北奥のドライバー

北奥のドライバー

思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

Amebaでブログを始めよう!

最近、業界を去ったある同業者がいました。

 

タクシーを辞めた理由は

 

「元々労働時間が長いわりに給与が少なく不安定だったのに加え、このコロナ騒ぎで益々ジリ貧状態になって精も根も尽き果てた」

 

「運転手の立場が異様に弱く、常に高ストレスな状態で働かされる」

 

「常時GPSで働きぶりが補足され、首根っこを掴まれた状態で働かされる事に対する嫌悪感に耐えられなくなった」

 

……という事でした。

 

今現在、多くの会社がGPSと連動したデジタル配車システムを導入しております。多くの会社がこのシステムを導入したのには、それなりの理由がありました。

 

大昔はあんな大層な配車システムは無く、簡単な音声配車のみでした。無線係が電話で注文を受け付け「〇〇町方面でお客様です!誰か行ってくれませんか~!」と無線で運転手を募り、それに応じてくれる運転手を待つスタイルでした。

 

しかし、これに運転手たちがスムーズに応じてくれるとは限りません。場合によっては10~20分も無線配車係が「誰か応答願います~!」などと無線で叫び続ける、なんて事もザラに起こったものです。

 

当然、痺れを切らしたお客様から配車室に抗議の電話が入ります。「何時まで待たせるつもりだ!」という感じに。

 

場合によっては「もう他の会社に頼む!」とキャンセルを喰らう事も少なからずありました。これは配車係にとって大きなストレスだったろうし、会社全体にとっても結構な機会損失となっていたでしょう。

 

「あのマイペースな運転手どもの首に縄をかけてコントロールさえ出来れば……」

 

実際、こういった願望は大昔から大多数の経営者の潜在意識に存在していたと思います。

 

さて、翻って運転手側の言い分はどんなものだったでしょう。

 

つい最近はタクシー業界の様相も変わり、少しづつ労働時間を短くしたり、以前は無かった基本給(嘘偽りの無い正真正銘の保障給)を支払うようになったり、実質的な減給が伴わない本物の有給休暇を用意したり、そういった努力をする会社も少しづつ増えてきましたが、つい数年前までは、これらが全く無い会社が非常に多かった。

 

運転手側にしてみたら「長時間労働に付き合い、基本給も無いか、仮にあっても激安。それに加えて有給休暇もキチンと準備されていない環境も受け入れ、会社の経営リスク分散に協力してやっているのだから、せめて、どんな働き方をするかくらい運転手の自由に任せてくれよ」という考え方だったのだと思います。

 

しかし、多くの事業者からすれば、こういった運転手の態度は受け入れがたいものだったに違いありません。

 

例えば私が働いている盛岡市は約30万人ほどの人口を有する都市ですが、その位の規模の街で営業しているとなると、キャンセルから生み出される機会損失は年間にして概ね数百万円レベルの額に上っていた筈です。

 

もっとも、この機会損失に関しては多少の異論があるかもしれません。というのも、幾ら運転手が無線配車に応じなかったとしても、別のところで働いていれば結果的にそこそこの売り上げになっていただろうし、実はキャンセル分の損失も実質的に埋め合わされていた筈です。

 

ただ、会社としてはこれで固定的な注文客を失うのが嫌だったろうし、何より運転手の動きをコントロール出来ない事に対する潜在的な不満は常に根強く存在したのだと思います。

 

まあ、いずれにせよ、コレは経営者側からすれば実に面白くない事であったでしょう。そういった意味では、デジタル配車システムの普及は必然であったようにも思います。

 

建前上は「生産性を上げる効率化システム」という事になっていますし、少なくともその恩恵で「データ上は運転手の売り上げも上がった」という事になっているでしょう。

 

しかし、このシステム導入に際して、運転手の心身にどんなストレスがかかるのか、という検証は、実質的に棚上げにされた状態のまま捨て置かれていたのです。

 

その弐に続く

 

 

 

 

 

 

最近ほとほと疲れました。このコロナ騒ぎの折の景気の悪さに疲れたというばかりではありません。タクシー事業者の、いや、もっと言えば、その下で働くドライバー達の遵法意識や権利意識の希薄さに疲れたと申しますか……。

 

数年前、あるドライバー氏が自らが勤める会社の労基法違反、道運法違反、道交法違反を指摘し、批判的な言葉を口にすると、なんと会社からではなく、同僚のドライバー達から反論を受けたというのです。

 

曰く「知った風な口をきいて波風を立てるな。現にお役人も警察も見て見ぬふりを決めてくれていて、それで事がスムーズに進んで来たではないか。何故、今更になって正義ぶった事を語って波風を起こすのだ」と。

 

意外に思われる方もいるかもしれませんが、世の中には基本給(正真正銘の保障給)を嫌い、保障の全く存在しない出来高制や、場合によっては度の過ぎた長時間拘束すらも良しとする労働者が存在します。

 

また、往々にしてそういったドライバーは道交法その他の遵法意識の面に於いても認識がいい加減だったりするケースが多い。

 

これは恐らくですが、「法令順守がシッカリした状態だと、かえって仕事の自由度が下がって働きづらくなるし、また下手に基本給を設定されたり福利厚生を改善されれば、それと引き換えに売り上げのノルマが厳しくなるから嫌だ」と、まあ、こういった考え方だと思われます。

 

私は常々思うのですが、こういった「労働基準法なんて邪魔くさい。それよりも自分の思った通りに自由に働きたい」という人間は、会社組織などに所属するべきではなく、自ら会社を立ち上げて自営業にでもなるべきでしょう。

 

「法の庇護を求めるなんて青臭い。それに俺はもっと自由に働きたいんだ」などと、会社組織に所属する事でしか得られない特典を得ているくせに、その口で若手のドライバーが不満を語れば自立自尊の無頼漢を気取った物言いをするなど、これはもうタチの悪い自家撞着と言わざるを得ません。

 

その人が独りで棘の道を歩むのならば個人の自由といえます。しかし、会社の組織に所属しながら自ら違法行為や脱法行為を是とし、あまつさえ、その価値観を周囲の人間にまで広めようとするのは言語道断でそれこそ「まともな社会人にあるまじき行為」といえます。

 

そして、その会社の経営や法令順守がいい加減なのは、煎じ詰めれば、この様に職業意識、遵法意識の面で問題を抱えたドライバー達との『悪しき共依存関係』に陥っているからだと思われます。

 

------------------------------

 

 

さて、世の中には困った事に、『役所・警察が動かなければ合法も同然』とばかりに法律違反を放置する手合いがいます。

 

しかし、こういった「動かなければ無いも同然」といった認識は根本的に間違いです。

 

単に役所や警察は「仕事が忙しすぎて小さな法令違反に一々構っていられず、ハッキリした現行犯か、或いは高い事件性が無い限り民間の良心に任せて見逃している」に過ぎません。

 

彼らの「都合」が変わり、取り締まろうと思えば何時でも法律違反を調べ上げて指摘し、取り締まれる「スタンバイ状態」でしかないのです。

 

しかし、ああいった組織やそこに所属する人間は、ハッキリ言って、これ関する意識や緊張感が余りにも無さすぎる。

 

あと、日本の法律は民法であれ刑法であれ、原則的に申告制をベースにしています。

 

ですから、被害者が「このように困った事がある(または被害を受けた)ので、このような形で助けてください」と自ら声を上げないと、なかなか法律が動き出さない仕掛けになっている事が多い。

 

「お役所・警察が今まで動かなかったから合法も同然」、或いは「合法だと思った」などというのは、まあ、トンデモナイ話で不勉強どころの話ではなく言い訳にもなりません。

 

……もう私は疲れました。アドバイスしても徒労に終わる。まっとうな事を言うドライバーが「青臭い理想主義者」とばかりに経営者どころか同僚たちにすら嘲笑され、業界に絶望して去ってゆく。

 

だから、私はもう話は聞くけど積極的に誰かを助けたり、深く相談に乗ったり、といった事は金輪際しないようにします。私独りで私の身を守り、独りで自分専用の防御陣地を構築し、そこに引き籠って戦う。そうやって生きてゆこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、いきなりですが少々昔話をしたいと思います。現在から四半世紀以上も前の事、私は栃木県の途轍もない山奥にある温泉旅館で働いた事があります。鬼怒川温泉の脇を通り抜けてその先に有る川治温泉も通り過ぎ、更にその奥にある湯西川温泉(栗山村)という県境に近い場所に位置する温泉郷です。ここで働いておりました。

 

どういった経緯でここで働く羽目になったのかは長い話になるので割愛しますが、まあ、随分とこき使われました。求人票には「フロントマン募集」などと書いてこそおりましたが、実際にフロントのカウンターに立たせてもらった事は一度もなく、「兎に角、(特に男は)ありとあらゆる雑用、力仕事をこなして業務全体を網羅的に知らねばならないから」という名目で、随分と色々な仕事をさせられました。

 

一度「修行で雑用を数年こなすのは当然として、どういう条件付けが揃えばフロント・内勤者になれるのか?」と上司に問うたと事があったのですが、体良くはぐらかされた記憶があります。まあ、接客労働系の仕事には、こういった事例が多いのでしょうね。

 

そんな湯西川温泉も他の温泉地同様に「案内所」というものがありました。予約なしのフリー状態でフラリと訪れたお客に旅館やホテルの空き部屋を紹介するもので、特にお客の多かった80~90年代前半は忙しい事も多かったのではないでしょうか。

 

そこで私は一人の女性と知り合います。彼女は生まれも育ちも宇都宮市で、市内でOLをしている時に旦那さんと出会い結婚、後に男子を出産しますが、それから数年たったある日、突然夫が「故郷の栗山村に帰って観光・記念撮影を生業としたい」と言い出したのだそうです。

 

まあ、現在は見る影もありませんが、当時は旅館業が大盛況な時代でしたので、これでも食っていけると考えたのでしょう。彼女は反対したようですが、最終的に旦那さんに押し切られる様にして宇都宮市のど真ん中から栗山村に引っ越し、息子さんも地元の小学校に転校する事となります。

 

旦那さんは「故郷に錦を飾れた」と大喜びだったようですが、その妻である彼女自身や息子さんにとって、この土地は必ずしも暮らしやすい土地ではなかったようです。

 

私は寮住まいだったのですが、食料の買い出しに出かける際に必ずこの案内所の前を通る形になっていましたので、よく「オニーチャン、ちょっと寄っていきなよ」とばかりに呼び止められて、よく色々な愚痴を聞かされたものです。何の利害関係もない他所から流れてきた他人同士、寧ろ腹を割って本音をぶちまけ易い所も多分にありました。

 

この彼女が語った愚痴の中に印象深い話が幾つかありました。

 

「引っ越してきて相当の時間が経っているにも関わらず、相変わらず余所者扱い、空気のような扱いで、『お前は真の仲間ではない』といった雰囲気がそっちこっちに漂っている」

 

「案内所で仕事をしていると、野良着や作業着に身を包んだ中高年の地元の男性、女性たちが通りがかりに『街育ちの女は気楽で良いな、そうやってただ椅子に座っていれば金を貰えるのだから』とよく嫌味を言われる」

 

「極めて性格に難のある男でも、男である、というだけで持ち上げられ、勝手気ままや他者に対して暴虐的な振る舞いを犯しても大目に見てもらえる。逆に女は隅に追いやられ我慢を強いられるし、まして余所者の自分は尚更冷たい扱いを受ける」

 

……また息子さんも苦労しているようでした。如何にも「都市の文化的な環境で育ってきました」と言わんばかりの色白で優しげな雰囲気の子で、実際、半歩踏み誤れば野生児のような地元の子供たちからイジメのターゲットにされる可能性の高い微妙な人間関係の中にいたようで、常にストレスを抱えていたのか、概ね言葉は少なく伏し目がちな雰囲気でした。

 

正直言うと、私もこの土地に有る因習めいた価値観や田舎特有の「壁に耳あり障子に目あり」と言わんばかりのプライベートの無さ、それに男性の大半は不良めかした粗暴で強引な雰囲気を漂わせている人ばかり、といった環境は好きではありませんでした。

 

「男は飲む・打つ・買うで当たり前。悪い遊びを散々こなしてヤンチャして一人前だ」と言わんばかりの男根主義的な価値観が蔓延した環境で、こういった事に全く興味の無い青年であった私はよくタチの悪い揶揄い(からかい)や嘲笑の対象とされる事も多く、よくウンザリさせられていましたので、一応男ではありながらも、彼女の抱える不安感や孤独感もいくらかは理解できました。

 

こんな田舎特有の因習や不寛容、男根主義的な価値観の蔓延した環境で暮らさざるを得ない奥方の苦悩をよそに、当の旦那さんは「そんなものはお前の気のせいだ、ここは兎に角良い土地なのだ」と言い張るばかりで全く耳をかさなかったのだとか。

 

まあ実に面妖な事ではありますが、大体脱サラして田舎に帰りたがるのは男です。「田舎に帰って手打ちそば屋を開きたい」などと突拍子もない事を言い出すのも概ね男だと思われます。これは田舎(故郷・実家周辺)というものが男にとっては住み良い場合が多いからです。しかし、女性はそうはいきません。

 

前にも書きましたが、その土地が持つ将来の持続性を測る最も手っ取り早い方法は「女性の流出率が高いか否か」を見る事です。何故なら「その土地に住まう上で立場が弱くなりがちな者、順応力が低めな者でも広く包摂できるか否か」というのが人口の維持、増加には不可欠な要素だからです。で、日本の地方自治体の殆どは残念ながら落第点だと言わざるを得ません。

 

で、何故こうまで地方の女性の流出が止まらないかというと、端的に言えばこの手の地方振興策が上記の「写真屋の旦那」みたいな視点で行われるからです。だから結局は死屍累々、失敗例の山という事とあいなる訳ですね。

 

これも反復的な内容になりますが「その土地の慣習、因習に馴染める適合者ばかりを求める方法」を取る限り、人口減少は止まりません。包摂力の無い土地は先細りを起こすしかないのです。

 

そうそう、一見関係ない話のようですが、思い出した序に。

 

かれこれ二十年近くも前になるのですが、あるラーメン店でアルバイトをしている際に、不貞腐れた働きぶりの女の子が数人おりました。

 

理由を聞くと「求人に事務員募集と書いていたから応募したのに、採用が決まっていざ働く段になるや、オーナーから『事務・経理の仕事はウチのカミさんや娘たちがやるから君らはホールで接客係をして欲しい、まあ、数年後には事務仕事の補助をさせる事もあるかも』という言われ方をして、不本意な形で接客仕事をしている」というのです。

 

以前も書いた通り、昔と違い現在の若者というのは手や靴を汚さず働けるオフィスワークや店舗内販売員といった室内労働を望む者がとても多い。

 

こういった心理に付け込み「将来は内勤にしてやれる……かもね」という曖昧な表現方法で求職者を謀る(たばかる)手合いが世の中には一定数いるものです。

 

ちなみに私は「業務全体を俯瞰的に理解させる為に、特に最初の数年間は雑用めいた仕事をさせる」という考え方自体は否定いたしません、ただ、仮に修行の為に現場労働をしても「こういう所まで辿り着ければ希望する業務への登用可能性も出てきますよ」という、大まかなゴールラインを提示するべきでしょう。

 

はぐらかしっ放しで「まあ、何時かは登用可能かもね」といった態度は不誠実に過ぎるというものです。

 

で、実に残念ながらですが、地方の企業というのは、このラーメン屋みたいな就職先ばかりだという事です。そして何よりも地方振興のトップにいる人々がこういったコアな問題に無関心なんですよね。何時までも人口が増えない訳です。