自己責任論と自由競争の果て | 北奥のドライバー

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思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

最近、仕事が忙しく疲れ気味です。気力も減退しっぱなしでブログを書く気力が湧かずにいました。半分頭がボーっとしているので、いつも以上に崩れた文章になるかもしれませんが、どうかご容赦のほどを。

さて、メディア等の報道やら何やらを見聞きしていると、最近は以前の様に明け透けな規制緩和論や自己責任論は影を潜めつつあります。

といいますか、厳密にはいまだに存在するものの、何処か歯切れが悪く、オブラートに包んだような表現になりつつある、というのが正解でしょうか。

これはここ最近、規制緩和や自由競争、自己責任論の風潮の中で、業績を伸ばしたり、或いはメディアで持て囃されたカリスマ経営者やら『新進気鋭の優良企業』が実は蓋を開けてみると、とんでもないブラック経営者であったり、ブラック企業である事がバレたりするような出来事が度々起こったのも一因かもしれません。

以前に比べれば、読んでいて腹の立つような記事もメッキリ減りました。とはいえ、規制緩和、自由競争、自己責任論の三点セットの勢いは強く、暫くメディアや特定の知識層を席巻する時代は暫く続きそうにも感じます。とはいえ、それでも幾分か減速傾向なのは有難い。

さて、私が身を置くタクシー業界に絡んだ報道、規制緩和論で何が一番腹立たしかったのかといえば、それを訴える『意識高い系のインテリ』がタクシーに限らず運輸の現場を担う運転手(乗務員)に対して、これといった敬意を持っていないのではないか、と思わせるような論を展開する向きが少なからずいたことです。

数年前の事です。元財務相の官僚で小泉政権下で規制緩和のブレーンを務めたT氏などは、あるネット系メディアのインタビューで末端労働に勤しむ乗務員の貧困問題に話が及んだ際、(要約すると)「そういった問題は厚労省(労働基準監督署あたり)の仕事であって私の関知するところではない」、「不満なら自力で訴えるなりなんなりするべきだ」と言い放ちました。

彼が何を言わんとしたかというと、
『(国土交通省所管の)道路運送法の規制に守られたタクシー業者達はこれといった営業努力もせず腐敗している』

『いい加減な接客教育も正さず、ただ高い運賃で顧客から不当な搾取をしている』

『多くの規制を撤廃して新規業者との競争に晒し、懲らしめるべきだ』

『そうすれば自然に淘汰のメカニズムが働いてロクでもない業者や乗務員は消え去る筈だ』

『自分は飽くまで道路運送法の硬直化からきた腐敗を論じ、解決策を模索するのが仕事だった人間なので、競争の結果で副産物的に発生する貧困や重労働の問題は(担当違いの厚労省の仕事なので)考えていない』

『不満があるなら自力で労基署なり裁判所なりに訴えればいいし、それが出来ないというならば、それはそういった勉強をしてこなかった労働者側の責任であって、こんな連中を一々助けてなどいられない』

……とまあ、こんなところでしょうか。そのネットメディアも当時、T氏の言い分を肯定的に伝えていたと記憶しています。読んだその日は一日中気分が悪かった。(笑)

これらに関わる論争は一時期、末端労働者の窮状を無視した、出口の無いイデオロギー論争の様相を呈していました。

しかし、下で働いている「兵隊」から言わせてもらえば、「雲の上の連中が『どちらがより正当な奴隷主か』と利得を巡って言い争っているだけで、双方とも如何に末端労働者を法律スレスレの環境でガリガリ働かせるか、という基本思想には変わりない連中だよね」という冷めた目で見ていたのは確かです。

さて、彼の言う『優良な業者』というのはどういうものかというと、まるで映画かテレビドラマにでも出てくる執事のような懇切丁寧な接客をして、しかも他社より遥かに安い運賃で運んでくれる業者、という事のようです。

で、その安売りからくる赤字が乗務員の給与に丸々転嫁される問題にしても、ハイレベルな接客を長時間拘束で維持する事からくる精神的負担の問題もまるでお構いなし。

恐らく、タクシー以外の業種でも、こういった手合いの言い分に腹を立てた人が多いのではないかと思います。彼らは巨大な社会実験で自説を証明するのが目的で、庶民のリアルな生活にはまるで興味が無いのだと思われます。

ただ、近年は過酷な労働環境が災いし、世の中の接客業や運輸業が酷い人手不足で、このまま推移すれば、彼ら『インテリのアッパーミドルで都市生活者の意識高い系』の優雅な生活が維持できなくなる可能性が出てきた訳です。

その結果があのオブラートに包んだような、恐る恐る言葉を選びつつ吐き出される消極的な自由競争への賛同、という訳でしょう。しかし、これはフザケタ話ではありませんか。ハッキリ言って、もう手遅れかもしれませんよ。奢れる者は久しからず、です。

この場でハッキリとさせておきましょう。近年、庶民の怨嗟の念は政治家でも官僚でもなく、こういった競争や自己責任論に親和的な都市生活者のアッパーミドル層に向かいつつあるという事。で、その事に気づいていらっしゃらない方が非常に多いかと。