障害とダメージは別物 | 人生好転させ屋

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毒親育って、愛されて来ていない。手間暇、お金をかけてもらっていない。その経験から「どうせ愛されない・どうせ豊かになんかなれない」という疑いや信念を持ち、夢や希望を持てない、途中であきらめてしまう。そうした負の人生を好転させるブログ

以前にも書きましたが、小児期の疾患および障害の範囲が広まり増加している

今は本当に増えています。


私が子供の時は一学年に1人か2人でしたが

今は、一クラスに2人か3人は居る感じかな?


これは、親のせいでもなければ

子供が自ら好きで選んだわけでもありません。


神様が、親や子供に罰を与えたわけでもありません。


障害に関しては、長年付き合っているうちに

各自、自分なりに何とか補えるようになってきます。


所が、障害が障害と認めてもらえず

・怠けている

・ふざけている

・バカにしている

などと捉えられて


そうした「根性・悪い癖」を叩き直してやるとばかり

厳しく接せられた子供は

その事で深いダメージを負っています。


・やり方を教えられること

・習慣をつけること

これらは、障害に対しての正しい対応ではありません。


その人(子供)一人一人が、自分に合うやり方を模索して身に着けていくこと

そのために必要なことを提供してくれること

本人たちはこうしたことを望んでいます。


「こうすること」が正しいから「こうしなさい」

「こう思うこと」が正しいから「こう思いなさい」

あわわわわっ


これは本人を否定し切り捨てること

障害があろうが、なかろうが

人としての尊厳(感覚)はちゃんとあるんです。

障害がある=人としての尊厳=喜怒哀楽の感覚は無い

なんてことは決してない


痛みも 悲しみも 喜びも 尊厳は持っているんです。

「これが正しい」という押し付けはとても苦しいものなんです。


特に障害がある人は

様々な事を理解するのに時間がかかるから余計です。

分からないという感覚がボンヤリとあるので【理解したい】という欲求が強い

なのに… 理屈なんか知る必要はない 機械的に反復すれば良い

*理屈なんか知る必要はない→理屈は説明できない→求めるなかれ



理屈が伴わない------これが苦手なんだなぁ

一つ、一つ、理屈を知りたい ここがとても大事

こうした所、障害がある人には共通しているんじゃないかな?


私は子供の時、理屈が分からない物はすべて「切り捨て」というやり方でした(笑)

叩かれようが、怒られようが、どうにもならなかったですね(笑)





障害自体は、回数を重ねて各自自分なりに補えるようになってきます。

特にボーダーの人は、大人になるころには大きな問題ではないことが多いです。


しかし、ダメージは障害のない 知能指数の高い 社会性の高い人でも悩まされます。


有名でお金持ちの芸能人、でもドラッグにはまり、ついには事故死とかありますよね?

ダメージは「補う」というものではないんですよね。


ダメージ→親から自分らしさを受け入れ愛してもえらていない←これが苦痛の種。

受け入れ愛される感覚を得たくて有名人になったのに…親からのモノとは違う

欲しかったのはこんなもの(憧れの眼差し)じゃない


いったい「何に」満たされないのか?いつまでたっても分からない。。。

なぜなら、有名でお金持ちになった今の自分は親から歓迎されている


大事なのは記憶から消えている

子供の時の自分が愛されているか?いないか?


子供を将来苦しめたくなかったら

子育てで苦しみたくなかったら

まずは自分を癒すことです。



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