子供が「にくたらしい」理由
①自分と子供の幸福度を比べている
私はこんなに大変なのに、あんただけ楽をしてずるい
②子供が自分を不愉快にさせていると感じている
どうして私の言うことを聞かないの
③子供が邪魔
(時間や行動が拘束され)思い通りに動けない
おおそよこんな感じかな?
③に関しては「生まない・作らない」という選択がありました。
出来た子供を、おろすといういう罪や痛みを受けたくなくて、生んだ
いずれにしても、子供を作り、生んだのなら、育てるという責任があります。
覚悟はできていた、しかし、思っていた以上に子育てが【大変、辛い】というなら
ぜひ、ひき続き読んでください。
①と②に関しては ③に関しても
お母さん、お父さん、あなたに原因があるわけではありません。
ましてや性格や人格の問題でもありません。
これは負の連鎖の結果です。
あなたのお父さん、お母さんにも責任はないです。
あなたのお父さん、お母さんも負の連鎖の結果にすぎないのです。
だから、『全てを水に流して忘れろ』という話ではありません。
辛くても、痛くても、真実に目を向け、『この問題を終わらせよう』という話です。
真実=子供時代が不遇であった、だから子育てに苦痛が生じる
大人になった今も、子供が親に求める「愛や注目、評価」に飢えている。大人になり切れていないまま(あなたも、あなたの親も、そのまた親も)親になっている。そのために子育てが難しい。
子供時代を「癒して・満たして」楽に子育てが出来るようになろう
親(あなたの親)と子(あなた)の間に
「社会からの評価に対する怯えや、社会や将来に対する不安」があった
「社会とは弱者を虐げる怖い所だ」という感覚や認識がある。
もしも、大勢の人がYESと答えるなら、「社会は間違った状態にある」と言えると思います。
人が怯えながら生きなくてはならない社会というのは、健康的な視点からしても間違いです。
横暴と怠け者と弱者は、しっかりと見極めが出来きることが重要です。
「弱者だからと言って虐げても良い」という社会思想は成熟した社会とは言えないです。
必要以上に努力や無理を要求される社会も成熟しているとは言い難いですよね?
「怯えや不安に基づいた子育て」ではなく、「真心や誠意」で子育てが出来る状況があった
一昔前、二昔前、子供に対して
一人の人間として尊厳を尊重してあげられる子育てが出来ていたでしょうか?
昔ほどではなくても、今においても、そうではないケースが多いかと
今は…お受験とか、別の意味で昔より過酷かも。。。
第一は、子供が親に求める「愛や注目、評価」に飢えているままの大人が大勢いるから。
人は死ぬまで、これらでもって心が満たされること、温められること、を求めます。
満たされていないままでは人に与えることが難しい。自分の子供に対しても
結果子供が飢えから暴れる
子供を信頼できず、怯えや不安から子供をコントロールすると子供は尊厳を蔑ろにされたことで暴れる
異性など愛する人に与えているのは、与え返してくれることを無意識に当然と思っているからです。
与え返してほしくて与えます。
帰ってこないと分かると心が冷めます。中には狂ったように暴れます。
これほど幼児性の欲求は満たされていることが重要なのです。
また、それらを諦めて心を閉ざすことも、とっても辛いことです。
「子供時代が不遇であった」と、認めることは辛いことです。
誰でも避けて通りたい。
子供時代が不遇だった=親がダメだった ということじゃないですか?
誰がそんなことを認めたいですか?
しかし、ここには大きな間違いが存在しています。
あなたの子供時代が不遇だった=親は負の連鎖で苦しんでいた。ということで
あなたの子供時代が不遇だった=親はダメだった。ではないのです。
癒せばはっきりと理解できるようになれるのだけど…
自分の中に恨みがあればあるほど=親はダメだった。に光が当たる。
しかし、インナーチャイルドはどうしても、親を嫌いになれない
そのために過去を注目することを拒んでしまう。
結果 負の連鎖はいつまでもなくならない。
生まれてきた子供はみんな親から愛してもらえるものだと思っています。
ところが、親にとって一番大事なのは
A その子自身ではなくて
B 立派な子供であること→立派な大人になること
社会が間違っているから親は間違ってしまっている。
B が何を意味しているかというと
私は「あなた」は要らない
私は「私の言いなりで 学業優秀で 母としての私が褒められるような子供」が欲しい
生まれて来た子供は、その子自身であるべきではなくて
親の望む子供に変身しなくてはならない
これは、まだまだ未熟な社会という温床があるから。
【温床】おんしょう→苗を育てるために床土を温かくし、生育の邪魔から保護された苗床のこと。
・子供は中身のない空っぽなので、大人が中身を詰め込まなくてはならない。
・子供には道徳を理解する知能がないので、大人は善悪を痛みを使って叩き込まなければならない。
・子供はバカで、嘘吐きで、根っからの悪なので、大人はそれを叩き直さなくてはいけない。
負の連鎖を保護するような状態(このような信じ込み)が社会にはまだあります。
社会や親が子供に対して「こうした発想しか持てていない場合」
①これを基盤に子供に接する
②子供の尊厳はどんどん傷つけられ
③いつしか自分は取るに足らないつまらない存在だと思い込むようになる
④自分を好ましく思えないので生きていることが辛い
⑤苦しみを払拭することだけが生きる目的になる
⑥人生を楽しむこと 生きていることを喜ぶこと などの時間は…少ない/持てない
しかし、真実は
子供は単に発達過程で
・空っぽではなく
・優しさに関しては大人以上にやさしく 道徳は大人以上に強く
・賢く 真実を見抜く心の目が鋭く 根っから善良である
ただ、経験が何もなく知らないことだらけ
知らないことだらけでも、恐れずなんにでも挑戦する素晴らしさ
脳も筋肉も言語能力も未発達でとても弱い
弱い自分を守るために、持ちうる力を総動員している
社会や大人がこのことに気づき
子供に対する態度を改められたら…
本当の、「傷ついてねじれた状態ではない」真の人間が社会を構成していくことが出来るのに
子供とは-----取るに足らないつまらない者
間違ったとらえ方をされ、捻じ曲げられ
人が生きる環境とは-----弱者が制裁を受けるのは当然
間違った発展を遂げた社会が人間の凶器となり人を苦しめ
この苦しみから抜け出せなくなっている。
負の連鎖はどこまでも続く~よっっっ
でも、気付いた人から止められる
自分を癒すだけで良いだもんね♪簡単なことだ
サポートしているのでぜひお声をかけてくださいね。
子育てが楽になりますよ![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)