの理論に「持続」という概念があります。平たく云うとこれは「自分時間」です。
例えば、時計が指し示す同じ「1時間」であれ、パン工場で流れ作業をするそれと友達と居酒屋で一杯ひっかけるそれとが違うでしょ?そこに生じる差異が、まあ、「持続」の根本的な理念であると云えます。
つまり、「時間」を論じる上での中心的な問題は、いかにしてそれを「他者」と共有するかということに尽きるのだと思うよ。「完全に近い形で「時間」がその装置としての特性と精神に及ぼす影響を分離させる為には、個々の意識の末端にまでそれが伝わり、制度と制度のすきまに存在する人間の感情が入り込む余地にまでそれが流れ込み、社会的認知にまで昇華されることが必要なのではないでしょうか」という指摘があったけれども、こういう指摘が出てくる背景に、既に、制度としての時間の強度が表れているのではないかしら?
ベルクソンは、難しいことを云ってはいますが、結局、人間、っつーか、わたし?が「自由」であると云えるための条件を模索していたのだと思います。そして、それはよりよく生きようとする至極まっとうな考えなのではないかと、僕ぁそう思うよ。
Res to 灰猫
とにかく今日、ジジェクをやっつけます。
あの醜悪なる顔に挑戦します。
*
ところで、ベルクソンはキリスト教世界の心身二元論に基づき「身体」と「精神」を別個のもとで考えていると思うのですが、果たして私(今さら自分が東洋思想に基づいているなんて言うつもりはありませんが、しかし根っこの方を突き詰めると、やはり心身合一論的な思考をしているように思います。先日、私は盆栽のブログで「時間に追われる」という表現を使いました。そこで私が意図したことは「身体」が実際生活で時に縛り付けられることで窮屈さや身動きのとれない思い、またそれらに嫌気がさし体制への反発心を持つということでした。仮にこれらを「精神」の動きととるならば、矢張り私は「身体」と「精神」をセットで考えている節があります)に彼の考えを踏襲することができるのでしょうか。
理論的にベルクソンについて学べば、なるほどと思うかもしれないし、あるいは強く感動すらするかもしれません。しかし根本的な、本質的な部分で果たして私にそれが理解できるのか(西洋世界に基準がある哲学・心理学等すべてにおいて、東洋人からみた西洋文化受容の可・不可という課題を内包していると思いますが)と疑問を抱いてしまうのです。(最も西洋文化に根ざす西洋人だからといってこれに心から賛同できるとは限りません。同様に東洋人でも個々の価値観次第で理解可能なことなのかもしれません)・・・・*疑問1
なるほどそういう考え方もあることだし心を入れ替えて早起きして学校にいこう、と思い込んだところでそれは私がもった疑問の本質的な部分から目を背ける行為だと思ってしまいます。
その文脈の中で「時間」は虚偽のものかもしれません、真実ではないのかもしれません。しかし例え個人レベルでそう思っていても、それは所詮「合理化」に過ぎないのではないでしょうか。・・・・*疑問2
完全に近い形で「時間」がその装置としての特性と精神に及ぼす影響を分離させる為には、個々の意識の末端にまでそれが伝わり、制度と制度のすきまに存在する人間の感情が入り込む余地にまでそれが流れ込み、社会的認知にまで昇華されることが必要なのではないでしょうか。
最も、口でいうのは容易いけれど、実際に行動するとなると何をすればいいのか皆目見当がつきませんが。矢張り、個々が思い込みでも合理化でもなんでもいいから思想を実践していくことが一番の近道なのでしょうか。
グリニッジ破壊は正直恐いです。
論理的に矛盾するところがあるかと思いますが、どうぞ指摘してください。
あと*疑問1のところですが、もしかしてドゥルーズの理論にその答えがあるのはないですか?
なんて期待してみたくなります。「10ミニッツ・オーダー」、是非みたいです。
それでは失礼。
「盆栽」への返答。 par 灰猫
それについてのベルクソンの答えは、「精神」である、とのことです。彼が語った「精神」はキリスト教の伝統的な心身二元論と東洋思想的な心身合一論との間で揺れつつ、現代においても「自由」であるとはどういうことかを考える上で興味深いもののように思われます。まだ、勉強中だので大したことは云えませんが。
「時間」についても同様で、「時計」が指し示すそれは物理的な空間把握に還元され、「身体」を空間的なものの側に位置づけ「精神」を空間外のものとするベルクソンの理論(ドゥルーズはこれに別様の解釈を与えているけれども)においては、「私」の「精神」的な生活と「時間」との間にある決定的な差異を浮き彫りにします。この「精神」的な生活をベルクソンは「持続」と呼び、これは個人史的な過去の総体である「記憶」の領域と不可分のものとして提示されます。
そして、「精神」を個人史に還元してしまうことで「時間」の客観性、あるいは「私」という主体の絶対性に疑問を投げかけることにもなるでしょう。「時間」というものは虚偽的なものに過ぎない、世界は「私」の夢でしかない、といったような考えがそれに当たります。ここに、いわゆる現代思想がデカルトよりもカント的な傾向が強い最大の理由があるような気がします。「私」は普遍的な真理に到達することはできない、「私」は「私」が知り得る限りにおいての真理を活用すべきである、と。西洋の近代的な発明である「時間」は真実のものではないにせよ、生活の中で有効な装置を為していることは疑うことができません(指摘されたように、様々な社会的機能が混乱をきたすことになるでしょう)。しかし、それが真実の「時間」ではないと知った上で「私」はそれを「私」なりに活用する術を見出さねばならないのが現状です。
具体的な策としては、1限に行くのが面倒臭い。いやん。だったらば、今年はガッツを出してたくさん単位をゲット。イエイ。来年の講義は午後からばっかりだぜぇ~。いやっほぅぅぅ。といった具合です。頑張ってください。陰ながら応援しています。僕も頑張ります。
あ、『10ミニッツ・オールダー』に入っているベルトルッチの作品が「時間」の哀しさを如実に捉えています。観てみてください。10分だので観やすいよ。DVDを持っていますが、今貸し出し中だので、戻ってきたらば連絡します。
久々、ちどりあし
ご無沙汰してました。
IDを忘れてしまい、にっちもさっちもいかなくなりまして。
へい。
あぁ、何か色々片付けなければいけない問題が山積していた気もしますが、まぁ丸投げといきましょうや。
それにしても靖国に奴さん行くのかな。
結構気になります。
そして日本政府としての確固たる指針を決めて頂きたい。
首相の心情とかどうでもいいんです。
国としての姿勢が問われているんでしょう、今回の場合。
外圧にただ屈するのも違いますし、だからといって卑屈になってゴネ続けるのも違います。
要は筋道の通った一つの意見が必要なんです。
小泉氏が首相になる以前に靖国参拝してたかどうかは気になるところですが、そんなのどうでもいい。私情を抜きにして最もな指針を示すのが彼等の役目なんじゃないんですか。
支持基盤だ、右翼だ、地位だとか抜きにしていってみましょうや。
はっきりと意志を示せば世論はついていくと思います。
私も含めて誰もが、感情論ばかりに流されて、冷静に靖国について考えていないのが現状です。
一つのケースを提示することが再考を促すきっかけになるのではないですか。
なぁんてねぇ、とにかくぼかぁ猫たんを飼いたいんです。
八月・九月とまるまる家にはいないけれども猫たんかお猿さんが欲しいのです。
プレイルームは物置小屋のままでもいいから、猫たん、猫たん。
なんなら猫部屋にしましょう。
あ、また灰猫氏とサッカーやりたいっすね。
てへ。
あの公園最高なんだもん。
ほな、さいなら。ブログ見てください。
ブログ「盆栽を育てる極意」http://cyochin.exblog.jp/
祝!開通。 par 灰猫
自室へのネット環境の開通、おめでとうございます。しばらくは理想的な配線が不可能かもしれないけれども、心置きなく深夜までネットをお楽しみください。僕ぁなるべく早く寝ます。
まあ、ってっても、学校に遅刻しちゃっちゃあ何にもならないので夜更かしもほどほどに。
それと、猫たんはどうしようね。割と真剣に考えていますが、真剣に考えるほど共生が困難なのではないかと思えてしまいます。嗚呼、でも一緒に住みたいなあ。
GIG from チドリアシ
我輩は、先日大戸屋三連チャンでした。川崎のお母さん。
愛ス、チキンお母さん煮定食・・・
勘違いしないで戴きたいが我輩、マザコンじゃないのょ。
うふふ 。
っていうか、予定が合うならば一緒にいきましょうよ。
このままじゃ読者連中から我々の不仲を騒ぎ立てる輩が現れても不思議じゃないです。
パルプテノン、パルプフィクション、パルプンテ!!
アリアリアリアリアリーベェデルチ!!
「国家全裸企画」の方は我輩めにお任せを。
計画は着々と進行しております。
まずは川崎のマッティ婦人とシャングリラを伝に、恐い方々のお手を借りつつ、地下組織を拡大させています。
まずはここを地盤とする政治家を買収して、虎視眈々と自民・公明への影響力増大を狙っていきましょう。恐怖、早朝の裸体満々アウシュビッツ祭りを開催するまでは裏方として灰猫氏をバックアップします。
ところで、貴方には鳥肌実の二番煎じで広報活動に邁進して頂きますので何とぞご了解下さい。
猫たん、猫たん、飼いましょうょ。
ただ二ヶ月ほど責任をとれない時期があるけれども。
チドリアシ・灰猫共著で話題の単語集、「猫単」ヒットを目指しましょう。
おぉっと~、三限の時間やってくるぞ。
ということで失礼をば。
んちゃ。 par 灰猫
そんなこんなで帰 ってきています。
猿たんは死角だったわ。僕ぁずっと猫たんに釘付けだったもので、これを機に『けものがれ、俺らの猿と』を観て共に検討しませう。でも、猫たんはいいよ。
それにしても「国民総全裸国家」の展開はどうなのかね。あれは大変に面白かったけれども、いったい何だったのかしらね。本当に阿呆だと思います。
そして、おにぎりを自ら拵えるのはいいね。小生は、あろうことか、二日連続で晩飯を「大戸屋」で喰らひました。しかも、二日連続で同じメニューです。しかも、同じ川崎だのに違う店舗です。もう、意味がわかりません。いや、「意味なんてない、夏」。
GIG from チドリアシ
明日、こちらにご帰宅なさるのですよね。
首を長くしてまってます。
ジジェクずっと借りててすいません。
あと鳥肌実の件ですが、もしよかったら貸してやってあげると我輩もほんのちょっとだけ
嬉しいです。
猫とプレイルームの件、どうしませう。
現実的に考えて「飼育」は無理ですかね。
「放牧」ならできると思いますが。
もっとも猫ちゃんなんて半ば放牧みたいなもんか。
猿でもいいですよ。
すんごいちっちゃいやつ・・