「盆栽」への返答。 par 灰猫 | 明かしえぬ共同生活

「盆栽」への返答。 par 灰猫

小生は人間の「自由」とは何かと考えることがあります。
それについてのベルクソンの答えは、「精神」である、とのことです。彼が語った「精神」はキリスト教の伝統的な心身二元論と東洋思想的な心身合一論との間で揺れつつ、現代においても「自由」であるとはどういうことかを考える上で興味深いもののように思われます。まだ、勉強中だので大したことは云えませんが。
「時間」についても同様で、「時計」が指し示すそれは物理的な空間把握に還元され、「身体」を空間的なものの側に位置づけ「精神」を空間外のものとするベルクソンの理論(ドゥルーズはこれに別様の解釈を与えているけれども)においては、「私」の「精神」的な生活と「時間」との間にある決定的な差異を浮き彫りにします。この「精神」的な生活をベルクソンは「持続」と呼び、これは個人史的な過去の総体である「記憶」の領域と不可分のものとして提示されます。
そして、「精神」を個人史に還元してしまうことで「時間」の客観性、あるいは「私」という主体の絶対性に疑問を投げかけることにもなるでしょう。「時間」というものは虚偽的なものに過ぎない、世界は「私」の夢でしかない、といったような考えがそれに当たります。ここに、いわゆる現代思想がデカルトよりもカント的な傾向が強い最大の理由があるような気がします。「私」は普遍的な真理に到達することはできない、「私」は「私」が知り得る限りにおいての真理を活用すべきである、と。西洋の近代的な発明である「時間」は真実のものではないにせよ、生活の中で有効な装置を為していることは疑うことができません(指摘されたように、様々な社会的機能が混乱をきたすことになるでしょう)。しかし、それが真実の「時間」ではないと知った上で「私」はそれを「私」なりに活用する術を見出さねばならないのが現状です。
具体的な策としては、1限に行くのが面倒臭い。いやん。だったらば、今年はガッツを出してたくさん単位をゲット。イエイ。来年の講義は午後からばっかりだぜぇ~。いやっほぅぅぅ。といった具合です。頑張ってください。陰ながら応援しています。僕も頑張ります。
あ、『10ミニッツ・オールダー』に入っているベルトルッチの作品が「時間」の哀しさを如実に捉えています。観てみてください。10分だので観やすいよ。DVDを持っていますが、今貸し出し中だので、戻ってきたらば連絡します。