「曽我物語」雷鳴編 | なんでも書いちゃってます

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たった一つの人違い殺人により・・・

多くの人物が・・・・・

落とさなくていい命を落としていった!

 
 

 

時の権力者「源頼朝」の右腕として

「源頼朝」をサポートしていた

 

となると‥大物だろう「工藤佑経・すけつね」

この大物「工藤佑経・すけつね」

何故「曽我兄弟」に殺されたのか?

 

ここが「曽我物語」の最大で

一番のキーポイントになる、

 

ではたった一つの人違い殺人の

詳細を追ってみよう・・・

「工藤佑経・すけつね」の回顧を主軸に・・・

 

余談になるが・・・

名前に全員【佑・すけ】がついているのが

私は非常に目につく!(余談終わり)

 

「工藤佑経・すけつね」義理の叔父であり養父の

「伊東祐親・すけちか」に恨みを抱いていた

何の恨みか?・・・・・

「伊東祐親・すけちか」に所領を奪われたからだ!

では何故、義理の叔父であり養父の、

「伊東祐親・すけちか」は所領を奪ったのか?

 

話は さかのぼる・・・・・

 

「工藤」「伊東」家は「藤原南家」の流れをくむ

一族郎党だった・・・・・

 

一族の先代当主「工藤祐隆すけたか」による

所領分割相続の措置に不満を抱いていた

「伊東祐親・すけちか」

 

「工藤佑経・すけつね」の所領を奪った上に

「工藤佑経・すけつね」に嫁がせていた

「伊東祐親・すけちか」の娘「万却御前」とも

離縁させた・・・ためであった!

 

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頃は<安元二年>(1176年)神無月

「工藤佑経・すけつね」は最も信頼する二人の家来

「大見小藤太」「八幡三郎」に申し付け・・・

狩りに出た「伊東祐親・すけちか」を待ち伏せし・・・

弓矢で暗殺せよと!

 

二人の刺客が放った弓矢は・・・

「伊東祐親・すけちか」を外してしまった!・・・

 

一緒にいたのは「伊東祐親・すけちか」の嫡男

(養子説も・・・姓が違う)

「河津三郎祐泰、すけやす」(曽我兄弟の父親)

心臓を、斜(はす)にスッパと射抜いていた(即死)

嫡男を目の前で無残に殺害された

「伊東祐親・すけちか」は激怒した!

 

「伊東祐親・すけちか」といえば

<伊豆国>伊東の大豪族であり!

平安末期の大武将でもある

騒動の発端ともなった・・・

一族の先代当主・・・

「工藤祐隆すけたか」(伊東家次)の孫になる、

 

10年ほどの時代をさかのぼれば・・・

「伊東祐親・すけちか」は東国における

【親平家方】豪族として・・・・・

「平清盛」の絶大なる信頼を得て・・・

・・・<平治の乱>に敗れ

<伊豆>に流された

「源頼朝」の監視役を仰せつかった!

 

これほどの実績、実力の持ち主の大武将

「伊東祐親・すけちか」である・・・

今は立場が逆転されたとはいえ・・・

「源頼朝」「工藤佑経・すけつね」など恐るるに足りぬ

「伊東祐親・すけちか」は・・・

嫡男「河津三郎祐泰、すけやす」(曽我兄弟の父親)

弔い合戦に即刻打って出た・・・

 

「よく聞けー狙うは「工藤佑経・すけつね」

及び一の矢武士・二の矢武士

「大見小藤太」「八幡三郎」の三名じゃー」

 

伊豆国伊東、の各所に張廻らされた

「伊東祐親・すけちか」の検問の網に引っかかった

「大見小藤太」「八幡三郎」の二名は

伊東方の追討兵により即刻首をはねられた・・・

 

だが時の権力者「源頼朝」の腹心

「工藤佑経・すけつね」には、

さすがに「伊東祐親・すけちか」の追っ手も

手が届かなかった!

 

さて・・・・・

「河津三郎祐泰、すけやす」を亡くした

「曽我兄弟」は母「満江御前」に育てられる・・・

 

「曽我兄弟」の幼少名は・・・

 兄「一萬丸」 弟「「箱王丸」

 
  1. ここで【二度目の余談】

  2. 00000000000000000
  3. 私たちの歌舞伎で私(曽我十郎)役が
  4. 「工藤祐経」の面前で自己紹介の場面・・・
  5. 「曽我の十郎助成」と申しまする」と挨拶の直前の・・
  6. 「工藤佑経」が「曽我の十郎」に挨拶を促す言葉
  7. 「兄の(一萬)成長なし」・・・続いて、大磯の「虎」の言葉
  8. 「(祐信)さんの養子にて」
  9. 「満江御前」「曽我祐信」と再婚した!<8の意味>
  10. 「曾我の十郎助成と申しまする」
  11. ⑦番の「兄の(一萬)成長なし」

 

この⑦番の「工藤佑経」のセリフの意味が・・・・

私は練習中からわからなかった!

ここは古いキャリアを持つ先輩たちが

初めての私に説明して欲しかった

 

⑦番の「兄の(一萬・十郎の幼少名)成長なし」

 

この「工藤佑経・すけつね」の言葉は

「曽我兄弟」への・いじめや嫌味・・・

と思っていた私!

 

・・・<兄の「一萬」成長なし>

これは<成長無し>ではなく<成長成し>

だったのだ!

要するに「工藤佑経・すけつね」「曽我兄弟」

「俺が誤って殺害させたお前たちの父上・・・

父の居ない寂しさの中・・・よく、ここまで成長したの~」

こういう意味だったのだ!

 

【二度目の余談】終わり

 

この頃・・・母「満江御前」「曽我祐信」と再婚した!

養父の下で「曽我兄弟」は、ここ曽我の里で成長した、

だが父は亡く養父である(一抹の寂しさがあった)

 

その後・・・

<治承の乱><寿永の乱>では過去の

「平清盛」の寵臣を受けた「伊東祐親・すけちか」

当然のごとく平家方についた、

だがこれが没落の始まりだった・・・

 

「伊東祐親・すけちか」

「源頼朝」勢に取り押さえられた!

だがここからが大武将たる

「伊東祐親・すけちか」の本領発揮である!

 

「わしは「平清盛」公の側近じゃ、うぬらごときの

下っ端に用はない、脇差を貸せ」・・・

伊豆国に この人あり と うたわれた大武将

「伊東祐親・すけちか」は見事敵勢に囲まれた中で

腹を真一文字に掻っ捌いて自害して果てた!

 

一方の「工藤佑経・すけつね」「源頼朝」に付き従い

御家人となり「源頼朝」の寵臣となる

「伊東祐親・すけちか」という

大きな後ろ盾をなくした

「曽我兄弟」は途方に暮れた・・・・・

 

兄の「一萬丸」は元服して「曽我の十郎祐成」と名乗った、

そして<曽我家>の家督を継いだが・・・・・

養父の「曽我祐信」には先妻との間に

実子の長男「曽我祐綱」がいて・・・

家督問題が揺れた・・・

これに嫌気がさし「曽我の十郎祐成」

曽我家をあとにした!

 

一方弟の「箱王丸」【後の「曽我の五郎時致・ときむね」】は

父の菩提を弔うべく

<箱根権現社>に稚児として預けられた、

 

<文治三年>(1187年)

 

「源頼朝」が箱根権現に参拝した折随行した

「工藤佑経・すけつね」を確認した「箱王丸」

ずっと付け狙っていた・・・が警護が厳しく近寄れない

「工藤佑経・すけつね」の警護班の一人が

怪しい動きの「箱王丸」を捉えた

「工藤佑経・すけつね」の前にしょっ引いた

 

「何か用か」わざとこのような言い方で

「工藤佑経・すけつね」「箱王丸」に迫った

 

「私は「河津の三郎祐泰・すけやす」の次男

「箱王丸」申す者」

 

「おう~そうか そうか・・・

 

元を正せば「工藤佑経・すけつね」

「伊東祐親・すけちか」

所領の分割で揉めていたのであって・・・

「曽我兄弟」を恨む理由は無い、

 

「工藤佑経・すけつね」

「箱王丸」(後の曽我の五郎時致)を諭し

「赤木柄の短刀」を授けた・・・

 

皮肉な事に後の「曽我兄弟」の仇討ちで

「曽我の五郎時致)はこの「赤木柄の短刀」で

「工藤佑経・すけつね」に、とどめ を刺した・・・・・

 

さて・・・・・

「箱王丸」は出家先の<箱根権現社>での

出家暮らしが窮屈で嫌でたまらず・・・

ついには脱走してしまい・・・

 

縁者にあたる「北条時政」↓

 

を頼った・・・

 

【北条時政の前妻】は 

なんと!

「伊東祐親・すけちか」の娘だった!

 

「箱王丸」「北条時政」

<烏帽子親>となつてもらい元服し・・・

晴れて「曽我の五郎時致・ときむね)と名乗った

 

我々の「真玉歌舞伎」で・・・・・

遊女の「少将」に扮した(真玉中学生女子がたどたどしく)

「北条さんの烏帽子、子にて」・・・

 

・・・続いて「馬場会長」が荒々しく豪快に・・・

「改名致して「曽我の五郎時致・ときむね」な~るわ~い」

と、大見得を切る・・会場から拍手が起こった

 

さて・・・・こうして「伊東祐親・すけちか」亡きあと 

「曽我兄弟」の強力な後援者として

・・・ 「北条時政」が後ろ盾となって睨みを利かせ

「曽我兄弟」は後顧の憂いなく・・かたき討ちに

邁進する事となる

 

さて・・・忘れていました

「小林の朝比奈」

 

「工藤佑経・すけつね」「曽我兄弟」

対面させる重要な役目を負って

「工藤佑経・すけつね」邸に現れる・・・

 

「これは これは、朝比奈殿」

 

「これは これは工藤殿」・・・

 

バチバチの鞘当てで火花が散る

 

「嫌なに ここに来る道すがら

春駒(曽我兄弟のこと)の兄弟に会い・・

工藤殿に会いたいとの事、

なんと会ってやってくんさるべいか」

 

「何、春駒とは名も吉相、いかにも会ってつかわそう」

 

「工藤佑経・すけつね」の回想シーン・・・・・

 
 

所領分割相続の措置で

 「伊東祐親・すけちか」と揉めていて・・・・・

所領はそのうちに返すからと言われていたが…・

なかなかに返してくれず・・・その恨み骨髄に達し

赤沢山の帰るさに遠矢を以って射通せしが!

近寄り見れば「すけちか」のうで息子の・「すけやす

ななっ<南無三宝>と思えども帰らぬ後の祭り

仇と名乗って討たれてやりたいものなれど

今は叶わぬ時節を待て、

この・「すけつね頼朝公」の覚え目出度く

今度 富士の裾野で狩りの催し・・・

この「すけつね」は総奉行役・・・

その役目終えるその日までは

討たせてやる事まかり叶わぬ・・・

まずそれまでの合紋(あいもん)じゃ 

・・・そう言って「工藤佑経・すけつね」

「曽我兄弟」に【狩場の切手】を渡した、

という事は・・・・・

時の政権のトップの催事に

自由に出入りできる事を約束された事になる!

「工藤佑経・すけつね」は元を正せば一族である

「曽我兄弟」に恨みがあるわけではない・・・

どうやら父の仇を取らせる覚悟を

決めていたフシも感じられる!

 

建久4年(1193年)・・・・・

富士の裾野で盛大な巻狩りを催した・・・

そして運命の日・・・5月28日・・・

 

「曽我兄弟」

「工藤佑経・すけつね」の寝所に押し入った、

盛大な巻狩りで疲れ果てて酒も入っていた

「工藤佑経・すけつね」「曽我兄弟」に討ち果たされる・・・

 

騒ぎを聞いて駆け付けたうちの一人

「新田忠常」に「曽我の十郎祐成」は討たれる・・・

 

「曽我の五郎時致・ときむね」

「源頼朝」の館に押し入った所で女装した

小舎人「五郎丸」に取り押さえられる・・・

翌29日、「曽我の五郎時致」

「源頼朝」の面前に引きずり出され

仇討ちに至った経緯を述べた

「源頼朝」は助命を与えた・・・・が・・・

「工藤佑経・すけつね」の遺児

「犬房丸」は斬首を「源頼朝」に懇願し

「曽我の五郎時致・ときむね」は処刑された・・・・・

 

5月30日、春の真っただ中・・・

・・・・・というのに雷鳴とどろく嵐の一日になった!

 

東海地方のナンバーワン遊女、

若さと美しさ、愁いを込めた瞳は群を抜いていた、

そんな「大磯の虎」の元には、

政財界、一般庶民、多くのご贔屓筋が訪れてくる・・・

彼らからもたらされた「曽我兄弟」惨殺さるの一報・・・

 

兄「曽我の十郎祐成・すけなり」は斬首

 

弟「曾我の五郎時致・ときむね」は処刑