誰の中にも劣等感や自己嫌悪感、罪悪感はある。
それを正しく感じ正しく認めることはとても大切なこと
そして
そんな自分にこそ愛情を持ってあげたい。
そんな自分こそ優しく包み込んであげたい。愛してあげたい。
それを全て取り除こう、一瞬たりとも顔を出させないようにしようって言うのは大変で厳しい生き方になると思う。
もちろん、そうしたものばかりというのは、死にたい気持ちになるほど辛いものだから、ちゃんと自分を癒してあげることが大事だと思う。
そうではなくて「時々や少し」というのは自然な状態なのかな?
どうして、こうした話をしているかというと
そうしたネガティブと言われる気持ちを認めたくなくて
・トップに上り詰めよう
・権力を保持しようと躍起になってしまう人は
真の幸福と幸せを知らない
要は自分を愛せない人なのではないかと思うから
ここで話しているのは向上心とはまた別のことです。
弱い自分やダメな自分を受け入れられなくて
トップに立とうとしたり権力を保持しようとしたりする人は
たぶん、そこに幸せがあると信じ込んでいるんだと思う。
そうなった時に初めて自分を褒めてあげようと思っているのかも?
しかし、その傍らで罪悪感を積み重ねてしまう
沢山の人と自分自身を傷つけているから
トップに上り詰めることや権力を持つということは人から富や自由を不平等に奪うことと言えるだろうから、平等にしていれば大きな貧富の差は生れないですからね。本人に自分は傷ついているというつもりはなくても、人間として霊的に傷ついているのではないでしょうか?
このように自分に罪を犯させることは、自分に対する最大の攻撃?(うまい言葉が見つからない)。その結果、増々幸せや幸福感から遠ざかり、正当性を常に必要としたり、本人の気づけないところで不幸度が増してしまい、それゆえに横暴に振舞うようになったりしているのではないかな?
自分を愛すること大切にすることは大事なことだ。と、親は子供に教えてあげないといけない。なのに、子供が子供であることを「どうして大人のように思考できないの、振舞えないの!」っと言って怒る。世の中にそうした風潮があるから、それに従わなきゃならないと無自覚に思っていると思う。
しかし、親からそれをされたことがどんなに辛かったか思い出せれば、当時の痛みや苦しみを必要なことだったと正当化せず、ありのままに受け入れ癒せれば、自然と変わってゆける。
親から責められて育つと、しかり方、責め方、非難の仕方ばかりを学んでしまう。そして、大人になってからも自分にそうした態度をとり続けてしまう。人は愛してもらって初めて愛し方を学ぶ。自分のことも愛せるようになる。
勉強より、成績より、何よりも大切なことがある。それは自分らしさを歓迎してもらい愛してもらうこと。幸福は「どれだけ自分を好きだと思えているか」だから。
決して会社や肩書じゃない。
愛すべき自分を犠牲にして掴み取った物は「どういう理由で掴み取ったのか?」恐怖や不安を排除する為?劣等感を払しょくするため?自尊心を鼓舞するため?そうなら、そこには本物の幸せはない。
【放棄された日本の億万長者の屋敷】
どういう事情でここを手放さなくてはいけなくなったのか?事情は分からないが切ないですね。豊かな暮らし、まぁ、明らかにこれは必要ないけど(笑)私は、豊かな暮らしは楽しんでいいと思っています。ココは誤解がないようにしたいところですよね。
私の大尊敬している人アリスミラーの言葉で
「ゆりかごを揺らす手が世界を揺らす」という言葉があるのだが
本当に言い当てていると思う。
子供を持つこと、子育てをすることは神・業だと思う。全ての職業の中で最も責任が大きく重い。私はそれが正当に評価される社会にしたいと思っている。専業主婦に価値がないなんて考えは真実ではない。
人が優しい穏やかな気持ちになれる時ってどんな場面か?そこに人の本質があると思う。
様々な場面を思い描いてみてくださいね。
ここから離れると人は不幸になるんだと思う。人が人らしく生きれることって本当に大事ですね。
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美智子