北奥のドライバー -16ページ目

北奥のドライバー

思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

ネット発の用語かもしれませんが、「奴隷の鎖自慢」という言葉があります。自分が理不尽で多くの場合、賃金の面でも本来満足出来ないような酷い環境で働かされているのにも関わらず、その環境を正す努力をするでもなく、寧ろ「自分はこんなタフな環境を生きてきた」と主張し、場合によっては他者の労働観、人生観を否定したり自らの価値観を押し付けたりするような思想を指す言葉なそうです。

この前、そんなお客さんを乗せました。何でも通勤用のバスを逃してしまい、イレギュラーにタクシーを利用する事になった中年女性です。

なんでも、盛岡市中の医療機関を回って医療品を配達する仕事なようですが、注文先が突然理不尽な形で注文内容を変更する事も多く、しかも配達ノルマも多い状態で振り回されながら働くことが多いようです。

多くは申しませんが、最初は会社の不備や取引先の理不尽さに対する愚痴を喋っていましたが、私が相槌を打っている内に話の論調が徐々にスライドしてきて、いつの間にやら「奴隷の鎖自慢」状態になってきました。

まあ、要約すると「この不景気な時代、現実味の無い正論を語るのは社会人として未熟な証拠。自分の様に家庭を持ち子供を育て、尚且つこの位の理不尽な環境を受け入れ黙々と耐えてこそ、初めて社会人としての正当性を会得できるのだ」といった内容です。

この人の主張に従うならば、若くて独身で子供も持たない人間などはいかなる場合も自分を主張する権利が無いし、異議を申し立てるのは分不相応で身の程知らなだけでなく、社会人としての成長の機会から逃げ出した軽蔑されるべき存在という事になるでしょう。

極めて非合理的でマッチョで、とても私には認められません。

まあ、厳しい逃げ場のない環境で生きている為に、こんな風にでも考えなければ心のバランスが保てなくなるのかもしれませんが、これは幾ら何でもあんまりというものです。

こんな価値観の人材をそっちこっちで量産し、全国有数の低賃金で奴隷の鎖自慢をするような大人達を巷に闊歩させてりゃあ、そりゃあ47都道府県中で自殺率ナンバーワンにもなりますわな。

そもそも、個人の自由や尊厳を守る権利は近代国家に於ける自明の大前提で、「あのような考えは○○だから認めるべきではない」などといった感情的議論を遥かに超越した所に有るものなのです。

経験した苦労の量とは関係ありません。それが感情的に受け入れられなかったとしてもです。







7月上旬の事である。私はあるお客を乗せて住宅地を走っていた。住宅地といっても、そこは私とあの『奇妙な女性』が住まう場所である。普段の生活で見慣れた風景の中を走っていると、彼女が視界に入った。

向こうが笑顔で手を振って来たので私も軽く会釈をして応じた。すると後部座席に座っている女性客が恐る恐るといった風で私に質問してきた。

「運転手さん、あの人と知り合いなの?」

私は精々顔を見知っているという程度の間柄である事、細かい素性は良く知らない事を簡潔に伝えた。すると、ルームミラー越しにその女性客は何か言いたげな表情で私を見ていた。

「どうなさりました?まさか、お知り合いでしたか?」

すると、その客は「知っているも何も、私が生まれ育った田舎じゃそれなりに有名な人。名士様の家に嫁いできた奥さんよ。でも何故ここに?」と語ったのだが、その言葉使いは何処か刺々しかった。

なるほど、確かに言われてみれば中流家庭の奥様といった雰囲気とも少々違う。ただ、何故そんな人が距離にして自動車で向かえばゆうに片道100キロ前後の走行距離はあろうかという町から、遠く離れたこの盛岡市内で一人暮らしをしているのか。まあ、疑問といえば疑問ではある。

「運転手さんは知らないでしょうけどね……」

女性客は絞り出すような声で、ポツポツと語り出した。

「私の故郷じゃね、名家の家に生まれるか、そのコネにあずかる事でも出来ない限り、生活は大変なの。特に女はね。村社会の面倒な人間関係、少ない職場とべらぼうに安い賃金、女を物扱いするばかりの粗野な男ども。盛岡市内でサラリーマンしている旦那に出会えた私は本当にラッキーだった」

暫し沈黙した後、その女性客は「ふぅ」とため息を吐くと再び語り出した。

「でも、あんな土地でもいい生活している人達が少しはいるんだよね。少なくともあの町の中では無敵といえる人達。他人の苦労なんか預かり知らず、ただお気楽に生きてるのよ」

確かにこいつは田舎町には大なり小なり、ありがちな話でもあるようにも感じられた。

この地元有力者による富と力の独占、そして因習めいた価値観による地域社会に蔓延しがちな同調圧力。これは数値化が困難な要素なので国や自治体が纏め上げるようなデータにはまず出てこない、しかしながら地方に於ける若者の人口流出と地域衰退の決定的な要因の一つといえる。 

どうしても地方は低所得な人間の割合が多いので、なんとか上手く地域の有力者の取り巻きに入るか、或いは公務員にでもなれない限り安定した生活を手に入れられないケースが多い。

その為に余程思慮深く、人柄が良い人物は別としても、下手をすると都会のそれ以上にそういった立場の人間は嫉妬や怨嗟の対象になる可能性も十分にある。

ましてや、そういった事に無自覚に、そして無邪気に人生を謳歌する者が居るとすれば、それは必然的に狭い地域社会の中で悪目立ちもするだろうし、良からぬ噂話のネタにだってされる事もあり得るだろう。

私はこういった話題に触れる度に『地方』というものの『影の部分』を垣間見た気分になるのだ。

幾ら自治体が悪印象払拭のキャンペーンを展開したところで、あるいは田舎暮らしに文化的価値を見いだした『才能溢れる少数派』が百万言費やして弁護したところで、凡庸な能力しか持たぬ、その他大勢の人間にとっては暮らしにくい事に変わりはないのだと思う。

とはいえ、個人的な思いは兎も角として、ここまで自分の生まれ故郷を悪し様に言う人間も珍しい。余程悔しい思いでもしたのだろうか。

(しかし、まさかそんな『社会問題』の当事者とお近づきになっていたとは)

知らなかったとはいえ、私は何とも言えない複雑な気分になったのだった。

「そうでしたか、かなりご苦労なさったんですね。」

こんな貧相な言葉しか出てこなかった。いきなりの展開だったので、何か適切な言葉を選んでかけようにも、自分の鈍い頭がまるでそれに追いつかない。

しかし、その女性客の中にある暗い感情はヒリヒリとした皮膚感覚で私にも伝わって来ていた。

そうこうしている内に目的地に到着するや、女性客は「ごめんなさいね、こんな不愉快な話を聞かせてしまって」と謝罪してきた。

「いえ、この仕事をしていると色々な話を聞く機会が有りますし、これも仕事の内です。それでお客さんの気持ちが少しでも軽くなったのなら、それはそれで運転手冥利というものです。まあ、お気になさらず……」

私はその様に応じ、乗客を降ろしたのだった。

私は盛岡市内の中心地に戻る間、物思いに耽る事となった。

(あの朗らかな彼女にそんな地域社会の憎まれ役という一面があったとはね……しかし、これまで一度も彼女の中には傲慢さや強欲な性質を感じる事は無かった。そこはかとない孤独を感じる事こそ何度か有ったが……)

それから暫くの間、胸の奥に籠ったような、悶々とした感覚と彼女への疑念は中々スッキリとは晴れず、結果的に彼女とのコミュニケーションにも微妙な影を落とす事となってしまったのだった。

※つづきます





最近、仕事が忙しく疲れ気味です。気力も減退しっぱなしでブログを書く気力が湧かずにいました。半分頭がボーっとしているので、いつも以上に崩れた文章になるかもしれませんが、どうかご容赦のほどを。

さて、メディア等の報道やら何やらを見聞きしていると、最近は以前の様に明け透けな規制緩和論や自己責任論は影を潜めつつあります。

といいますか、厳密にはいまだに存在するものの、何処か歯切れが悪く、オブラートに包んだような表現になりつつある、というのが正解でしょうか。

これはここ最近、規制緩和や自由競争、自己責任論の風潮の中で、業績を伸ばしたり、或いはメディアで持て囃されたカリスマ経営者やら『新進気鋭の優良企業』が実は蓋を開けてみると、とんでもないブラック経営者であったり、ブラック企業である事がバレたりするような出来事が度々起こったのも一因かもしれません。

以前に比べれば、読んでいて腹の立つような記事もメッキリ減りました。とはいえ、規制緩和、自由競争、自己責任論の三点セットの勢いは強く、暫くメディアや特定の知識層を席巻する時代は暫く続きそうにも感じます。とはいえ、それでも幾分か減速傾向なのは有難い。

さて、私が身を置くタクシー業界に絡んだ報道、規制緩和論で何が一番腹立たしかったのかといえば、それを訴える『意識高い系のインテリ』がタクシーに限らず運輸の現場を担う運転手(乗務員)に対して、これといった敬意を持っていないのではないか、と思わせるような論を展開する向きが少なからずいたことです。

数年前の事です。元財務相の官僚で小泉政権下で規制緩和のブレーンを務めたT氏などは、あるネット系メディアのインタビューで末端労働に勤しむ乗務員の貧困問題に話が及んだ際、(要約すると)「そういった問題は厚労省(労働基準監督署あたり)の仕事であって私の関知するところではない」、「不満なら自力で訴えるなりなんなりするべきだ」と言い放ちました。

彼が何を言わんとしたかというと、
『(国土交通省所管の)道路運送法の規制に守られたタクシー業者達はこれといった営業努力もせず腐敗している』

『いい加減な接客教育も正さず、ただ高い運賃で顧客から不当な搾取をしている』

『多くの規制を撤廃して新規業者との競争に晒し、懲らしめるべきだ』

『そうすれば自然に淘汰のメカニズムが働いてロクでもない業者や乗務員は消え去る筈だ』

『自分は飽くまで道路運送法の硬直化からきた腐敗を論じ、解決策を模索するのが仕事だった人間なので、競争の結果で副産物的に発生する貧困や重労働の問題は(担当違いの厚労省の仕事なので)考えていない』

『不満があるなら自力で労基署なり裁判所なりに訴えればいいし、それが出来ないというならば、それはそういった勉強をしてこなかった労働者側の責任であって、こんな連中を一々助けてなどいられない』

……とまあ、こんなところでしょうか。そのネットメディアも当時、T氏の言い分を肯定的に伝えていたと記憶しています。読んだその日は一日中気分が悪かった。(笑)

これらに関わる論争は一時期、末端労働者の窮状を無視した、出口の無いイデオロギー論争の様相を呈していました。

しかし、下で働いている「兵隊」から言わせてもらえば、「雲の上の連中が『どちらがより正当な奴隷主か』と利得を巡って言い争っているだけで、双方とも如何に末端労働者を法律スレスレの環境でガリガリ働かせるか、という基本思想には変わりない連中だよね」という冷めた目で見ていたのは確かです。

さて、彼の言う『優良な業者』というのはどういうものかというと、まるで映画かテレビドラマにでも出てくる執事のような懇切丁寧な接客をして、しかも他社より遥かに安い運賃で運んでくれる業者、という事のようです。

で、その安売りからくる赤字が乗務員の給与に丸々転嫁される問題にしても、ハイレベルな接客を長時間拘束で維持する事からくる精神的負担の問題もまるでお構いなし。

恐らく、タクシー以外の業種でも、こういった手合いの言い分に腹を立てた人が多いのではないかと思います。彼らは巨大な社会実験で自説を証明するのが目的で、庶民のリアルな生活にはまるで興味が無いのだと思われます。

ただ、近年は過酷な労働環境が災いし、世の中の接客業や運輸業が酷い人手不足で、このまま推移すれば、彼ら『インテリのアッパーミドルで都市生活者の意識高い系』の優雅な生活が維持できなくなる可能性が出てきた訳です。

その結果があのオブラートに包んだような、恐る恐る言葉を選びつつ吐き出される消極的な自由競争への賛同、という訳でしょう。しかし、これはフザケタ話ではありませんか。ハッキリ言って、もう手遅れかもしれませんよ。奢れる者は久しからず、です。

この場でハッキリとさせておきましょう。近年、庶民の怨嗟の念は政治家でも官僚でもなく、こういった競争や自己責任論に親和的な都市生活者のアッパーミドル層に向かいつつあるという事。で、その事に気づいていらっしゃらない方が非常に多いかと。





 

2014年4月、一人の青年がバイクで帰宅途中、道路の電柱に衝突し、脳挫傷と外傷性くも膜下出血で死亡しました。この青年は連日の長時間労働で過労状態であったそうです。

彼が勤めていたのは商業施設などに観葉植物を飾り付ける植栽会社(本社・東京都)で、2013年10月から、アルバイトとして働き始めたのだということです。勤務は深夜・早朝に及び、残業時間は月130時間を超えるときもあるなど、過酷な労働環境だったという。

その会社のハローワークでの求人票には

 

新卒正社員募集・試用期間なし
就業時間 8時50分~17時50分
時間外 月平均20時間
マイカー通勤 不可


……と記載されていたそうですが、実際の労働環境は似ても似つかないものだったそうです。

 

事故死した青年の母親はこの会社を刑事告訴しました。「虚偽の広告」、「虚偽の条件」、「労働者の募集」にあたり、職業安定法65条に違反するというのが理由です。

まず、「試用期間無し」と書かれていたが、実際は正味試用期間といえるアルバイトの就労をさせられていたそうです。それに、「残業月平均20時間」となっていますが、実際は最大134時間に及ぶ事もある過酷な労働現場だったといいます。

また、バスや電車の無い深夜に終業する事も多く、かといって会社の仮眠室のような休息施設はキチンと整備されておらず、まともに布団で寝る事などままならない環境だっだようです。

ただ、バイクの通勤は認められていた為に、彼は毎日原付バイクで通勤していたそうなのですが、結局それが彼の事故死に繋がってしまいました。因みに事故死したのは朝の9時ごろで、仮眠もとらずに21時間労働をこなし、家路につく最中だったとの事。

さて、この職業安定法65条には
『次の各号のいずれかに該当する者は、これを六月以下の懲役、又は三十万以下の罰金に処する』とあり、さらにこの65条の8号には『虚偽の広告をなし、又は虚偽の条件を提示して、職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行った者又はこれらに従事した者』とあります。

ただ、実際はこの職業安定法65条は実質的に形骸化した法律といえるもので、過去にまともに機能した実績があるのかどうか甚だ怪しいのが現状です。恐らくですが、実績は無いに等しい状態なのではないでしょうか。といいますのも、労働基準監督署に言わせれば、「職業安定法違反は管轄外」という話になるし、かといってハローワークの職員達にはそもそも法律違反を取り締まる権限が与えられていません。

ハローワークはせいぜいのところ、会社の経営者や人事担当者に注意勧告するのが精一杯なのです。つまり、法律の条文だけは存在するものの、実質的に使い物にならない『死文化した法律』と表現しても差し支えないでしょう。

さて、私などは過去に何度か転職しましたが、「求人票と実際の労働環境に乖離があるのは当たり前だし、その事で一々文句を言うのは世間知らずでは?」という認識を多少なりとも持った状態で働いていたものです。

しかし、この認識は間違いでありました。やはり理由はどうあれ、法律違反は法律違反でしかありません。この国は法治国家でありますし、ましてやその違法行為を抽象的な職業倫理や社会倫理に絡めて正当化したり議論を混ぜ返したりする生き方や考え方そのものが、とんでもない勘違いだったのです。

そういえば以前、ある中年男性が(私とは畑違いの産業の方です)、当初考えていた労働環境と実際の労働環境が大幅に違うという事に不満を言って来た若者がいたそうで、「この不景気な世の中で仕事があるだけ有難いと思うべきだ、法律がどうとかシャラクサイ話は一人前の社会人になってからすべきだろう」と厳しく叱った所、すぐに辞めてしまったというのです。

彼は「最近トシで、自分だけだと仕事がハードで体がもたない。もう少しばかり辛抱強い若者が入社してきて支えて欲しい」とも語っていましたが、こいつは少々ムシのいい話ではないでしょうか。

寧ろ、こういった問題に関して昭和生まれの我々が余りにも考え無しの無頓着だったのです。勿論、求人票と実際の労働環境に乖離がある事自体が法律違反だ、などという事自体、知っている人は少数派だったのは事実ですし、私自身もそうでした。

とはいえ、国も最近はこの『職安法65条の死文化』を重く見ているようで、事態の打開に乗り出しているようです。「求人票の内容と現実の違いを黙って飲み込んでこそ立派な社会人」などといった精神文化は完璧に消える事は無いのかもしれませんが、衰退の戸口に立っているというのもこれまた事実ではないでしょうか。

そしてこれは、私から見ても非常に好ましい事であるように思われます。何故なら『法律違反に黙って耐えた事を勲章にするだけではなく、その価値観を他者に強要するようなマゾヒストの変態』が減る事を意味しているのですから。

 






 

ある深夜の事である。私は気の重い状態のまま、市内の繁華街で流し業務をしていた。その日は幾ら流しても客がつかず、半ば不貞腐れ気味に過ごしていたのだが、気持ちが塞ぎ込みがちであった理由はそれだけではない。出勤早々に嫌な話を聞く羽目になり、しかもその数時間後には、更に気が滅入るような客を乗せてしまったのが原因でもあった。

話を十数時間前に遡る。私が出勤してくるなり、同僚の乗務員が駆け寄ってくると思いも寄らぬ訃報を伝えてきたのだ。

「おい、Sさん、半年くらい前に死んだんだってよ!アパートで孤独死していたんだと!」

……私は衝撃を受け、一瞬耳を疑ったものの、しかし次の瞬間、心の中で「さもありなん」とも思っていた。

このSさんという人物、私がタクシーの世界に飛び込んで来たばかりの頃によく世話になったベテラン乗務員で、昔ながらのタクシー乗務員らしく、性格的に粗野な部分もあるものの、笑い話の得意なムードメーカー的な人物であった。

しかし、酒と女と金にだらしのない部分もあった為、それが原因で会社を去る事になり、最終的には家庭も失ってしまっていた。亡くなった当時で60歳に手が届くか届かないか位の年であったと思う。

事情を知る者からの話によるとタクシー業界を去って後、運転代行の仕事を転々としながら糊口をしのいでいたようだが、女と酒にだらしない部分は相変わらずであったようで、最終的には盛岡市内でも危険だと評判の闇金融から金を借りた挙句に二進も三進も行かなくなったようだ。

勿論、闇金融などというものは違法な商売なのだから、しかるべき所に相談して協力を仰げば助かる筈だったと思うのだが、この手の社会的に孤立した貧困層の常で、周囲にそういったアドバイスが出来る者がいなかったのだろう。

Sさんの最期は『餓死と凍死が同時に来た』ような死に様であったそうだ。事故等で一瞬の内に死ぬのではない。もしかすれば空腹と寒さに悶え、間近に迫った死の予感に打ち震えながら、ゆっくりと意識を失っていったのかもしれない。そう考えるとどうしようもなく寒々しい気分になった。

実はSさんから一年以上前に借金の保証人になって欲しいという内容の相談を受けていた。

「なあ、頼むよ。近しい仲間は俺と同じように皆借金でブラックリストになっているし、他の元同僚の連中は当てにならないばかりか、噂好きで口さがない連中ばかりだ。幾ら俺がだらしない生き方をしてきたからといっても、こんな事で笑い話の種にされるのは耐え難い。口の堅いお前だけが頼りなんだ」

しかし、私はその時にキッパリと断った。借金の保証人など私が負うには責任が重すぎて、絶対に応じる訳にはいかなかったからだ。しかもSさんが肝心な部分をはぐらかして説明しようとしなかった事にも強い不信感を感じていた。

(私が情にほだされて、書類にサインをして印鑑をついた後に、後出し的に不利な条件を明かすつもりだろう、いい年をして、なんとだらしない人だ!)

前述のように、本来であれば、こういった借金苦にあえぐ人を助けるしかるべき組織というものがこの世にはある。とはいえ、当時は私もそこら辺の知識が今一つであったし、何よりも、あの時はSさんに対する強い不信感とバツの悪さから逃げる様に退散してしまった経緯があった為に、それ以降連絡をとっていなかった。

(私がもう少し冷静に振る舞えて、「こういった相談を受け付ける組織があるらしい」とアドバイス出来ていれば、彼は助かったのでは……)

罪の意識を伴いつつ、Sさんの思い出に繰り返し浸っているその時、営業車の窓を叩く女性がいた。パッと見た所、「夜の女性」といった風だが何処か見覚えがあるようにも思えた。

「○○ビルまで」

つっけんどんに行先を告げるその顔をルームミラー越しに見ていて気が付いた。数年前、何度か郊外のアパートから乗せた事のある若い女性であった。私が勤める会社の営業所に近いアパートに住んでいた事から、夜中によく利用していた人だったのだ。

同じ岩手県内でも、山がちな郡部から仕事を求めて盛岡に住まうようになった女性で、気立ての良い感じのOLの女の子であった。しかし、初めて乗せてから数か月もしない内に、ガラの悪い男とタクシーに乗っては繁華街に姿を消すようになっていた。

その男は金髪頭で矢鱈と恰幅が良く、目つきは非常に鋭かった。とても堅気には見えない人物で、乗せる度に「あの女の子、悪い男に引っかかったものだ」と嫌な気分にさせられたものだ。そこから半年もせぬ内にアパートを引き払ったようで、注文はパタリと来なくなり、彼女の姿は見えなくなっていた。

「たかだか2年やそこらで、人というものはこうまで変わってしまうものか」と慄然とさせられた。

生命力に満ち溢れていた可愛らしくパッチリとしていた目は、今や何処かドロリと疲れ果てたようでいて、しかし目の奥底には鋭い怒りにも似たような、強い緊張感を伴った光を湛えていた。化粧を厚めに塗ってはいるものの、肌色が悪く酷く荒れているのがすぐに分かった。

(もしや、あの時の男のせいで、夜の世界で貢がされているのだろうか、とても普通のOLには見えない。しかし、なんて残酷な……)

彼女はまともな言葉を発する事は無く、2年前とは別人のような愛想の無い態度で運賃を払い、そのまま降車していった。

(今日は嫌な事が立て続けだな)

何故こんな仕事を自分はしているのだろうか。勿論生活の為、これ以外の大したスキルも無い為に、分をわきまえてタクシーの仕事をしている訳だが、偶に自分は間違った職業選択をしてしまったのではないか、などと今更考えても仕方が無い事を考えてしまう事がある。

「さっさと勤務を終えて、もう帰りたい」

街中を流しながら無意識の内に、口をついてそんなセリフが飛び出していた。

そんな時である、桜山神社の前で、初老の男性が手を上げてきた。

(やれやれ、物思いに耽りたい時に限って客が付く。まあ、しかし、今夜は売り上げが振るわない日だったのだから、これでも有難いと思わなければ……)

男性客は郊外の住宅地を指定してきた。金額的にはまずまずのお客だ。

「運転手さん、そこそこお若いようだけど、この業界は長いのかい?」とお客が聞いてきた。

「長いという程でもありませんが、まあ4,5年といった所でしょうか。もうベテランだろうと言われる事もありますが、まだまだだな、と思わされることも多々あります」

そう答えると男性客は笑いながら「そうだね。確かに仕事ってそういうものだ。俺も……これは私事だけれど、この年になっても尚、過去の仕事なんかで、頭の中でキチンと整理出来ずに、いまだに‟自分もまだまだだな”なんて考える事もあるんだ」

男性客は地元メディアで働いていた人らしい。色々な事件を経験し、数えきれない数の報道に携わり今日に至った人物のようだ。きっとやりきれないような『事件』も多く経験してきたに違いない。

そんな中から彼はとっておきの思い出話をしてくれた。昭和46(1971)年の自衛隊機と全日空の旅客機が空中衝突した事件である。あれは現在も語り草になるような凄惨な事件であった。

1971年7月30日、雫石町上空に於いて飛行訓練中であった自衛隊の戦闘機F-86Fと全日空の旅客機の翼が空中で接触。両機はコントロールを失い落下したが、自衛隊機のパイロットは脱出し助かった。しかし全日空機の方はそのまま落下を続けどんどん加速してゆき、最後には『音速の壁』に到達した所で空中分解。

その際発生した衝撃波はまるで雷鳴の様な轟音を放ち、遠く離れた盛岡市内にも届いたという。高度約五千メートルから空中に放り出された乗客達の遺体は半径数キロの範囲に散乱し、激しく地面に叩きつけられた為に大きく損傷していて、それは見るも無残な姿を晒していたのだそうだ。当然乗っていた人間は全員死亡した。

また、夏の非常に暑い時期だった為に遺体の腐敗が非常に早く、その臭気は極めて広範囲に及んだのだという。この事件はその凄惨さから前述のように平成の世になっても語り草となり、また幼い子供や学生たちのよい怪談話のネタともなっていった。

「まさに地獄絵図だったよ。自衛隊の隊員達と山に分け入っては凄惨な死体を幾つも見てきた。ただね、俺が一番恐怖を感じたのは巷でよく言われるグチャグチャの遺体ではなかったんんだ。良いか悪いかは別として、同じような遺体を何度も見ている内にだんだん感覚が麻痺してくるのかもね」

「……といいますと?滅茶苦茶に損傷した遺体よりも怖いものがあったというのはどういう事なんでしょう。私にはとんと想像がつきませんが……」

私は思わず客に聞き返していた。

「それがね、鬱蒼とした林の中で和服姿の女性の遺体を一体見つけたんだけれど、これがパッと見た所、全く損傷していなかったんだ。うつ伏せに、……こう、地面に伏したような恰好だったんだけれど、衣服にも頭髪にも全然乱れが無かった。周りには酷い遺体が散乱しているのに、彼女だけ綺麗だったんだよ」

「それでね、運転手さん、当然顔は見えないわけなんだけれども、いきなり彼女がムクリと起き上がって、こちらを見上げてくるんじゃないか、そういった錯覚にも似た恐怖を覚えたんだ。兎に角、とても怖かった。あれは忘れたくても忘れられないよ」

しかし、ルームミラー越しに見たお客の表情は過去の記憶に恐怖しているようには見えなかった。薄らと街灯に照らされた彼の表情は何処か半分夢見心地で、過去の記憶の中をただフワフワと微睡(まどろ)んでいる、そんな様子であった。

住宅地の入り口に差し掛かった所で乗客の男性は「降りたい」と言って来た。「ご自宅のそばでなくても大丈夫ですか?かなりお酒が入っているようですが……」と余計な事かもしれなかったが私は一応聞いてみた。

男性客は「いいんだ、酔い冷ましに幾らか歩きたいしね。じゃ、有難う」と言うとそのまま車両から降りて行ってしまった。その年一番ではないかと思うような、濃い霧がたち込めた住宅地の中に歩き去って行く彼の後姿を私はボンヤリと眺めていたのだが、それははまるで霧の中に溶け込んで一体化してゆくかのようにも見えたのだった。

彼の姿が完全に見えなくなった後、私は車をUターンさせ、市街地に戻ろうとした。ところが、である、5分も経たない内に激しい睡魔が襲ってきた。流石にこのままでは不味いと思い、適当な場所に車を止めて仮眠をとる事にした。

(30分でもいい。こりゃあ耐えられない)

シートを倒すと携帯のアラームを30分後にセットして、私はそのまま体を横たえた。窓の外には光を放つ街灯が見えた。揺らめく霧のせいか、その光はドロリとした鈍い質感に感じられる。

(こんな仕事……)

そう心の中で呟くと、私はそっと目を閉じた。体がまるで地の底にゆっくりと沈んでゆくような感覚。自分の肉体が急速に眠りにつこうとしているのが分かる。この世の全ての嫌な事から解放されたかのような、なんとも心地よい感覚である。

そんな時に車の窓を叩く音がする。目を開けると、先ほど乗せた初老の男性客であった。

「いやぁ、お休みの所、申し訳ない。やはり呑み足りなくてね、さっき乗せて貰った桜山神社のあたりまでまた乗せてくれないか」

私は慌てて起き上がり、「いやいや、結構ですよ。しかし、先ほど降りられた場所から2キロくらいは離れていたのに、ここまで歩いてきたんですか?」奇妙に思った私は聞き返した。

「自分の様な酒飲みを降ろした直後のタクシーがないかとウロウロしていたらアナタを見つけたんだ。ホント、偶然だよ、偶然。歩いている内に酔いがすっかり冷めてしまった」

私は客室のドアを開け、男性客を乗車させると車を桜山方面に走らせた。

「運転手さん、本当に悪かったね」

「いえ、色々とお客さんから興味深いお話を聞けましたし、楽しかったですよ」

「いやいや、こちらこそ、あなたの話も面白かったよ。餓死した先輩ドライバーの話、貢がされている可哀想な女の子の話」

……背筋に冷たいものが走った。私は客にその話をしていない筈だ。なのに、何故彼は知っている?

「なあ、運転手さん、この世の不幸と憐憫を独り占めかい」

私は恐る恐るルームミラーを覗いてみた。そこには先ほど乗せた初老の乗客ではなく、『あの夢』の中に出てくる若い自分が写っていた。

「……偉そうに。たかだか運転手しか出来ないような身分の癖に」

直後にドーンという轟音が周囲に鳴り響き、全てが一瞬の内に闇の中に消えた。次に視界が戻った時には霧の中にボンヤリと映る街灯の光だけが見えた。最初の数秒間は何が何やら訳が分からなかったが、どうも私は眠っていて、悪い夢を見ていたらしい。

暫く呆然としていたが、程無く「ピピピピ……」と携帯のアラームが鳴り出して、本格的に私は現実に引き戻された格好となったのだった。

私は暫く霧の中に霞む街灯とその風景を眺めていた。その時に、フッとある事を思い出したのだ。

(そういえば、お守りのアロマオイルがあったな)

商売道具を入れたバックの中からスプレーを取りだすと、自分自身に、そして眼前の景色に向かって何度か吹いてみた。心地よい香りが周囲に広がり、そして何の未練も残さぬ様に、スッと消えてゆく。少しだけ気持ちが軽くなったように感じられた。

(もういいだろう、出口の無い思慮に憑りつかれていても始まらない。自分の目の前の事を出来る範囲でこなして生きていく以外に仕様が無いではないか。今夜は家に帰ってから甘いものでも食べて早々に寝る事としよう)

そう思い直すと私は車を走らせた。それ以外の事は何も思いつかなかった。