苦しみが生まれる場所 | 人生好転させ屋

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毒親育って、愛されて来ていない。手間暇、お金をかけてもらっていない。その経験から「どうせ愛されない・どうせ豊かになんかなれない」という疑いや信念を持ち、夢や希望を持てない、途中であきらめてしまう。そうした負の人生を好転させるブログ

苦しみ

人と人との競い合いの中で生まれてくる


給料の額

学歴

容姿

人間性

家の立派さ

車の立派さ

持ち物

こうした競い合いの中で生まれる。


自分の中に確固たる自信があれば、

そうしたことで…相手をあおったり

そうしたことで…あおられ揺らいだりしない



まず大事なのは、自信を持って私は素晴らしいと言えるようになることですよね。

~だから素晴らしい、ではなく、

ありのままの自分が素晴らしいと胸を張って言えることだと思う。



ところで、考えたことありますか?

雑誌は時にそうした競争心をあおる題材になっていたりすることを

(人は競争心に煽られていると冷静な判断が出来ない事を)



かっこいい事綺麗な人が比較的多く誌面上に記載され、そうした人たちだけがスポットライトをあび、ちやほやされている。また、かっこよく見せる演出というものも必ずされている。ちやほやされるというのは、とても気持ちの良いことで、誰でもそうされたいと思うもの。



こうして、自分の中の何か?が無意識にあおられたりしていることがある。

そして、提唱するスタイルを追いかけさせられ、求めさせられている。

そこからはみ出ていることは、避難される対象となることもある。

(数年前、海外のクライアントさんでそのために何度も危険な手術をしたり、学位を必要以上に求めたりして、精神的に擦り減っていた人がいました。)




誰かについてのカッコ良い記事を読んだ人は、それがその人の全てだと思い(時にはそうだとほのめかされていたりする)自分と比較する。そして、自分はダメだと落ち込んだりする。


でも、誰でも一つや二つは、自分の中に人様から非難を買うかもしれない人間としての隠し事があったり。人には知られたくない、だらしなさ、変なくせ、持つべきではないとされる感情、隠しておきたい失敗…などがあったりするものだと思います。




一昔前の芸能人は、理想の人を演じるように言動を制限されていた。ジョディ・カーペンターなど、それは、昔は素晴らしい人にだけ人気が集まったからだ。そして、それは国民の為だと責任を感じさせられていた。それは経営者の利益のためだったりしたようだけど。。。


その為に人間らしく生きられず心を病んでしまったスター達、人目が無い陰のなかで、無理して溜った膿を吐く、お酒を飲んだり、薬に手を出したり、世間には理想的な人の一面を見せているだけに、自分の中のギャップから自責の念が強まる。追い詰められた苦しい立場です。



人が人の弱さを非難しなくなれば…誰も

隠し事などしなくて良くなるし、

生きる事が楽になるし、

水面下で問題が膨れ上がってもう手遅れだ!

なんて事もかなり減ると思うんだけど。。。


イギリス元皇太子妃ダイアナは、自らを造られた虚像から救い出す為に「私は過食症でした」と告白本を出版した。人間らしく生きたいという決意と実行だと思う。そして、これはとても沢山の人に勇気安堵感を与えた。心が病んでいることは恥ずかしい事じゃないんだ。完璧じゃなくても良いんだ。彼女のように元気を取り戻せるんだ♪



メディア製作側としては、人の求める理想を見せてあげたかったのかも知れないが…最近は、当事者はそこから発生する苦しみを避けたくて、自分はとるにたらない人間です等とテレビを通じて発言する事が増えたように思う。


製作側はそうした事で人気が落ちると思っていたようだが、これがなんと!大好評!その発言から安心感を得た視聴者が大歓迎したからだ!理想を追うことばかりを押し付けられて苦しくなっていたんだと思う。


それを期にメデイアの方向性も人間らしさをカミングアウトすような番組作りをするようになりはじめた。これには大歓迎な私♪


…だが中には、本人がまだカミングアウト出来る状態では無いのに無理矢理…人の痛みを許可無く暴き出し勝手に公表しているメディア…パパラッチ系も

人間性を暴いてやったとでも言いたそうな乱暴な記事、

人間の弱さを攻撃しているかの様な記事しか書けないって事はないはずなのに…

そういう記事でなきゃ許可が降りないのかな?って疑問に思ってしまう。



人間ならだれでも、そっとしておいて欲しいって気持ちを持ってる、

そうした人間の心も踏まえて書くこと、出来ないはずないと思う


きっと、人間のちょっとした過ちを優しさや愛情で包み、本来向かいたかった方向へと導いてあげられる、愛に溢れた文章を書ける記者はいっぱいいるはず、そうなれば次の犯罪や、更なる怖い犯罪に進展しないと思うんだけど。。。


人は痛みを向けられても優しくなれない。



人から歓迎される姿でいられるのが一番良い♪でも、今みたいにそうなりたくても、なれない時だってある。職場で追い詰められて心がトゲトゲになって帰宅してしまうことだってある。


それを叱ったり非難するだけの文化?はもう終わって欲しい。そうした人を見かけたら、そうした気持ちになることを理解し、許し、慰め、本来の元気が出せるまで休ませてあげられる世の中に成長して欲しい。


そうすればそんな時、何かの拍子に困ったことになってしまう事が減ると思う。


こうして人に心の栄養を与えるには

自分の心が潤ってなければならないし、

決して何の労力も時間もかかってないわけではない。

なので、そうした親切には必ず実生活レベルの感謝は必要。

これが請求しないと出てこないから誰も面倒がって与えたがらない。。。

ここの仕組みが変わる必要もあると思うよね♪





読むと間接的だが胸を刺される様な痛い文章…

書きたくて書いてると思いたく無い、

お金が集まるから、書かされているのでは?ってどうしても疑っちゃう。



そうした文章にお金が集まるのには…意味がある。

身を守ろうと言う心理が働くかららしい、

昔読んだ本に、危険度が高い情報ほど

人は我身を守ろうとして手にいれたがる=売れると書いてあった。

吊り広告に

目が胸が痛い攻撃的な言葉ばかりが羅列されているのは

それを狙っているからか?


しかし、そのお陰で無意識に

~はOK ~はNG と強迫されている。

失敗してはいけない、血祭りにあげられる。

この世の中は怖いと教えられている。

こうした緊張感は精神健康に良くない。



これは、中世の村の管理の仕方とよく似ている。

罪人を村人の前で懲らしめて、恐怖心を植え付ける。

こうして、日頃からおびやかしていれば簡単にコントロールできる…

今は情報と言う恐怖で潜在的に脅かされている気がする

電車の中から目や胸が痛い言葉がなくなって欲しいと思う。

そう願っているのは、私だけじゃないと思う。。。。




そんな中♪

深いい話泣け歌会わせ屋みたいな人の心を愛で震わせるような番組が増えて来て本当に嬉しい♪やはり皆そうした心に温かい優しいものを求めてるって証拠ですよね(笑)

その事がとても嬉しい♪こうした流れをみんなで応援できると良いですよね♪