Res to 灰猫
ベルクソン読んでみたいですね。
とにかく今日、ジジェクをやっつけます。
あの醜悪なる顔に挑戦します。
*
ところで、ベルクソンはキリスト教世界の心身二元論に基づき「身体」と「精神」を別個のもとで考えていると思うのですが、果たして私(今さら自分が東洋思想に基づいているなんて言うつもりはありませんが、しかし根っこの方を突き詰めると、やはり心身合一論的な思考をしているように思います。先日、私は盆栽のブログで「時間に追われる」という表現を使いました。そこで私が意図したことは「身体」が実際生活で時に縛り付けられることで窮屈さや身動きのとれない思い、またそれらに嫌気がさし体制への反発心を持つということでした。仮にこれらを「精神」の動きととるならば、矢張り私は「身体」と「精神」をセットで考えている節があります)に彼の考えを踏襲することができるのでしょうか。
理論的にベルクソンについて学べば、なるほどと思うかもしれないし、あるいは強く感動すらするかもしれません。しかし根本的な、本質的な部分で果たして私にそれが理解できるのか(西洋世界に基準がある哲学・心理学等すべてにおいて、東洋人からみた西洋文化受容の可・不可という課題を内包していると思いますが)と疑問を抱いてしまうのです。(最も西洋文化に根ざす西洋人だからといってこれに心から賛同できるとは限りません。同様に東洋人でも個々の価値観次第で理解可能なことなのかもしれません)・・・・*疑問1
なるほどそういう考え方もあることだし心を入れ替えて早起きして学校にいこう、と思い込んだところでそれは私がもった疑問の本質的な部分から目を背ける行為だと思ってしまいます。
その文脈の中で「時間」は虚偽のものかもしれません、真実ではないのかもしれません。しかし例え個人レベルでそう思っていても、それは所詮「合理化」に過ぎないのではないでしょうか。・・・・*疑問2
完全に近い形で「時間」がその装置としての特性と精神に及ぼす影響を分離させる為には、個々の意識の末端にまでそれが伝わり、制度と制度のすきまに存在する人間の感情が入り込む余地にまでそれが流れ込み、社会的認知にまで昇華されることが必要なのではないでしょうか。
最も、口でいうのは容易いけれど、実際に行動するとなると何をすればいいのか皆目見当がつきませんが。矢張り、個々が思い込みでも合理化でもなんでもいいから思想を実践していくことが一番の近道なのでしょうか。
グリニッジ破壊は正直恐いです。
論理的に矛盾するところがあるかと思いますが、どうぞ指摘してください。
あと*疑問1のところですが、もしかしてドゥルーズの理論にその答えがあるのはないですか?
なんて期待してみたくなります。「10ミニッツ・オーダー」、是非みたいです。
それでは失礼。
とにかく今日、ジジェクをやっつけます。
あの醜悪なる顔に挑戦します。
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ところで、ベルクソンはキリスト教世界の心身二元論に基づき「身体」と「精神」を別個のもとで考えていると思うのですが、果たして私(今さら自分が東洋思想に基づいているなんて言うつもりはありませんが、しかし根っこの方を突き詰めると、やはり心身合一論的な思考をしているように思います。先日、私は盆栽のブログで「時間に追われる」という表現を使いました。そこで私が意図したことは「身体」が実際生活で時に縛り付けられることで窮屈さや身動きのとれない思い、またそれらに嫌気がさし体制への反発心を持つということでした。仮にこれらを「精神」の動きととるならば、矢張り私は「身体」と「精神」をセットで考えている節があります)に彼の考えを踏襲することができるのでしょうか。
理論的にベルクソンについて学べば、なるほどと思うかもしれないし、あるいは強く感動すらするかもしれません。しかし根本的な、本質的な部分で果たして私にそれが理解できるのか(西洋世界に基準がある哲学・心理学等すべてにおいて、東洋人からみた西洋文化受容の可・不可という課題を内包していると思いますが)と疑問を抱いてしまうのです。(最も西洋文化に根ざす西洋人だからといってこれに心から賛同できるとは限りません。同様に東洋人でも個々の価値観次第で理解可能なことなのかもしれません)・・・・*疑問1
なるほどそういう考え方もあることだし心を入れ替えて早起きして学校にいこう、と思い込んだところでそれは私がもった疑問の本質的な部分から目を背ける行為だと思ってしまいます。
その文脈の中で「時間」は虚偽のものかもしれません、真実ではないのかもしれません。しかし例え個人レベルでそう思っていても、それは所詮「合理化」に過ぎないのではないでしょうか。・・・・*疑問2
完全に近い形で「時間」がその装置としての特性と精神に及ぼす影響を分離させる為には、個々の意識の末端にまでそれが伝わり、制度と制度のすきまに存在する人間の感情が入り込む余地にまでそれが流れ込み、社会的認知にまで昇華されることが必要なのではないでしょうか。
最も、口でいうのは容易いけれど、実際に行動するとなると何をすればいいのか皆目見当がつきませんが。矢張り、個々が思い込みでも合理化でもなんでもいいから思想を実践していくことが一番の近道なのでしょうか。
グリニッジ破壊は正直恐いです。
論理的に矛盾するところがあるかと思いますが、どうぞ指摘してください。
あと*疑問1のところですが、もしかしてドゥルーズの理論にその答えがあるのはないですか?
なんて期待してみたくなります。「10ミニッツ・オーダー」、是非みたいです。
それでは失礼。