二話 女房が居眠りしながら記した明日の予告
ぼくの女房がうとうとしながら新聞の折り込みチラシの片隅に記した「ひだりあしにきをつけて」の一文は、あくる日、息子が左足に擦り傷を負って帰宅したことで現実となって現れました。
どなたからなのか心当たりはないけれど、あの世にいらっしゃる人からの未来予知だったのかも知れない、と気付いたんです。
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三日間の講習も無事に終わり、東京の四ツ谷駅で中川さんらと別れて一人、まっすぐ自宅への帰路につきました。同い年の女房と小学3年の娘、そして同じく小学2年の息子の家族4人で夕食を摂りながら、ぼくが参加してきた神教真ごころの講習会での話を披露しました。
神教真ごころの浄め祓いを受けるとあらゆる毒素が体外に排出されて、禍(わざわい)に遭(あ)わなくなるんだってよ」と切り出すと「ふーん?」といかがわしいものでも見るような目を向けられて一笑されてしまいました。

女房だけでも仲間にしたいと、日を改めて「浄(きよ)め祓(はら)いをさせてよ」女房の肩に手をかざしたんです。「なに、何?」と言いながらも受けてくれて、しばらくすると「何となく暖かくなってきた」とその女房が言うのです。
これはチャンスだと、どうにもならなかったぼくの胃もたれと下痢に、藁をも掴む思いで神教真ごころの門を叩いたことを話すと「へー、そうなの」と、いかがわしいものを見るような目を向けていた女房が「私も教えてもらおうかな」なんて言い出したんです。
「それじゃあ」ということで中川さんにその旨を伝えて、四ツ谷本部で行われる三日間の講習を、女房も受けることが出来ました。
その女房が信者になってから半年ほど経った土曜日の夕方でした。
いつものように家計簿をつけるためにダイニングのテーブルに腰を下ろしていた女房が、突然「何よ、これ」と驚いたよな大きな声を挙げてぼくを呼び寄せたんです。
「どうしたんだよ」と言いながら女房に近づくと「これ見てよ!居眠りしている間に書いたの」と、家計簿の余白に書いたという一文を手の指で指し示していたんです。
その指の先に目をやると、ゆらゆらと読み取りづらいひらがな字体で「ひだりあしにきをつけて」と一筆書きされていたんです。そして、その文末にはこの一文を記した人の名前と思われる筆跡もありました。

しかし、文字がゆらゆらしすぎて、それを読み取ることが出来ませんでした。
「なんだよ、これは。左側の足に気をつけなさいよ、という意味じゃないのか。お前が書いたのか?」と女房に問うてみても「あたしが書くわけないじゃないの」と言い返されたんです。
「じゃあ、誰が書いたんだよ。気持ち悪いな」と言いながら、子供たちを呼び寄せました。そして「ママが居眠りしながらこんなことを書いたから、明日は足のケガ、特に、左足に気をつけなさいよ」と、注意をしておいたんです。
あくる日の夕方、「ただいま」と会社から帰宅したぼくに「お兄ちゃんの左足を見てよ」と女房から耳打ちされたのです。「えっ」というお身で息子を呼び寄せて左足を見ると、その脛に青あざと擦り傷を負っていたんです。
「どうしたんだよ、子の傷は」と聞いてみると「道路に転がっていた木のみかん箱にぶつけたんだ」というのです。
「お前が書いたあの一文は、どうやら息子の左足に傷を負うことを予言していたようだね」と、女房と顔を見合わせたんです。
「でも、あの予告を私に書かせたのは誰なのよ」と、女房が不思議がるように、あくる日という未来に起こるであろうことを女房の手を借りて書かせたのだな、と理解できるけどれど、それを書かせたのは神さまなのか、あの夢に出てきたのっぺらぼう男なのか、それとも、どこかの名の知れないご霊さまなのか、はっきりしませんでした。
三話 お位牌に吸いこまれていった二つの黒い影
どこからともなく現れた二つの丸くて薄黒い影が目の前を通り過ぎる姿は、「怖い」というよりも「何なの、これは?」という、生まれて初めて目にするような驚きでした。

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宗教団体 神教真ごころの信者になったぼくと女房は、土曜日とか日曜日、あるいは祝祭日を利用して週に1,2回余の頻度で、成田と我孫子間を車で約一時間かけて、ご神前への参拝に通うようになりました。もちろん、子供たちも一緒でした。
そんな信者生活をするようになって半年ほどが過ぎました。中川さんから声をかけられて「祖霊祀り(それいかつり)をした方がいいですね」と言われたんです。
「それいまつり って何ですか」問い返すと「正方に基づいて、正しくお位牌をお祀りするんですよ。講習会に出て来られたご先祖の方も、きっと、お喜びになられますよ」と言うんです。
確かに講習会ではのっぺらぼうのご霊さんが出ぼくの目の前に出てきたけれど、同じ屋根の下に住む母の部屋には既に、お位牌をお祀りしています。
そこで「一つの家族に二つのお位牌が祀られていてもいいんですか?」と聞いてみたんです。すると「ええ、構いませんよ、講習会で教えていただいたように、中を明るくしたお仏壇にお祀りして、食事の供養をしながら毎日、お参りさせていただきなさい」と言うのです。
「食事の供養をしながら、毎日お参りさせていただく」という中川さんの言葉にぼくは、心を打たれました。ご先祖の方たちは、今もあの世で生きておられるのだから、ひもじい思いをさせないように自分たちと同じ食事をお出しして、ご先祖のみなさまの幸せをお祈りしなさい、ということなのだ、と理解したからです。
でも、自分たちと同じ食事をお出しして、ご先祖の皆さまは本当に召し上がってくれているのでしょうか、「はい、召し上がっていますよ」とはっきり答えられたことなんて、今までに耳にしたことがありません。

信者としてはそう思いたんだろうけど、現実はそんなことはないよね、と思いながらお食事をお出ししているのが現実のはずなんです。
だから「召し上がっておられる」ときっぱりとおっしゃられると「じゃあ、どうやって召し上がっているんだろう」と半信半疑の気持ちになってしまいます。
お仏壇をお祀りする場所を決めるために、一週間後に再訪問したい、という中川さんからの連絡を受け、了解しました。当日、中川さんと、やはり安孫子支部の幹部である白川さんという男性の二人が自宅に見えました。
「二階を見せてください」ということで我が家の二階に案内しました。我が家の間取りは、いわゆる「一、二階の反転間取り」というもので、ダイニングキッチンとリビング、そして客間を二階に、家族の寝室を一階に配しています。
家族のみんなが集まるところに陽の光が多いに入って明るい方がいいよね、という女房の要望にぼくも同調して、ちょっと風変わりな部屋の配置にしたんです。
ところが、いざ、お仏壇をどこに置こうか、と考えると、ダイニングは吊戸棚があって狭苦しいし、リビングも応接セットがあるのでお参りするスペースが確保できません。
かといって、隣接する和室にすると、仏間のような部屋で客人がお休みいただくことになるので、できるならば、一階にあるぼくの部屋がいいなあ、と思っていました。
そんなぼくの気持ちを知ってか知らずか、中川さんと白川さんは、何かもそもそと話をしながら二階の和室辺りでうろうろしています。ぼくの希望を伺うことはありませんでした。
「えーと、ではこのようにしてください」と中川さんが声をかけてきました。「陽が当たりがよく、明るいリビングの方に向けた、この和室の北側の壁面に置きましょう」と言うのです。
でも、この壁面は大壁造りのために柱がありません。「どんな風に棚を吊ればいいのですか」と聞いてみると「この壁面に一本の縦材を打ち付けて、お仏壇の中のお位牌が床面から1,5メートルよりも上になるような位置に棚を吊ってください」と白川さんが慣れた口調で、分かりやすく説明してくれました。
それを聞いたぼくは、大工さんに頼まなければいけないな、と理解しました。
「それでは、お仏壇と仏具一式を注文します」ということで、中川さんがそのカタログを見せてくれました。高額なお仏壇や仏具を売りつける宗教団体もあるんですよ、と聞いていたので「もし、気に入ったのがなければ、他の店で購入してもいいですか」と聞いてみたんです。
すると「それは構いませんよ」と答えてくれたので、」気兼ねなく見せて頂きました。
そして中川さんが勧めてくれたお仏壇は、高さが58センチ余の18号という大きさの障子扉のない唐木仏壇(からきぶつだん、東南アジアなどの熱帯地方で伐採された硬い木材で造られた仏壇)で、中の背板だけが金色の壁紙が張られている価格が数万円の廉価品でした。
いたるところに金箔が貼られた高額品を売りつけられるのではないか、という心配は余計なことでした。
お位牌も一般的な塗位牌(ぬりいはい、表面に漆や金箔などを塗布してある位牌)ですが「黒地に金文字、というのがご霊さまにとってとても大切なんですよ」と教えていただきました。
おりんセットと仏膳セットも「中等品でいいですよ」と言い、「線香や蝋燭は使いません」と言われました。
「その代わり、お仏壇の中を明るくするための小さな蛍光灯をお仏壇の天井に取り付けられているので、近くに電気のコンセントがないといけませんね」と教えてくれました。
言われるままにそれらを注文したのですが、神教真ごころ流の正法というお祀りの仕方が、あまりにも世間一般に目にするものと違うことに驚きました。
早速、大壁造りの和室の壁に棚を吊ってもらうよう工務店に依頼し、一日もかからずに出来上がりました。それから一週間余が過ぎて、中川さんお勧めのお仏壇とおりんセット、そしてお仏壇一式とお位牌が白川さんの車で自宅に運ばれてきました。
そして、二階の和室の北面に新造された棚に真新しいピカピカのお仏壇を安置し、その中の上段の棚にお位牌を、右手の奥におりんを置いて、その天井に取り付けられた蛍光灯を点灯してみたんです。
なんて明るいお仏壇なんでしょう! 黒地に「渡部家先祖代々之霊位」と記された金文字が光り輝いていて、とても明るく神々(こうごう)しく(神さまを思わせるるほど気高く厳かなこと)見えました。
それに、花瓶に挿した仏花と少々のお供物を用意して準備が整いました。このようにして、昭和58年7月吉日に我が家の祖霊祭り行われました、

ただの飾り物のように見えるお位牌を、ご霊さまたちの霊界とぼくたちが生活する現界との通り道にするための儀式を、神教真ごころでは「祖霊祀り(それいまつり)と呼んでいますが、お坊さんを読んだわけではありません。
ろうそくに火を灯したり、お線香を立てたりしたわけでも亡いんです。参加者もぼくたち家族4人とぼくの母、そして、神教真ごころ安孫子支部の所長とその幹部である中川さんの7人だけでした。
そして儀式の中で唱えられたのは般若心経(はんにゃしんきょう)といったお経ではなく、神示し(かみしめし)による、と説明されている祈言(のりごと)や経典の一部分でした。
ぼくたち信者連中がそれらを復唱して「ご先祖の皆々さま、このお位牌にお罹(かか)り下さい」という所長の一言で頭を深々と下げて一礼をして儀式が終わりました。
何と簡素で、何と質素で、何と廉価な祖霊祀りなのでしょう。壁に掛けられた時計の針を見ると、初めから終わり目で15分しかたっていないのです。
そのあまりにも軽々しい行事に「ご先祖の方々は、本当にお食事を召し上がっておられるのだろうか」と疑ってしまいました。それから3ヶ月余が過ぎて、そんな疑いを吹っ飛ばすような出来事が起きたんです。
いくつかの台風が過ぎ去って、秋の風が吹き始めたころでした。「たまにはご先祖さまのお参りをみんなでしようよ」と、ぼくが声をかけて家族4人でお参りをすることになりました。
「えー、何でー」と不満顔の子供たちでしたが、お仏壇に向かって右端に座ったぼくの後ろに小学3年の息子が、ぼくの左隣に女房が、そして、そのお後ろに小学4年の娘が正座をして腰を下ろしました。
「それじゃ行くよ」とぼくが掛け声をかけて、祖霊祭りの時に教団の幹部が唱えていた祈言(のりごと)と同じ「天津祈言(あまつのりごと)」を、経典を片手に「極微実相…(ごくびじっそう)」と唱え始めたのです。
そして、その祈言の中ほどまで唱え進んだときでした。経典の文字を追う自分の目の視界の右の方に、何か動いているものがあることに気付きました。
「ん、なに?」と思ってその動くものに視線を移すと、何と「薄黒い影状のもの」だったのです。畳の上に投影された楕円形の形をした大小2つのその「薄黒い影」が、ぼくのすぐ右横に来ました。

すると、自分の手のひらを広げたほどの大きさと、それより二回り(ふたまわり)ほど小さい影だったのです。
大きい方の影が先頭になって、猫が歩くほどのゆっくりとした速さでぼくの右横を通り過ぎていきました。「何なの、これは?」という思いで視線を逸らさずにその二つの影を追いました。もちろん、祈言を唱えながら、です。
前方にある部屋の壁に突き当たったその二つの影は、その壁を這い上がってお仏壇の中に入っていきました。目を凝らしていると、まるでお位牌に吸いこまれていくようにして、その二つの影は消えていきました。
蛍光灯で明るく照らされたお仏壇の中だったので、とてもよく見えていました。
祈言(のりごと)を唱え終わり「お参りを終わらせていただきます」と挨拶を済ますと「ああ」と肩の力がどっと抜けました。後ろを振り向くと、真っ青な顔をした息子が震えていたので「大丈夫だよ、怖くないよ」と声をかけながら抱いてあげ、背中をさすって安心させました。
息子もこの二つの影の動きの一部始終を見ていたようです。息子の日後から近づいてきたのでしょうから、さぞかし、驚いたに違いあありません。
一方、女房と娘は「どうしたの?」という顔を向けるだけで、何が起きたのか分からなかったようです。
一人になったぼくは、あの光景を思い出していました。祖霊祀りを済ませたお位牌は、まさに黒い影の通り道になっていたのです。
初めて目にする光景とはいえ、気になることがいくつもあったからです。
先ず、あの動いていた黒い影はいったい何なのか、ということです。ぼくは夢でも見ていたのではないだろうか、ぼくが目に下のは幻影(まぼろし)だったのではないだろうか、という思いでした。
夢というのは、あたかも現実の行動であるかのような映像が睡眠中に起こることですが、ぼくは祈言を唱えていたので、決して眠ってなんかいません。だから夢ではありません。
また、眠ってはいないけれども、実際には存在しないのに、あたかも存在しているかのように見える心的な映像で、すぐに消えてしまうような儚いものを幻影(げんえい、まぼろし)と言います。
しかし、自分の視界に映ってからお位牌に吸いこまれていくまでの姿をしっかりと視認で来ていたので、儚いという幻影でもありません。
ましてや、ぼくと息子の二人そろって同じ夢や幻影を見るなんてことはありえない、と思います。
では、いったいあれは何なのでしょうか、ということになります。ぼくのすぐ横、手を伸ばせば届くような至近な距離で見たものは、間違いなく光を遮ったときにできる輪郭がぼやけた影Shadowそのものでしたから。ほかに言いようがありません。
ただ、普通によく見る影と違うのは、影と天井灯との間にこの二つの影を投影するような障害物は、何もなかった、ということです。
だから、物理的に考えれば影などできるわけはないのです。つまり、あの影のように見えた黒いものは、この地球上でみられる「影」ではなく、影のように薄黒い半透明の物体、としか言わざるを得ないのです。
では改めて、あの影のように薄黒くて半透明なものは何だったのでしょうか。少なくとも、この地球上の物体や現象ではなく、何だか、この世のものではないのではないか、と思います。
自分の気持ちの中で思ったことを言えば、あの黒い影はご霊さまそのもの、つまり、亡くなった人の霊体とか霊魂といったもの、ではないかと思います。
お仏壇の中に安置されたお位牌に吸いこまれていった様子を目の当たりにしたのだから、それ以外には考えようがないのです。
それで、お位牌に吸いこまれたご霊さまはどこへ向かおうとしたのでしょうか。それは言わずと知れた霊界、つまり、あの世なのでしょう。ご霊さまにとってのお位牌は、あの世とこの世を繋ぐ出入り口なのですよ、と教えてくれたのだと思いました。
だから、お位牌に吸いこまれていった二つの影はこの世のものではないのです。すると、真ごころの講習会で居眠りしてしまったときに出てきたのっぺらぼうの男を思い出しました。
あの、人の形をしたご霊さまが、今度は薄黒い「影」となって現れたのでしょうか。
気になっていたぼくは、後日、中川さんに聞いてみたんです。すると中川さんは「その方もご先祖の方ですよ」と教えてくれたのですが、ぼくのご先祖の方が講習会で居眠りをした夢の中にも、わが家のお位牌のところにも出てきた、というのでしょうか。
もし、子の影の大きい方が大人で、小さい方は子供だと下ならば、思い当たることがあるんです。ぼくが幼いころに亡くなった父親と、まだ母の体内にいた胎児の二人かも知れません。
というのは、父が亡くなったときに母が3人目の子を身ごもっていたけれど、多胸糞の子を堕胎(だたい)したと、母本人の口から聴いていたからです。
でも、この二つの影が父親と胎児ではないか、というのはぼくの単なる推測にすぎません、なぜなら、亡くなった日にしても、場所にしても、父と胎児とは全く違うし、その親子があの世で一緒に連れ立って暮らしているなんて、とても想像できないからなんです。
いやいや、もし、その二人が一緒に暮らしていることが事実ならば、親と子、例え、まだ生まれてこない胎児であっても。その絆と言いますか繋がりというものが、それほど堅固なものなのだ、ということを教えてくれています。
だから「親子の縁を切るぞ!」なんていきがってみても、決して切れるもんじゃないんです。
----------続く
同じ夢や幻影を