一度だけ、天国の父に会いました/息子の大希にこの家を買ってやれ | 一度だけ、天国の父に会いました

一度だけ、天国の父に会いました

そして、不思議なことや不思議なものを、たくさん見せていただきました。

――― その5 息子の大希にこの家を買ってやれ  (続き) 

 

 

 そのようなことから、新築年月日が8と5の組み合わせになっているこの建物を手に入れた、というのは、決して偶然じゃないのではないか、と思えてきたんです。だって、ちょっと考えてみてください。

 

 このご霊さまが、もし、ぼくの父だとしたならば、子であるぼくの生年月日を知っているのは当たり前です。でも、ぼくが26歳のときに女房と一緒になったんだけれど、その時すでに天国に行っていた父が、ぼくの結婚相手の生年月日を知っていたなんて、信じられないんです。なぜなら、あの世にいる父にとっては、ぼくの女房のことを知るすべなんかないはずだからです。

 

 ここまで詳(つまび)らかになってくると、このご霊さまは、ぼくと女房の生年月日を何らかの方法で知って、そのご霊さまが「いい物件を見つけておいたから、これを買ってやれ」と言わんばかりにお膳立てをしてくれていた、としか考えられなくなってきたんです。

 だから、息が留まるくらい驚いたんです、そんなことってあるんだろうかって。

 

                   

 では、どこからがご霊さまのお膳立てなのか、と振り返ってみると、その境界がはっきりしません。強いて言えば「会社を辞めることも選択肢の一つだ」と息子にアドバイスしたときからだと思います。しかし、このアドバイスが自分の本心からなのか、と問われると、「はい」と明確に返事をすることができないところがあるんです。

 

 将来のことなど見通すことなどできるはずのないぼくにしてみれば、よくもまあ、そんなことをけいけいにいえたもんだな、と思うからなんです。しかし、いつまでも快気しないでいる息子を案じていたぼくの口から出た言葉であることは、間違いないことですけど。

 

 そして、それから数ヶ月後に息子は会社を辞めたのですが、同時に、生活が成り立たないという剣が峰に立たされたのです。 

 

 「これは困った」と天を仰ぐぼくの頭の中に、突然に湧き出たことは「お前は1500万円を持っているじゃないか。そのお金で家を購入して息子に住んでもらえ」という「提案みたいなもの」だったんです。

 

 「そうか、そういうことか」と気付いたら、とんとん拍子に事が運んだのです。これはまさしくご霊さまのお膳立てによる助け舟だと思います。ぼくが、無い知恵を絞って考え出したアイデアではなかったからです。

 

 実は、もう一つご霊さまのお膳立てではないか、というようなことがありました。この建物を買う話の2年ほど前でした。ぼくの退職金で国債を買おうか、とN証券に申し込みをしたんです。

 この証券会社の指示に従って国債の購入資金を銀行のATMから振り込もうとしたんだけれど、何度も操作をしてみてもエラーが出て、振り込むことができなかったんです。

 

 N証券に電話を入れて確かめてみると、N証券の担当者から伝えられていた振込先の口座番号に間違いがあることが原因だと分かったんです。「何だ、N証券はいい加減だな」ということで国債は買わずにその資金がぼくの手元に戻りました。

 

 その2つの出来事のお陰で1500万円の現金が手元に残り、この息子夫婦に住んでもらうための家を購入することができたのです。

 

 あってはならないこの振込先口座番号の間違いも、ご霊さまがなさったことだな、と今とな

みるとそう思えるのです。なぜなら、証券会社の営業マンが、自分の会社の振込先を間違えるなんて、絶対にありえませんからね。そんなことを可能になるのは、「目に見えないご霊さま」だけですからね。

 

 「お膳立て」というのは、何かを行う際に必要な段取りとか準備を行うことをいいますが、息子の適応障害によってぼくがとってきた一連の言動は、自分自身の意志ではなく、ご霊さまが企てた「お膳立て」によるものと思われます。

 

 しかし、人間であるぼくがご霊さまの企てた段どり通りに動いてしまうのはどうしてなのでしょうか。しかも、そのご霊さまの考えた段取りに沿って動かされているなんてことはまったくきづくことがないのです。

 

 あたかも、何時もの、自然な自分の意志によるもののように行動するからなんです。ぼくはこれを「ご霊さまからのテレパシーと念力によって動かされた」のだと考えています。テレパシーという耳の鼓膜を通さない超感覚的な伝達方法によって伝達されたぼくと銀行員の意志が操作されてしまったんです。

 そういった超常的な伝達方法によるもの、としか考えられないんです。

 

 テレパシー(Terepathy)というのは、人の五感や類推などの知覚に依らずに、外からの情報を得る手段のことで、例えば、頭の中にイメージを描いただけで、そのイメージが相手に伝わる、というような伝達手段をいいます。脳波というのがもっと強くなってその意味を解析することができるようなると実現するのかも知れません。

                               

 また、念力ねんりき というのは、一心に思い込むことによって湧いてくる力、というのが一般的な意味ですが、ここでは心霊現象の一つとしてウィキペヂアでは次のように記述されています。

 

 ―――英語でSpychokinesis(サイコキネシス)といい、意志の力だけで物体 あるいは精神的な思考を含んだ概念を動かす能力のことで、遠く離れたものを動かす遠隔移(Terekinesis)を含んだもの―――、とあります。

 

 つまり、自分自身の体験からもっと分かりやすく説明すると、ご霊さまの思いや意思というものが強い念(ねん)となってぼくに送られてくると、それを受け留めたぼくの思いとか意思というものが操られて、ご霊さまが念じたとおりに行動してしまう、ということなんです。

 だから、気が付くと「えっ、どうしてこんなことをしたの」ということになるんです。

 

 ぼくが経験してきた不思議体験の多くが「思いがけない言動をしてしまう」というものですから、自分自ら湧き出たものではない「ご霊さまから送られてきた念」を受け取ったことによるものだからなんでしょう。

 

 こういったことは多くの人たちが体験しているはずなんですが、ご霊さまから送られてきた念力によるものかもしれない、と認識する人はほとんどいないのではないかと思います。

 

 

 

その三 動物や路傍の石からも「思い」というものを感じる

 

 一話 返事をしてくれたあの世のブーちゃん

 とても可愛がられてあのよに旅立ったペットの動物たちは、優しかった飼い主の話し声をそっと聴いているんです。

 

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 息子が22歳で、ぼくがちょうど50歳のときでした。その息子が長期の地方異動になって成田の自宅には帰ることがない、と分かってから、女房は息子の部屋にベッドを移して一人で寝るようになりました。

 

 女房が睡眠中に起こす大きないびきと、間欠的に呼吸が止まった時に発せられる「ガガ――ッ」という喉からの騒音を、ぼくが窘(たしな)めたことによる対応でした。

                                 

  それだけではなく、6畳の和室に二つの布団と枕を並べた和風スタイルから、寝起きの楽なベッドによる洋風スタイルへの切り替えでもありました。

 また、この時も「睡眠中に呼吸が止まることがあるから、医者に診てもらったほうがいいよ」と重ねて伝えていたけれど、女房はなかなか御輿(みこし)を上げることはありませんでした。

 

 ところが、それから2年ほど経ったある日、どういう風の吹き回しか知らないけれど「友達と一緒に睡眠時無呼吸症候群(略してSAS, Sleep Apnea Syndrome)の後縁を聴きに行く」と言い出したんです。

 

 「おお、それは結構なことですね」と。隣町の佐倉市にある東邦大付属病院で行われる講演会に出かける妻を、ぼくは手を振って送り出しました。

 夕方帰宅するなり妻は「無呼吸症候群の怖さがよく分かったので、無呼吸診断検査の予約をしてきた」といい、あの重たかった神輿を上げて、素直にぼくの言うことを聴くようになった変貌ぶりに驚かされました。

 

 その予約日がきて診断検査が行われた日、ぼくが仕事を終えて夕方に帰宅すると、自分のベッドに腰を掛けて何やら酸素マスクのような形をした睡眠時の無呼吸を防止する補正器とやらを手にして浮かない顔をしていました。

 

 「今日、検査を受けtてきたんだろう、どうしたの」ときいてみると「中程度の無呼吸があるから寝るときにこのシーパップ(CPAP)というマスクを着けなさい、と言われたけれど、気が進まない」と言うんです。

    

 その理由を聞いてみると「このマスクは就寝中に連続して空気を送ってくれるんだけど、この電動ファンが故障して呼吸ができなくなってしまうのではないか、という恐怖感や、鼻さきに異物感で眠れそうもない」というんです。

 

 「そりゃあそうだよな。こんなものが鼻先についていたらオレだって眠れないよ。少しづつ慣らしていったらどうなの」と返すと、「うん、少しづつ練習してみる」と応えて、マスクの着脱具合を少し練習して、その晩は装着しないで寝床に就いたようでした。

 

 あくる日の夜もマスクを着けて実際に空気を流しながらその具合を確かめていたのでしょう。突然「うお――っ」という叫び声が聞こえたので「どうしたんだ」っと、妻の寝室の駆け寄りました。

 

 すると、恐怖に震えた赤ら顔を向けて「マスクを着けて咳き込んだら、呼吸ができなくなった。死ぬかと思った」と興奮しています。「大丈夫、だいじょうぶだよ。ちゃんと呼吸をしているよ」と背中をさすりながら落ち着かせて「今夜の練習はこれでおしまいにしよう」ということにしました。

 

 これを機会にぼくは、睡眠時無呼吸症候群、略してSAS(Sleep Spnea Syndrome)について勉強してみようと思いました―――――。

 

 ーーーーSASは就寝しているときに舌の付根である舌根部(ぜっこんぶ)や軟口蓋(なんこうがい)という歯肉の内側の一番奥の部分が軌道に落ち込んで、上気道を閉塞させてしまう気道閉塞型と呼ばれるタイプが殆どで、妻の場合もこのタイプに該当しますよ、と言われたようです。

 

 その結果、睡眠中のいびきの発症や呼吸の停止、あるいは中途覚醒場度を何回となく引き起こす、とされています。だからそのまま放置すると、昼間の強い睡魔に留まらず、就寝中の低酸素状態に陥って血圧が上昇したり、虚血性の心疾患を発症させたりする引き金になる、とされています。

 

 また、無呼吸症状の程度は、睡眠ポリグラフ検査という検査法で確かめらrます。これは1時間当たりの無呼吸回数と低呼吸回数の和を睡眠時間で除した無呼吸低呼吸指数AHIというしすうでしめされて、その程度を評価しています。

 妻の場合は、そのAHIが30と診断されて「中低度」の無呼吸症候と説明されていました。

 

 この舌根部と軟口蓋による気道への落ち込みにより起こる無呼吸状態を解消する胸式気がCPAP(シーパップ Continuous Positive Airway Pressur)と呼ばれるものです。文字通り、連続的気道陽圧器と訳されて、圧力を高めた空気をh名の穴から肺に連続的に流して、落ち込んだ舌根部と軟口蓋を押し広げて木戸を開放します。

 

 従って、吸気圧力が必要以上に高かったり、風邪をひいて咳き込んだりと体調が良くないときは使用を避けたほうがいい、とされています。連続的でなく患者の呼吸パターンに応じて自動的に圧力を調整するAPAP(エーパップ、Auto PAP)というのもあるようですが、病院からのレンタル機器はCPAPだけでした。

 

 また、下顎を前につき出して気道を確保するっマウスピースもありますが、中程度の患者には目的を果たせない楊でした。

 では、マウスピースでは用をなさないし、CPAPに恐怖感を抱いているような妻みたいな患者にはどのような矯正法があるのでしょうか。しばし考えているうちに、ぼくはあることを思い出したんです。

 

 それは、睡眠中に大きないびきと無呼吸を繰り返している妻と枕を並べて、和室の6畳間で就寝していたころでした。顔を上に向けてガーガーと騒音を発している妻の頭を小突いてちょっと横を向かせると、その騒音がピタッと消えて大人しくなることでした。

            

 それは騒音の発生源である舌根部や軟口蓋の落ち込みが横を向くことによって、わずかながらも空気の通り道が確保されたからなのです。

 

 「お前、五個を向いて寝ればいいんじゃないの」と提案してみたんです。すると「えーー、横を向いて寝たことなんてないよーー」と言い返されたんです。横向なんてしたことないから不安なんでしょう、

 「ガーガーやっているお前の頭を小突いて横に向かせると、ピタッといびきが止まるし、無呼吸もなくなっているよ」ダメ押ししても、まだ不安顔です。

 

 そこでぼくの書斎にあるPCで「横向き寝(ね)寝具」と検索してみると、横向きで寝るための枕や大きなバナナのようなかt地をした横向き用抱き枕など多くの横向き寝のグッズが市販されていました。

 

 それらの画像を妻に見せながら「この状況を先生に話して意見を聞いてみたらどうだい。⒴個を向いていびきをかかなければいいんだから、横向き用の枕と抱き枕を購入して試してみたらいいんじゃないか」とアドバイスをすると、みるみるうちに妻の顔色が安堵の色に変わっていきました。

 

 その時です。「にゃーー」と大きな猫の鳴き声がぼくの右側の耳元でしたんです。あまりにも耳の近くで鳴かれたので、思わず右耳の耳殻(じかく)を払いのけたのですが、その鳴き声は一度キリでした。ぼくはとっさに、この鳴き声はきっとブーちゃんだと思いました

         

 半年前に亡くなってあの世にいるブーちゃんが、僕と妻の会話を聞いていて「その通りだよ」と応えてくれたのだと思いました。この鳴き声はぼくだけにしか聞こえなかったようで、妻は怪訝な顔を向けるだけでした。

 

 ぼくの愛猫ブーちゃんは、黒と白のぶち模様をした毛足の長い大型の洋猫で、毎晩、ぼくと寝起きを共にしていた癒しの猫ちゃんでした。だから「ブーちゃん」と呼べば「にゃーー」と応える「ブー・にゃーの仲」だったんです。

 

 ブーちゃんは、アメリカの留学先から帰国した長女と一緒に連れて来られた帰国猫ですから、ぼくがぶーちゃんと暮らすようになってからかれこれ十数年になります。猫の平均寿命が15年余と言われる中でブーちゃんも寄る年波には毛てずに、めっきり年寄りじみた歩き方になってきました。

 近所の獣医師に診てもらうと「糖尿病だね」と診断されて二日間の入院となりました。退院の日に「院内治療しても回復が難しいから、自宅でインシュリン注射をしてあげてください」と、インシュリンの入った小瓶と注射器セットを渡されました。

 

 自宅では朝と晩の日に2回、ブーちゃんのお腹を上向きにしてぼくの胡坐(あぐら)の上に寝かせて、お腹の皮膚を指で摘まんだその先端に注射針をチクっと刺して、注射器の2目盛分を注射していました。

 

 そんなある日、「ブーちゃん、注射の時間ですよ」と声をかけながら胡坐の上に抱きあげてお腹の皮を摘まんだところ、その時に限って、何か言いたげな上目遣いの大きな目をぼくに向けて、みうごきひとつすることなくじーーとしていたんです。

 

 あまりにも長い時間見つめられていたもんだから「なーに、どうしたの」と声を変えると、その目を伏せてしまいました。ブーちゃんは、何か、ぼくに何か、話しかけたいことがあったのかもしれません。

 

 それから数日後、ブーちゃんはあの世に旅立ってしまいました。だから、あの時のにゃーの一声は「翼向き寝で大丈夫だよ」というSASに奮闘しているぼくと妻に向けての応援コールであると共に「あの世で元気にしているよ」というブーちゃんからの近況報告でもあったのです。

 

 そのご、妻の横向き寝について先生にす段してみると「いびきや無呼吸が出なければいいんじゃないですか」との了解を得られた妻は、翼向き寝の抱き枕を購入して、既存のソファークッションを背中に当てるなどして、上を向くことができない姿勢で就寝しています。

 その対策によって、いびきと無呼吸の頻度が少なくなり、程度もとても小さくなりました。

 

 でも、あの世のブーちゃんは、ぼくと妻の会話を聞いていたかのように、あのタイミングでニャーと鳴いたのはどうしてなのでしょうか。なんだか猫のブーちゃんも人と同じような「他人を思いやる気持ち」というものを持っているような気がしました。

 

 だからあの鳴き声は、ご霊さまになったブーちゃんが発した鳴き声に違いありません。ご霊さまの姿はこの目には映らなかったけれどもね。

 

 それをきっかけにして、あの世のブーちゃんはぼくの寝床の枕もとで「スースー」と寝息を立てたり、あのぷよぷよした肉球でぼくの足の甲を踏んでいったりと、しばらく僕の間アリにいてくれました。

 

 哺乳類の動物である猫ちゃんにも人と同じような「心の思い」というものを抱いていて、なくなるとひととおなじようにご霊さまとなって、自分の気持ちや思いというものを優しかった飼い主に伝えてくることがあることを知りました

 ブーちゃんはとても優しい気持ちを持っていたんですね。

 

 

 

 その四 気持ちが伝わってきた路傍のお地蔵さま

 

 毎朝のウォーキングで「おはようございます」と挨拶をしていた路傍のお地蔵さまですが、その朝に限って、その前を黙って通り過ぎてしまったんです。すると「おい、あいさつをわすれているよ」と呼び止められたんです。

 

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 66歳になったころのぼくは、宅地建物取引業アイビー社を他人に譲り家にいるようになりました。そこで、毎朝、1時間ほどのウォーキングに出かけるようにしたんです。風雨が強い朝は見合わせるにしても、今日は宗吾霊堂へ、明日は成田赤十字病院方面へと向かう地域を変えて出かけていました。

 

 宗吾霊堂へ向かう道の途中に小さな祠(ほこら,神を祀る小さな殿舎)があって、中にはお地蔵さまが祀られています。ある日、ぼくと同じ年恰好のおじさんが、そのお地蔵様の前に立ち止まって帽子をとり、頭を下げてお参りをしている姿を見て、ぼくもそれを真似て帽子をとり頭を下げて「おはようございます」と挨拶をするようになりました。

        

 お地蔵さまというのは、仏教でいう地蔵菩薩のことで「大地がすべての命を育む力を蔵する」ということから名付けれれた、と言われています。厄災を亡くして子孫繁栄を願う住民の守り神「道祖神(どうそしん)」、つまり、路傍の神として道端に祀られた民間信仰の石仏なのです。

 

 そのお地蔵様の背丈は1メート宇50cmほどで特別な大きさではありません。しかし、その顔をよく見ると、普通よく目にするお地蔵さまと違って、目や鼻といった顔の彫り方が大雑把でのっぺりとしているんです。

 だから、大切なおのお顔の表情が伝わってこないのです。「ずいぶんと粗末なお地蔵さんもあるもんだなあ」と思いながら挨拶をしていました。

 

 平成26年の11月でした。いつものようにウォーキングに出て宗吾霊堂に向かい貸した。「もうすぐお地蔵さんのところだな」と思いながら歩いていると、突然、「バタバタ という音が聞こえてフッと気付くと、ぼくはそのお地蔵様の前を通り過ぎていたんです。

 

 何か別なことを考えながら歩いていたようで、お地蔵様の前を通り過ぎてしまったんです。

「おっと、いけねえ」とおお地蔵様の前まで5,6歩後戻りをして「おはようございます」と頭を下げてからコースに戻ることができました。

 

 それを気付かせてくれたのは、あの「バタバタという音は何だったのか、後ろを振り返ってみると、舗装されていない細道を歩いてきたおばさんが、自分の運動靴の底に付着した泥を払おうとして路面に足をばたつかせていた音だったのです。

 

 絶妙なタイミングで聞こえてきたこの音が、挨拶を忘れそうになったぼくに気付かせてくれたのだから、あたかもこの音あ「お前、挨拶を忘れているよ」と、居地蔵さまから注意されたように聞こえたんです、

 「まさか、そんなことないよね」と一人で苦笑いをしてしまいました。

 

 そんなことがあってから、このお地蔵さまがとても身近に感じられて、花を咲かでた自宅の庭の草花を摘み取ってお地蔵さまに手向けていました。

 

 それから数ヶ月が過ぎた春先の温かな朝でした。宗吾霊堂へのウォーキングに出てそのお地蔵さまのところにさしかかったとき、自転車のサドルから腰を下ろした男子高校生と立ち話をしている柴犬を連れたおばさんが、ぼくの顔を見るなり話しかけてきたんです。

 

 「あそこにいる猫がカラスにやられてかわいそうだ」と田んぼの方を指さして言ってきたんです。その指さす先に目をやると、農閑期のために水の張られていない田んぼの中に大きなトラ柄の猫が横たわって動きません

 目を凝らすと、顎の辺りに白い骨がむき出しになっていて、とても痛々しい姿です。「何とかしちゃってくれ」と、このおばさんがぼくに声をかけてきたのですが、この猫の姿を目にすれば、その気持ちがよく分かりました。

 

 2年前に愛猫ブーちゃんを亡くして、代わりのトラ柄のぬいぐるみを抱いて寝ているぼくに

してみれば拱手傍観(きょうしゅぼうかん)というわけにはいきません。「分かりました」とばかりに首を縦に振ってウォーキングのコースに戻りました。

 

 気軽な気持ちで引き受けたものの、このぼくがこのトラちゃんを運び出してやたらなところに放置するわけにもいかず、どうしたらいいものやらと考え込んでしまいました。

 要は、野垂れ死にの状態になっているこのトラちゃんを、火葬に付したり土に返したりして、ちゃんとご霊さまにしてやればいいはずです。

 

 帰宅するなり否や、野垂れ死にしているトラちゃんの処分をどのようにしたらいいのか、を市役所に聞いてみました。すると、環境クリーン化という部署に繋いでくれました。「田んぼの中で野垂れ死んでいる猫の遺体を引き取って欲しい」とお願いしたところ「分かりました」という思いもしなかった返事が返ってきて、お地蔵さまのところで待ち合わせることにしました。

 

 約束した定刻に二人の担当者が見えましたが、田んぼの中に横たわれるトラちゃんを観るなり「田んぼという私有地の中のものは引き取れません」と一人の方が言い出したんです。「じゃあ、ぼくがここまで連れてきますよ」ということで了解してくれました。

 

 「ぼくが田んぼんあかにはいるなんて、とんだことになってしまった」とぼやいたけれど、可愛いトラちゃんのために乗り掛かって舟です。農閑期のために水は引かれていませんでしたが、多少ぬかるんだ畦道を、担当者から拝借した大きめのスコップを手にしてゆっくり、ゆっくりと進み、少し低くなった名の中に二歩ほど足を踏み入れてトラちゃんに近づきました。

 

 「トラちゃん」と声をかけながら、身体の右側を下にして横たわるトラちゃんの後ろ左足を掴んでひきよせ、手にしたスコップに乗せてゆっくりと、ゆっくりと広い道に運び出しました。

 

 そして、市の担当者が用意してくれた白いビニール袋に収めて引き取ってもらいました。「ありがとうございます」と頭を下げてトラちゃんと市の担当者を見送りました。

 

 でも、自分のものでもない田んぼの中に入り込んでカラスにつつかれたのら猫を助けてやってくれ、と市に連絡してきたぼくの姿を目に前にした二人の職員は、きっと、「ずいぶんとお節介な奴だな」と、奇異な目で見ていたに違いありません。

 

 翌日の朝、そんなことを話しながら妻と朝食を摂っていると、突然、つつ――っと鼻から鼻水のようなものが流れ落ちそうになったので、慌ててティシューで押さえました。

 すると、何と、それは鼻水ではなくティシューを赤く染めた真っ赤な鼻血だったのです。赤く染まった5枚ほどのティシューを見たぼくは「何だ、この鼻血は」と、とても驚きました。

 

 若いころには珍しくない鼻からの出血でしたが、kん歴を過ぎた今となっては蓄膿症の黄色い海が混じることはあっても、鼻から血が出たような痕跡すら見たことがないのですから。

 赤く染まったティシューを眺めながら鼻血、はなぢ、ハナヂと繰り返し言葉にしていたら、はなぢ⁼=ぢぞう=ぢぞうさん=地蔵さま に繋がりました。

 

 何気なく言葉簿尻取りをしt痢たら地蔵さまに繋がってしまいました。どうして尻取りなんか始めたのか分かりませんが、ぼくが挨拶を忘れてお地蔵さまの前を通り過ぎようとしたときに、バタバタという靴音でそのことに気付いたことを思い出したんです。

 

 「そうか、この鼻血はあのお地蔵さまからのお知らせなんだな」と気付きました。道行く人たちに厄災が起こらないように、という願いを込めて祀られたお地蔵さまにしてみれば、自分のテリトリーにあるこの田んぼの中で乱暴なカラスに襲われたトラちゃんがとても不幸なことだと心痛な思いでながめていたに違いありません。

 

 真っ白なティシューを真っ赤に染めた鼻血は、そんな思いをぼくに伝えてくれました。お顔を表情もはっきりしないし、いつもじっとしているお地蔵さまでも、人と比べたらとても僅かだけれど、人と同じような」「慈愛の思い」というものを抱いているのではないかな、と感じました。

 

 「そうか、石であれ、木であれ、仏様Hほとけさま)の形を作り、弱い者に対する深い愛情である慈しみの思いを込めてあげるとお地蔵さまになるのだな、と理解しました。

 

 その後もずっとこのコースのウォーキングは続けていますが、あの柴犬を連れたおばさんと再会することはありませんでした。「あの猫を何とかしてやってくれ」とおばさんから頼まれたトラちゃんだったけれど、市役所に連絡をして何とか野垂れ死にすることのないようにしたことを伝えたかったのに。

 

 

 

 その五 書棚に並べられたファイルを斜めにして

 

 お客様からお預かりした委任状が、事務所のどこを探しても見つからなかりませんでした。諦めかけてカウンターの椅子に腰を下ろすと「ぴんぽ~~んとチャイムを鳴らして出入り口のドアがひとりでに開いたんです。   

 

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 日本航空を早期に退職したぼくは、JR四街道駅から10分ほどの距離にある事務所を借りて、概ね予定通りアイビー不動産の看板を掲げることができました。平成11年の夏でした。

 

 成田市の自宅から車で1時間余と少し距離が離れていたけれど、駅前から続くメインストリートに面した角地で、しかも、人通りも多かったのでここに決めました。その好立地のため二月顎賃料も135、000円と破格だったけれど、この何倍もの商売をすればいい、という意気込みでした。

 

 しかし、不動産取引の実務経験なんてまるでないズブの素人社長と女房事務員、という業界知らずの第二の人生は、母からも息子からも「おいおい、大丈夫なのかよ」と心配顔を向けられるくらいヨチヨチ歩きの船出でした。

 

 でも、不動産会社の社長であるためには、不動産取引に関する実務経験が一つでもなければ商売が成り立たないのか、と言うと、そんなことはないのです。というのは、土地や建物の売買に関する媒介業務と言うのはぼく一人で行うのではなく、売り手側の不動産業者と買い手側の不動産業者の双方の下で契約手続きを進めていくからなんです。

 

 だから、最初の取引だけでもその契約行為の一部始終を相手側の業者に任せれば、自分はただ黙って眺めていることで契約は成立するのです。そんなわけで、最初の取引の相手業者が三井不動産とか住友不動産といった大手の不動産会社であって欲しいな、と思っていたのです。

 

 このような堅実で信頼のおける相手業者から手取り足取りで教えてもらいながら業務を進めれば、例え一回の取引しかなかったとしても、立派な実務経験をしたことになり、次回の取引からその経験を手本にして進めていくことで一人前の社長としての振る舞いができるのではないか、と踏んでいたんです。

 

 なまじ町中にあるような口八丁手八丁のおやじ不動産屋で「こんなもんですよ」なんていうような大雑把な実務を数多く経験したとしても、アイビー不動産としてはあまり役に立たないし、お客さまに対しても不安を与えてしまうことになりかねないよな、と思っていたからです。

 

 しかし、そんな都合のいい希望なんておいそれとかなうわけがなく、同業者の挨拶回りやら賃貸の取引やらに負われる日々でした。2年ほど経ったある日、香川さんという中年の男性が来店し「土地の売却をお願いしたいと」と見えました。

 話を聞いてみると「この土地の所有者は渡部という人です」といいながら、一枚の委任状をテーブルの上に差し出したんです。

 

 香川さんは、所有権者渡辺さんの代理人となってこの土地を売却したい、というご依頼です。

委任状には顔写真がついた本人確認の書類が必要ですが、それは契約時に準備していただくとしてその委任状を預かると共に、土地の売買に係る媒介契約を交わしました。

          

 レインズ(REINS,REAL Estate Information System)と呼ばれる不動産流通ネットワークにその情報を流して、買い手が現れるのを待ちました。面積が50坪ほどのその土地は、道路付けもよく手ごろな価格だったので間もなく買いたいという人が現れたんです。

 

 しかも、その買い手の媒介業者が希望していたあの住友不動産だったので「ああ、希望が叶えられてよかった」という思いでした。「買い手が早く見つかってよかったね」と、初めての専任物件がうまくいきそうなことを女房と一緒に万歳をして喜んだのです。

 

 契約の日時も2週間後に決まったので「香川さんから預かったあの委任状を見てみるか」と、書棚から「お客様預かり書類」と背表紙に記されたファイルを手元に取り「確か、ここに挟み込んだよな」と表紙をめくりました。

 

 ところが、つい先日の話だから、あの委任状はこのファイルの一番上にあるはずなのに、なかったんです「。あれ?」と思いながら2ページ目、3ページ目とページをめくってみたけれど、あの香川さんから預かった委任状はそのファイルの中にはなかったんです。

 

 「おかしいな、確かにここに挟んだのになあ」と、ぶつぶつ言いながら隣に並ぶファイルんを手に取って表紙を開いてみたけれど、そこにもありませんでした。「何でヨ、どうしてヨ」とその隣のファイルも、また、その隣のファイルもと10冊あまりのファイルを見てみたけれど、あの委任状は見つからなかったんです。

 

 「どこに仕舞い込んだのだろう」と、ぼくは青ざめました。あの委任状がなければ、香川さんは売り主としての契約ができません。香川さんは所有権者である渡辺さんの代理人として契約するのですから、渡辺さんが香川さんを私の代理人であることを証明する文書である委任状が必要になるんです。

 

 香川さんに頭を下げて委任状の再発行をお願いする、という手もあるのですが、そうなれば「文書管理をきちんとしtr下さいよ」と苦言を言われ、アイビー不動産の信用は地に落ちます。何が何でも探し出さなければいけません。

 

 「今日は残業だな」と女房に告げて、閉店後、女房にも手伝ってもらいながらあの委任状を探すことにしました。租棚の左端から、右端から女房にファイルというファイル、書類という書類のあらゆるものの隅から隅まで探しました。

 でも、あの委任状を見つけ出すことはできなかったんです。

 

 「あーあ、疲れた」と、どっかとカウンターの椅子に座り込んで壁に掛かった時計の針を観ると、もう既に9時を回っていたのです。それを目にしたぼくは「香川さんにお詫びして再発行してもらおうか」と弱音を吐いて大きなため息をつくと「仕方ないわね、だらしがないんだから」と、女房も疲れ切った声で苦言を返してきたんです。

 

 その時です。出入り口の自動ドアが「チンコン、チンコン」とチャイムを鳴らしながら開いたんです。「誰?」とドアの方に目を向けたのですが、誰もいません。ひとりでに開いたんです。数秒後に再び、チャイムを鳴らしてドアは自動で閉まりました。

 

 何かの拍子でドアセンサーが誤作動を起こしてひとりでに開いて、再び閉まる、ということは今までにも何度かあったことなので「またか」ということで気にも留めませんでした。

 

 ところが、数秒後、またドアがチャイムを鳴らしながらひとりでに開いたんdす。「えっ」という思いで振り向いたけれど、誰もいません。そして、ドアは再びひとりでに閉まりました。

 こんな短い時間に2回も立て続けてドアが開いたり閉じたりしたことは、今までになかったことでしtた。

 

 「あれ、どうしちゃったの」と独り言を言いながらドアの方に向けた視線に映ったものは、整然とファイルが並ぶ主だなの中にあって、一冊のファイルだけが斜めにせり出していたんです。「何で斜めになっているの?」と不思議に思いながら椅子から立ち上がって、そのファイルを手に取ったんです。

 「紙上研修会綴り」と背表紙に記されたファイルを開いて1ページ目、2ページ目とめくってみると、あ、あったんです。あの委任状が綴(と)じられていたんです。二穴のファイル穴にきちんと通されていました。

 

 「何でこんなところにあったの」と、まるでキツネにつままれたようで合点がいきません。地虫内にある20冊足らずのすべてのファイルに対して、巻頭ページから5、6ページまで点検したのだから、見落とした、ということはないはずです。

 

 たとえ見落としがあったとしても、この委任状が綴じられていたのが「お客様預かり書類」ではなくて「紙上研修会綴り」のファイルに綴じられていたことが不思議でならないのです。しかも、斜めになってせり出していたのは、まるで「このファイルを見なさいよ」と教えてもらったようなものです。

 このような不思議なことをするのは、きっと、ご霊さまに違いありません。

 

 あの出入り口の自動ドアが立て続けに2回も開いたことが、あたかも、この目に映らないご霊さまが入ってきて、書棚にあるこのファイルを斜めにせりださせて、再び、ドアを開けて出て行ったように思えるんです。

 

 しかし、この目に見えないものが自動ドアの開閉センサーに感知されるんだろうか、という疑問が残ります。でも、考えてみてください。手足のないご霊さまがこのファイルを斜めにせり出したのですから、自動ドアを開けるくらい朝飯前なのでしょう。

 

 実は、合点のいかないことがもう一つあるんです。ぼくはこの委任状を「お客さま預かり書類」というファイルに綴じ込んだはずなのに、まったく別の「紙上研修会綴り」というファイルから見つかったことなんです。

 

 ぼくが誤って綴じ込んでしまったのか、それとも、きちんと「お客さな預かり書類」と書かれたファイルに綴じ込まれていた委任状を、ご霊さまが、あたかも神隠しのような超常手段を使ってこの世では絶対にありえないような方法で、瞬時に「紙上研修会綴り」のふぁいるにいどうさせたのか、のどちらかではないか、ということなんです。

 

 前者ならば、見落としたかもしれない委任状のあり場所をご霊さまが教えてくれた、という「ご加護」と言えるのですが、後者の場合だと、単なる「いたずら」としか見えません。

 

 いずれにしても、ご霊さまの霊力の不思議さ、あるいは凄さを垣間見たようでした。女房にそんなことを話したら「あんたの勘違いでしょ、ばかばかしい」と一笑に付されてしまいました。

 

 

 

 その六 温・湿度計が壁から落ちて知らせてくれたこと

 

 鍵穴の形をした溝に杢ねじの頭を入れてぶら下げる構造をした壁掛け式の温・湿度計なので、絶対に溝から外れて落下することはないはずなのに、ぼくの眼の前に落ちてしまいました。何を知らせたかったのでしょうか。

 

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 平成28年2月21日 日曜日の夕方、夕食の支度を始める午後5時の少し前の4時半過ぎでした。夕食の支度の時刻を正確に覚えているのは、平成26年5月に脳卒中で倒れて不自由な身体になってしまった女房に代わって、ぼくが食事の支度をするようになったからなんです。

 

 ぼくの書斎に置いてあるプリンターの前に立って、すぐ横に並んでいる事務机の引き出しを引いて、屈(かが)んだ姿勢でその中をあれこれと探し物をしていたときでした。突然「カシャッ」という鈍い音が右の方から聞こえてきました。

 

 とっさにその方向に目をやると、何と、プリンターの真上の壁に掛けられていたタニタ社製の温。湿度計が用紙サポーターに差し込まれて何十枚か重なったプリンター用紙の上に落下していたんです。「あれ、地震でも亡いのに何でこんなものが落ちたのか」と、落ちた温・湿度計を手に取って、裏側にある引っ掛け構造の部分を観てみました。

         

 しかし、壁から突き出た杢ねじに引っ掛けるためのちょっけお8ミリの丸穴と、幅5ミリの溝とが繋がった、ちょうど鍵穴マークのような形をした溝には、これといった不具合はなかったのです。その溝の横には小さな商品シールが貼り付けられていて、商品番号はTT-536 と記されていました。

 一方、壁に取り付けられた杢ねじにも、緩みなどの不具合はありませんでした。それで念のため、その杢寝期の頭のクロス溝にドライバーを当てて少し緩めて、再び締め付けるというリセット作業をしてみたんです。

 このように壁に掛けられた室温時計は、幅が5ミリの溝が直径7ミリほどの杢ねじの頭を抱き込むような恰好になり、引いても、揺らしても、その杢ねじの頭が溝から抜けてしまわない限り、絶対に壁から落ちない構造になっているのです。

 

 ところがその日、突然、その温度計が壁から落ちてしまいました。障りもしないし、地震が起きたような揺れもないのに、ひとりでに落ちてしまったんです。その場面をぼくは目の当たりにしたんです。突然にぼくの眼の前に落ちたのは、どうしてなのでしょか。

 

 壁にねじ込まれたも訓示が緩んだのでしょうか。いいえ、杢ねじには何のゆるみもなく、しっかりと取り付いていました。試しにその温湿度計を、その杢ねじに掛けてみましたが、何の不具合診なくしっかりと掛けることができました。

 

 この壁に掛かった温湿度計がなぜ落ちたのか、ぼくは合点がいかなくなりました。杢ねじや温湿度計の引っ掛け溝に何の不具合もないこの温湿度気が壁から落ちるには、7ミリほど持ち上げて手前に引かなければならないのです。でも、誰も触れた人はいないのです。

 

 ということは、ひとりでに7ミリ持ち上がり、ひとりでに手前に倒れた、ということです。そうでなければ落ちるはずがないんです。

 

 まるで映画のポルターガイストの一場面のようです。「そんなばかな」と思うのですが、そのようなことがぼくのすぐ横で起きていたんです。ちょっと背筋が寒くなってきました。

                        

 このように近代の物理学では説明できないようなことは、きっと、ご霊さまがなさったことに違いない、と思います。このような摩訶不思議な体験を数多くしているぼくにしてみれば、絶対に落ちることのないはずの温湿度計がいとも簡単に壁から落ちた、ということは、何か知らせたいことがあったに違いないんです。

 

 新潟にいる息子のところで何かあったんだろうか、嫁に行った娘に電話をしてみようか、と不安な思いがよぎります。「いや、手始めに女房の様子を見てみよう」と、女房の部屋を覗いてみることにしたんです。

 

 廊下にでると、ちょうどトイレから出てきた女房と出くわしたので「何か変わったことはないか」と聞いてみたんです。すると「ここ2,3日、体調がよくない」という思いがけない返事が返ってきて、生気のない顔をぼくに向けたのです。

  

 「え、どんな風に調子が悪いのか」と、顔色に気を使いながらぼくの書斎に招き入れて椅子にすわってもらいました。すると「最近、疲れ方がひどくて力が入らないの。今まで途中で休むことなく往復していた公園までの歩行が、途中で2回も3回も休憩をとらないといけなくなったの」と打ち明けてきたのです。

       

 「あ、そうか。これがあの温湿度計を落とした理由だな」と合点がいきました。思いもしなかった女房の体調不良の話しに耳を傾けていると「お父さんに打ち明ければ」心配をかけるだけなので言えなかった」と泣き出しそうです。

 

 「確かに心配はするけど、その原因を考えてみて手に負えなければ医師に診てもらえばいいじゃないか」と答えて、ぼくはまず、今服用している薬の副作用を疑ったのです。

 

 何らかの処方薬を服用しているときに発現した体調不良に対して、先ず、疑うべきはその薬剤の副作用だということは、かつて、ぼくが罹患したことのある神経症の治療薬から得られた常套手段なんです。

 いかなる薬剤にも、歓迎しない副作用というものがあって、その効果と副作用の一定のバランスで成り立っていることに注意が必要なんです。ある薬剤に対する生体への反応というものが個々人によって異なることがあるからです。

 

 いま、女房が服用している薬剤を聞いてみると、リリカという名前のカプセル状の薬で、

脳卒中後に現れる神経障害性の疼痛に対する治療薬です。これを昨年の10月から1カプセル

25ミリを1日1回のペースで飲んでいましたが、平成28年2月からは1日2回に増量して飲んでいたことが分かりました。

 

 もちろん医師の指示によるものなんですが「じゃあ、具合が悪くなったのは2月になって1日2カプセルに増やしてからなんだね」と念を押すと「そうなんです」と、女房は首を縦に振りました。

 

 そこでぼくは、医療品の製品情報を記載した添付文書をネットで開いてリリカカプセルについて調べてみました。すると、副作用欄の頻度1%以上という欄に「疲労、歩行障害」とあり、頻度0.3~1%未満の欄には「無力感、倦怠感」と記されていたんです。

 

 去る1月末、女房の定期診察に付き合ったとき すると「1日あたり1カプセルで効果がなければ2カプセルの50ミリに増やすけれど、それでも効果がなければ中止します」といういしのことばを思い出したぼくは「リリカの副作用が考えられるから、ちょっと中断して様子を見てみたらどうか」と提案したんです。

 

 すると「そうね」という返事が返ってくると思いきや「先生に無断で中止することはできない。だから先生に聞いてみる」と、電話をかけようとしたので「この時間は先生に繋がらないよ」と女房の気持ちをたしなめたんです。

 

 「次回の診察のときにこの経緯を話してリリカを中止したことを伝えればいいのではないか」とい言い聞かせたのですが、女房の顔色は晴れません。

 手足に不快な痺(しび)れと痛みを感じている女房にしてみれば、この薬の効果に対して強い期待を持っていることが伝わってくるのですが、ぼくの目には、薬剤の効果よりも副作用の方が強く現れているように見えるんです。

 

 添付文書を読み進めると「投与を中止する場合は、少なくとも1週間以上かぇて徐々に減量すること」とあるから、九に辞めてはいけないようです。「なるほどね」と女房に心配も分かるので、処方してくれた調剤薬局に電話を入れてみました。

 

 日曜日にも係わらず、すぐに女性の薬剤師につながったので「リリカカプセルを1日2カプセルに増やしたら、倦怠感や歩きずらさといった副作用が現れたんですが、中止していいですか」と率直に聞いてみたんです。

 

 すると「薬剤師の私には中止してよい、とは言えません」という返事が返ってきたんです。患者本人と医療従事者向けの添付文書に「次のような副小夜が認められた場合は、必要に応じて減量、投与の中止等適切な処置を行う」とあるのに、薬剤の専門家である薬剤師が患者からの副作用によるであろう苦痛を申し出されても、適切な処置をとることができないのは「どうしてなのか」とぼくは声を荒げました。

 

 この薬を処方してくれた薬局の薬剤師であるにも関わらず、です。薬の処方は医師の専任事項だけれど、副作用が強く出た場合は、患者本人に限らず医療従事者が投与の中止を含めた適切な処置をとることができるようにしないと、副作用による体調の不良がますます助長されてしまう恐れを感じるからです。

 

 ましてや、日曜日の今日は担医師とはつながらないし、月曜日に診察を受けようにも予約をしていないので何時に診察を受けられるのか分からないことなどを考えたときに、適切な処置を受けるべき時期を逃してしまうことになりかねません。

 

 ここは処方した薬剤師の意見を聴きながら、患者本人とその配偶者であるぼくの責任で中止することがベストだと考えたからです。

 

 「しばらくお待ちください」と言われて受話器を置きました。数分すると受話器から声がして「1日150ミリを超える場合は1週間以上かけてじょじょにげんやくするのですが、それより量が少ない場合はその必要がありません」という返事が返ってきたんです。

 

 「では、今夜の分から中止していいですね」と問い正すと「そうです」という返事が返ってきました。そのやり取りを聞いていた女房は、大きく頷いて白い歯を見せるようになりました。 

 

 何とありがたい出来事だったでしょうか。脳卒中の後遺症である不快な痺れや痛みを何とかしたい、というときに処方されたリリカでしたが、思いがけない身体の不調に襲われて不安が募り、苛(さいな)まれてひとり悶々としていたのでしょう。

 これ以上心配をかけたくないと、夫のぼくにでさえ打ち明けることだできずにいたのでしょう。

 

 そんな女房の姿を見かねたご霊さまがぼくに合図を送ってくれたのです。いずれ分かることだと思うけれども、早く女房のことを見てあげろ、と言わんばかりに、決して落ちることない構造のこのタニタの温湿度計を壁から落としたのです。

 手もない足もないご霊さまが7ミリほど持ち上げて手前に引く、という霊力を使ってです。

 

 それを目の当たりにしたぼくは「落ちるわけがない」と気付いて「何か特別なことがあったに違いない」と感じ取ったのです。

 

 ただ書棚に立てかけられた本や置物が床に落ちることって「まま、あることだよな」ということで終わってしまうでしょうが、構造的に絶対落ちるはずのない温湿度計がぼくの目の前に落ちたことで「ただ事でなないことが起きた」と気付かせてくれたのです。

 

 こんな風にご霊さまの「思いや意志」というものが伝わってきた,ということに、とても驚かされました。ご霊さまって、まるで生きているかのようなんです。

 

 とても驚かされたのはそれだけではありません。手もなく足もなく、しかも目に見えないご霊さまが、この温湿度計を7ミリ持ち上げて手前に引く作業を、ぼくの身体に触れんばかりの至近な距離で行っていたのではないか、ということなんです。

 

 というのは、ご霊さまがそんなに近くにいらした、なんていう気配はまったくありませんでしたけど。じゃあ、どこから、どうやって行ったのかしら。それとも、念力による遠隔操作だったのかも知れません。

 

 でも、この温湿度計が、誰の手も借りずに壁から落ちたことは間違いないのです。しかし、7ミリ持ち上がって手前に引いた、という肝心なところは、残なんなことに見せてはくれなかったんです。

 だから、ご霊さまがぼくのすぐ横にいらしたのか、それとも、念力といった遠隔操作によるものなのか、も教えてもらえませんでした。

 

 壁に掛けられたこの温湿度計が、手も触れずに7ミリ持ち上がって手前に落ちたのはなぜなのか、ちょっとその方面の勉強をしてみました。

 

 ご霊さま、と言うのは、いわゆる霊魂Soul、Spirit であり、肉体に対する心の部分である、とぼく自身の体験から感じています。心の部分だからこそ知、情、意(Intellest,Emotion,  Volition)という人の精神活動の要素から成り立っているので、ぼくが接しているご霊さまというのは、楽しみや悲しみの分かる、間違いなく人の心そのものなんです。

 

 

 1900年代前半に創生された超心理学(Parapsychology)という学問があります。この超心理学について日本超心理学学会によれば、心と物、あるいは心同士の相互作用を科学的な方法で研究する学問、としています。

 

 また、リン・ピクネット著の「超常現象の辞典」では、既知の自然法則では説明できない現象を研究する学問として、念力やテレパシー、未来予知や透視などが含まれる、と記されています。

 

 それらの文献の中に、その時点では発生していない事柄について,予め前もって知ることができる未来予知(Future Prediction)や言語や表情、身振りなどのよらずに、その人の心の中を直接他の人に伝えるテレパシー、あるいは、心の中で思っただけで物体を動かせたり、心を思いのままに操作する念力(Telekinesis,Psychokinesis)という超能力が紹介されていました。(Wikipediaより引用)

 

 ぼくの不思議体験というのは、まさにこれらなんです。「左足に気を付けて」と居眠りをしながら女房が書いた一文が、その翌日に現実となったり、書棚のファイルを斜めにしたり、壁の罹った温湿度計を、手に触れ床に落としたり落としたり、自分の勤務先である日本航空を早期に退職した方がいいよ、と本来の自分の気持ちを翻(くつがえ)されたりと、枚挙に暇(いとま)がありません。

 

 いやいや、それだけではないんです。無呼吸症候群のCPAPについてぼくと女房のやり取りを聞いていてにゃーと鳴き声を上げてくれた愛猫ブーちゃんも、カラスにつつかれて野垂れ死にしていたトラちゃんを、何とか市役所の職員に引き取ってもらったことも、さらに、ぼくに鼻血を流させたあの路傍のお地蔵さまも、きっと、人と同じような「知、情、意」をもっているんだな、と思えてならないのです。

 

 なぜなら、あの世のブーちゃんだって、路傍にたたずむお地蔵さまだって、人であるぼくの気持ちが通じて、ちゃんと反応してくれたんですから。

 

 例えば、明日の入学試験の前夜に、鉛筆や消しゴムに合格の願いを託して胸元に抱いて寝床に就くと、思いもよらずに手元がすらすらと動いて、合格することができた、なんてことを経験したことはないですか。   

                        

 それは「モノを大切にする」ということとは次元を異にする「モノに思いを込める」ことによって、そのものが「応えてくれる」という念力に依るものでしょう。それはぼくたちが神棚やお仏壇のお参りすることで気持が清らかになることに繋がっているのです。

 

 

 

 

 その七 医師からのたった一言で、タバコが吸えなくなってしまった

 

 周りからたばこ吸いの人がだんだんに少なくなってきて、妻からも「たばこ止めなさいよ」と口酸っぱく言われているのに、どうしてもやめられないたばこ常習者でした。

 ところがある時、胸の痛みで医者に診てもらいました。胸部のレントゲン写真を撮ってシャーカステンに映る自分の肺の写真を診ていた医師の口から出たたった一言で、ぼくはたばこを吸うことは勿論、たばこのパッケージに触ることも、見ることすらもできなくなってしまいました。

 

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 高校を卒業した頃、どんな味がするんだると興味本位で手にした1本のたばこが10本になり20本になって、この煙の香りと一服感の癒しの虜になるまでに長い時間はかかりませんでした。

              

 ポピュラーなハイライトから始まって、葉っぱの匂いが心地よいわかばやいこい、大陸の匂いがするラークやマールボロといった海外ものまで嗜好の幅を広げて、日に20本を超えるまでになっていたのに、妻から「臭い、臭い」と嫌がられるまで、その量の多さに気付くことはありませんでした。

 
 しかも、職場の同僚や街を行きかう多くの人たちがたばこを吸っている姿を目にしていたので「身体によくないよ」という妻の言葉が僕に気持ちに届いたことはありませんでした。
 「おとこの嗜(たしな)みだよ」なんて言い訳しながら、まるで一時も離れたくない恋人のように、たばこの箱を手から離すことはなかったのです。
 
 しかし、平成の10年ころからたばこによる身体への有害性が強く叫ばれるようになり、加えて、大衆向けのハイライトの値段も300円に跳ね上がったこともあって、人前でたばこを吸うことがタブー視(Taboo,社会的に厳禁されること)されるようになってきました。
 
 そんな世間の流れを身近に感じ始めた妻は、「たばこを止めなさいよ」と今までになく大きな声と厳しい口調をぼくに向けるのですが、もう、既にたばこの虜になってしまっていたぼくの身体は、言うことを聞いてくれない身体になっていました。
 
 新聞に載っていた喫煙指数という1日あたりの喫煙本数と経過過年数を乗じた数値を計算してみると、COPDのみならず咽頭がんや肺がんに罹るリスクが、非喫煙者の8倍にもなるという
700をゆうに超えて800にもなっていたことを知っているはずなのに、です。
 
 止めたいと思っても、どうしても止められなかったのです。歴(れき)としたたばこ依存症という病気になっていたんです。
 
 不動産取引業アイビーを立ち上げてから10年余を迎えようとしていた平成21年の秋でした。妻と夕食を摂りながら、ぼくが歩行するときの姿勢が年寄り臭い、ということが話題になりました。
 
 「猫背で歩いているから、胃腸の消化が悪くて胃もたれになるのよ」とか「右側の肩が下がっているから年寄り爺さんみたいだよ」なんて、煙草を止められないことに引っ掛けて散々にけなされっぱなしでした。
                                                                    

 「そんなにけなすんなら、整体院とかカイロプラクティックに行って身体の歪みを矯正してもらおうか」ということになったのです。少し的外れな対策であることは承知のうえでしたが、そうでも言わないと、この話が終わらなかったんです。

 

 「善は急げ」とばかりに翌日、自社に出勤してからネットで「姿勢の矯正」と検索してみました。すると、事務所から車で10分ほどの距離にあるめいわ という地域にKカイロプラクティック治療院というのがあって「整体、骨盤矯正」と謳った広告を見つけたので、早速電話をして翌日の朝一番の予約を取りました。

 

 翌日、地図を頼りにKカイロ治療院に向かいました。現地付近に着いたので車のスピードを落として周りを見回すと、居宅と棟続きになっている平屋の外壁に大きく「K治療院}と書かれた建物が目にはい居たので迷うことはありませんでした。

 

 施術をしてくれる40前後の若い男の先生に「ぼくの猫背を治したい」と伝えると、うつ伏せになったぼくの背中を何度かさすりながら「右よりも、左側の背中の方が幾分もり上がっていますね」と言いながら、その左側の背中部分を集中的に押してくれました。

 

 背中が終わると、手や足といった全身的な部分もさすったり、摘まんだりしてくれて「大分、背中が平らになりましたよ」と教えてくれました。

 

「よかった」という気持ちで次回の予約をして、料金を支払って事務所に戻りました。妻に背中を向けて猫背の具合を診てもらうと「うん、背筋が伸びてきた」と、自分の言うことを聞き入れてくれたぼくを目の前にしてご満悦でした。

 

 

 ところが、それから二日後、朝から左側の肋骨の下の方がひどく痛くなっていました。左側肋骨の一番下の湾曲したところです。大きく息を吸って肋骨を広げると跳びあがらんばかりに痛みます。息を吸わなくても、その部分を指先で押しただけでも、アイスピックで突かれたように痛むのです。

                            

 2,3日様子を見ていたけれど、痛みが和らぐどころか、寝床に入ってもジーンとした不快な痛みを覚えて寝付けなかったんです。

 整体院Kカイロの先生が集中的に押してくれたのは左側だったことを思い出しtr「先生が力を入れ過ぎたのではないか」とおもって電話をしてみました。

 

 すると「無理に押すようなことはしませんよ。今までもそのようなことはありませんでしたよ」という返事が返ってきて、これ以上責めることはできませんでした。

 

 「じゃあ、仕方ないな」と、事務所が定休日に自宅の近くにある成田整形外科を受診しました。問診票に痛みの状況を書き込んで、先生の診察を受けてからX先写真を撮りました。

 

 シャーカステンに映る画像を観ながら診察をしてくれたのですが「痛みを超すような所見は三あやらないね」ということでした。粘着テープ状の経皮吸収型の鎮痛抗炎症剤を処方してくれたので、それで様子を見ることになりました。

 

 しかし、朝と晩にその湿布薬を貼り換えながら様子を見ていたのですが、3日経っても4日経っても痛みが少しも引いてくれません。「肋骨の小さなひび割れを見落としたのではないか」と疑ったぼくは、アイビーの事務所から徒歩で10分ほどのところにある国立診療所下志津病院(現在の国立病院機構下志津病院)の整形外科を受診したんです。

 

 成田整形外科と同じように問診票に痛みの状況を書き込んで、先生の診察を受けてX線

写真を撮り画像を観ながら診察をしてくれました。しかし、成田整形外科の先生と同じように「痛みを起こすような所見はありませんね」ということだったのです。

 「骨にひびが入っているよなことはないのですか」と聞いてみたんですが、「それほど痛いのならば、画像に映りますからね」と言われてしまいました。

 

 「でも、もう一週間近く経つけれど、痛みが引かないのです」と困惑した口調で問い返すと、シャーカステンに映るぼくの胸の透視写真をじーっと見つめていた先生が、突然、藪から棒にこんな言葉をぼくに投げかけてきたんです。「あなたは たばこを吸いますか」と。

 

 その質問の意図が分からないまま「ええ、はい」とぼくが答えると、先生は、肋骨と一緒に映し出されている肺の一部分を人差し指で指示(さししめ)しながら「肺がまっ白ですよ」と言い放ったんです。

 

 「えっ、どこですか」と画像に顔を近づけてみると、本来黒く映るべきだという肋骨の背景となっている肺に部分が、うす雲に覆われたように白っぽく映っていたのです。

 そんな所見を見せられたぼくは、もう、気が動転してそれから先のことはよく覚えていないのです。先生に御礼を言ったかどうかも、会計できちんとお金を払ったかどうかも、覚えていないのです。


 40年を超える喫煙の習慣が灰を真っ白に映すほどに自分の体を蝕んでいたことを、目の前にいる医師の口から聴かされたことで、とてとぅもなく大きな衝撃を覚えたのです。

 

 

 

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