心の池の泥って何? | 人生好転させ屋

人生好転させ屋

毒親育って、愛されて来ていない。手間暇、お金をかけてもらっていない。その経験から「どうせ愛されない・どうせ豊かになんかなれない」という疑いや信念を持ち、夢や希望を持てない、途中であきらめてしまう。そうした負の人生を好転させるブログ

心という池に溜まっている泥

これって、そのほとんどは「痛み」「苦しみ」という「あなたの生命を危険に曝すもの」。

*あえて、分かりやすくするためにこう書いています。


私を、「傷つけないで」「苦しませないで」という

「生命への危機ストレス」を押しのけようとする行為が「怒り」



命を圧迫する物を押しのけようとする行為は悪い事ではありません。

必要な事です。

*人や生き物にぶつけるのは言葉や肉体的な暴力でしてはいけない事です。


人や生き物、自分に危害が加わらないように

あなたを苦しめている物を押し払う行為は必要な事です。


私達は、命を守るようにデザインされています。


「払いのけている行為」は

・酷い性格だ

・悪い人だ

と、いうことではありません。



食べたら、便を出すように、必要なことです。

何らかの理由で傷ついた、その痛みを「怒り」を使って払いのけたい

・筋が通らないことだってあります。

・理不尽な時だってあります。

でも、痛みで苦しい時、そうした「こと」はちょっと脇に置いて

痛み、苦しみを怒りの力を使って身体から吐き出しましょう。



それは、許されて良いと思う。

*人に直接ぶつける事を許すということではありません。

*安全な時空間で、自分を慰める為に行う事は許されるということです。



こうして「痛み」や「苦しみ」が心身から出て行くと

自然と、・物事の成り行きや ・相手の気持ち

などが把握できるようになって来て

・反省が必要な所は、反省ができるようになれるし

・伝えなきゃと感じていることは、伝えられるようになれるし

・感謝を伝えたい時は、伝えられるようになれるし


自分らしさや冷静な思考力が戻って来て

「やらなきゃならない」と頭で分かっていることが

無理なく出来るようになれます。



『無理なく出来るようになれる』ためにも

理不尽でも、道理が通っていなくても、

「痛み」や「苦しみ」は一度思い切って吐き出すことをお勧めします♪



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

痛みや苦しみから生まれた感情毒を吐き出すこと

どうしても、道徳観にさいなまれて難しいですよね。。。。

罪悪感で、嫌な気分になりますしね。。。。

でも、感情毒の弊害がどれだけの物か分かったら

出す方が良いって思ってもらえるようになると思う。


だれも、傷つけないし 

罪悪感というモノとどう向き合えばいいのか?

それも、学べるし。 

ここは本当に大きいかな?