涙には三種類あります。
①目の粘膜を守るためのもの
①目の粘膜を守るためのもの
②目に入った異物を洗い流すためのもの
③痛みや感情に反応して出る涙
今日は③の涙についてお話したいと思います。
この涙は人間とラクダが流します。
他にもいるのかもしれませんが私の専門外なのでご容赦ください。
ラクダは自分の子供を亡くした時や出産でひどく辛い思いをした時など、
何日間かの内に涙を流せないとそのストレスから死んでしまいます。
なので放牧民はラクダに涙を流させるために「ホーミー」を歌うのです。放牧民にとってラクダは命です。死なれては大変なのです。なので家族のだれが歌っても子供を亡くしたラクダが涙を流さない時は、急いで馬を走らせてホーミーが得意な人を連れて来て歌ってもらうのです。
神戸の震災の時、震災後に脳梗塞などで亡くなる人が多いことが気になった医師が、なぜだろうと疑問に思い調査・研究したところ、強いストレスを感じて、体に傷口が出来た時と同じような血液状態になっている事を発見されたそうです。
体に傷口が出来たとき、血液の中の血小板がかたまり(血栓:けっせん)をつくり、傷口をふさぐごうとします。
このことから、精神的な痛みにも、同じ痛みとしての機能が働いているのでは?というのが、この医師の見解だそうです。数年前に知人から聞きかじっただけなのであいまいな情報ですみません。せめて、医師の名前を思い出せれば良いのですが…
涙の成分の中には中枢神経と副腎皮質でしか産出されないとされていたロイシンーエンケファリンという物質が確認されています。
この物質は,痛みを軽減するとされている脳内化学物質エンドルフィンの仲間でありストレス(身体的疲労感や精神的圧迫感)によって生じた免疫系の変化,気分,不安,発作などに対する神経反応を和らげる事で知られています。
このことから、心身で感じ脳内で分泌されたストレス成分の排泄口が涙なのではと言われています。
精神的安心感が得られ『もう緊張は必要ない』と、心=脳はゆるみ、そうしたものを解放するようです。
子供が迷子になったとき、母親の顔が見えて初めて泣くのは安心感からです。緊張体制は必要なくなった!と、それまでの分泌物を排出するのです。
ところが私たちの多くは…外部からの刺激により体内に発生した身体感覚や感情をどのように扱うべきなのか適切な方法をいまだに知らないままでいます。
本来ならば悲しい時は…悲しみが晴れるまで泣くこと。
その悲しみに誰かに付き添ってもらったり
(一人では心細くて向かい合えません)
抱きしめてもらったり、
(一人では心細くて感情消化を行えません)
気持ちを理解してもらい
慰めてもらい
心を…緊張前のようにまた緩められることが大切です。
ところが、残念なことに【泣く事は「おかしいこと」「かっこ悪いこと」「恥かしい事」という概念】がまだまだ根強く残っています。超残念(T▽T;)
「悲しい時こそ、楽しいことを思い出して楽しくしよう」とか
「そのくらいの事で負けちゃいけない」とか
「泣いてどうなる」だとか
どれも体内に発生した身体感覚に対する否定的な考え方です。
早くこうした考え方がなくなることを望んでいます。
代わりに、
「いいよっ、いっぱいないて。泣き終わるまでずっと側にいるよ」
「悲しくなったらいつでも呼んですぐに駆けつけるよ」
こうした、やさしさを受け取ることは大事なこと
決して恥ずかしいことじゃない
提供されたら素直に「ありがとう」と言って受取ろうね。
また、必要な時は声を出すこと♪
「なんだか、寂しい、元気が出るまで傍にいて」
大事なことだから、恥ずかしがらないでね。
恥ずかしいことだと思って健康を害したら
もったいないよね♪