朝靄の中ジルハは何度もその林を振り返った。
まるで追ってから逃げるように小走りにか細い足は土を踏んだ。
関所が見えて来ると少しだけ歩みを遅くし、立っている門番に警戒心を与えないように呼吸を整えた。
ジルハは軽く頭を下げると兵士の前に立った。
「御苦労様です」
と、言って通行証を掲示しようと兵士から視線を行李に移した。すると兵士はゆっくりとまるで柱時計が倒れるように地面に横になった。
ジルハは眉を寄せて訝しんだ。そして兵士を凝視した。
兵士は仰臥していた。
そしてジルハはしかと見た。
近寄って、半眼になると理旋律を手繰り寄せた。すると男の身体の背中で途切れていた。
「大丈夫ですか!」
半ばもうこの男は死んでいるだろうと思ったがそう声をかけた。
ジルハは身体を揺すった。すると男の背中にはべっとりと血がついていた。聖職者として死体を見ることには慣れていたが、兵士の死というものに立ち会ったことがなかった。それはシルマ大陸でここ何十年と戦がなかったからだが、
ジルハは跳ねた心臓を落ち着かせようと、印を結んでイースター神に祈りを捧げた。
剣戟の音が聞こえてきたのはちょうどジルハが祈り終わったときだった。そして扉の近くから怒号が聞こえてきた。
「隊長! 一緒に逃げましょう!」
「馬鹿野郎が! 誰が聖都に報告するんだ!」
「でも――」
「でももクソもねぇ、早く行きやがれ」
鉄扉が少しずつ開いていった。そして三割ほど開くと、扉が塁壁ごと破砕された。まるでハリケーンが起きたようだ。
ジルハは軽い身のこなしでステップを踏むと後方に下がった。
若い兵士がジルハの少し前に吹き飛ばされていた。顔は血だらけで生きているかどうか怪しいが、息はしているようだ。
ジルハは壊れた扉の前方を見上げた。
巨大な鶏がそびえ立っていた。鶏には三つのバツ印があった。
ジルハは小さく印を結ぶと目力を込めて、一歩また、一歩と歩いていった。砦の塁壁の半分はあろうかという巨体な鶏に臆することなく進んでいった。
「イースターの書二十八、神罰という贖罪が欲しいのならば神は不要だ。なぜならあまねく全ての生物は命を育んだその瞬間から罪を背負っている。
不浄なる者は生命を冒涜する行為であり存在である、我はその者の名の成因をたつだろう」
掌を掲げ、一歩また一歩と歩いて行った。
ジルハの掌は凝縮された光の渦で波打った。するとその光は光線のように鶏に向かって伸びていき、嘴の直前で止まると幾千にもなる細い光の糸に変わり巨体を包み込み、爆発を起こした。
鶏は不快な鳴き声を砦中に響かせ暴れた。
砦の塁壁は破壊され、飛沫や、砕かれた石がジルハのもとに襲ってきたが、ジルハは軽い身のこなしでステップを踏んで避けた。
やがて巨体はゆっくりと動かなくなった。
ジルハは呼吸を整えると、兵士の下へと向かおうと振り返った。すると急激に胸が苦しくなり膝をついた。
ジルハは口から真っ赤な血を吐いた。
ルーシーはワンドの先から伸びている糸を見て笑みを作った。
その糸は細く透明で灰色であった。
ルーシーは軽く指先でその糸を押すと、頭の中で波紋が起こり、砦の関所に向かうリエリの姿が見えてきた。やはり警戒はまったくしていない。
「バカね、魔術師から物質を盗めるとでも思っているのかしら」
ルーシーはそう独白し半眼になった。
距離は? 方角は? 意識の中で糸を手繰り寄せルーシーは暗闇の杖と自分の位置を確認していった。ルーシーの思考は小さな波紋で膨れあがった。
テレポートできる距離だと悟ると、呪文を唱え始めた。
「遥か彼方へと繋がる物
それは失わず解き放つ物
西に百二十東に五百八
マリスイザカキタヒアルブ
我旋律を刻む者なり」
ルーシーが呪文を唱え終わると、ワンドから伸びた細い糸はピンと貼り振動を伝えた。そしてゆっくりとルーシーの姿は残像のあとに消えていった。
ベックが西の彼方、聖都の方角に目を向けると、ちょうど夜の帳が落ちようとしていた。
塁壁の頂に立ち下を見ると目がくらむほどに高い。
ベックは見張りがきちんと配置についているか、部下たちの士気に問題はないかと辺りを窺い円形の塁壁を歩き始めた。
しばらくして彼の足は止まった。そして苦笑いになると、塁壁を背にしてまどろんでいた兵士の肩をゆすった。
「サインダ、おまえはよくもこんな場所で眠ることができるな、心臓に悪いだろう?」
と、ベックが声をかけると兵士はすぐ起き上がり屹立し身体を棒のように硬くした。
「た、隊長! 驚かさないでくださいよ、またギースの野郎の悪戯かと思いました」
「わかってるな?」
「はっ! ありがたく受け取ります」
そうしてサインダは歯をくいしばった。するとヘルムの上から鈍い音がした。ベックが片手剣の柄頭で殴ったのだった。
「有事の際にはここが真っ先に狙われる。わかってると思うが、慣れというものは怖いからな、まぁここから落ちない程度にしろ」
そういって肩を揺らしてベックは歩き出した。
サインダは、視界を三百六十度回した。
この砦は聖都とサルマドの中間に位置する砦であった。サルマドと聖都の間で紛争などもうここ何十年とかなかった。
二つの国は切っても切れない関係で、サルマドが魔法都市ならば聖都は教会都市だった。 魔術師と神官が合わさって初めて物質と人間の繋がりが見えるとされていた。なので聖都領に属するこの砦は半ば義務的にサルマドとゴーストの監視をしているにすぎなかった。
ベックが城門に近づくとそこは踊り場になっており、何やら兵士が五人集まって賭け事をしていた。そして一際背の高い男がサイコロを椀に乗せて転がす所だった。
ベックが後ろに立つと五人はバツが悪そうな顔をして立ち上がった。
「おまえらなぁ救いようねぇな、ギース!」
隊長が怒鳴ると、ギースと身長の高い男が直立不動の姿勢を取った。
「またおまえがけしかんだろう?」
「そうなんですよ隊長聞いてくださいよ、ギースの奴このまえはサインダをかもにして今日は俺ですよ。こいつ絶対イカサマしてます!」
「そんな問題じゃねぇだろうが……このバカどもが……サイコロ貸してみろ」
ベックがそういって手を差し出すと、ギースは顔を曇らせサイコロを渡した。そしてそのサイコロを地面に置くと、足で踏みつけた。
木製のサイコロは潰れたが片方のサイコロから黒い重しとみられる鉱石が見つかった。「ギースてめぇ! ――」
「まぁ待て後でやれ、それよりおまえらは横一列!」
ベックが声を張り上げると、兵士はあっという間に並んだ。そして一人一人丁寧にヘルムの上から打撃を与えていった。
「ギース、一つだけおまえを褒めてやるぞ、おまえの度胸だけはたいしたものだ、この砦でおまえが一番若いのに、先輩を相手にイカサマだ。だが、気持ちだけじゃ何もできんぞ」
ギースはにやにやとしながら、
「ありがとうございます」
といった。すると他の兵士も後に続いた。
ベックが向きを変え歩き出すと兵士たちはギースを取り囲んだ。
「ギース! 今までイカサマした分の金を返してもらおうか」
そう言って一人の兵士がギースを羽交い締めにした。するとギースは、声を大きくしていった。
「あっ! 隊長が戻ってきた」
羽交い締めをした兵士が直立不動になった瞬間、ギースは走り出した。
「逃げやがった!」
「まぁ許してやれ、騙されたおれたちも悪いからな」
「わかってるさ、ただからかっただけだ」
そうして兵士たちはギースに湿った目を向けた。
歩く者、佇む者全てが闇に解け森閑としていたが、砦の塁壁の頂上付近は少しだけ状況が違った。
あちこちで隊長に叱られない程度の声を出して囁きあっていた。内容は新米兵士のギースの話題が中心だ。彼はこの老兵たちの墓場のような砦に運悪くも配置されてしまったが、それを苦に感じたことはなかった。ギースのちょっといきすぎた賭け事や悪戯も老兵たちにとってみれば、子供が遊んでいる微笑ましい光景にしか映らなかった。今もサインダは指折り数えてどれだけぼったくられたかを計算していたが、からからと乾いた笑い声を上げて拳を握り、西を向いていた頭を北に変えて漆黒の遺跡を見やった。すると視界の端で何かが蠢いた。サインダはまたギースが悪戯をしているのだろうと思った。
「ギースいい加減にしろよ。明日の朝飯は抜きにしてやるぜ」
サインダの足下から飛沫が飛んでたきた。
「ギース! おまえ――」
サインダは立っている足下を見て言葉を失った。砦の塁壁にはサインダの頭より高い位置に巨大な爪があった。凍り付いた視線をゆっくりと顔を上にあげると、ひゅっと風を切るような音が響いた。
それは星を遮るようにしてそこに立っていた。そして左の爪でサインダの胴を鎧ごと両断した。サインダの上半身は血しぶきを上げながら塁壁から下に落ちていった。
それは大きな翼を羽ばたかせた。赤茶けたその翼が動くと突風が起きた。大きな嘴をもち鶏のような姿だった。四肢には翼に一つずつ黒いバツ印のようなものが刻まれ、嘴にもそれはあった。合計三つの文様が不気味に浮かんでいた。
ギースは兵舎から出ると見張り台に登ろうと、円形になっている塁壁の梯子にむかっていた。口笛を吹きながら、
夜空は雲一つない快晴だった。星が瞬いている。しかしギースが梯子の頂上からサインダのいる位置に視線を移すとそこだけまるで夜空が黒で塗られたように星が途切れていた。ギースは首を傾げた。
何やら怖くなって歩みを早めようと一歩踏み出そうとしたそのとき、ドサリと何かが落ちた音が聞こえた。ギースは眉をひそめた
辺りを窺うべく振り返ると砦に不協和音が響いた。それはまるで鍛冶屋が鉄を叩くような音だった。ギースは走り出した。初めに音がした方向に。
呼吸は荒くなり喉はからからになったが更に速度を上げて力の限りに走った。ギースがこの砦に着任して一度もこんな事態は起きなかったが、身体は早く反応を示した。これもベックたちの指導のおかげだ。
ギースは土嚢が転がっていると思った。そして近寄ってそれを見つけた。
サインダは口と胴から大量の血を吐き出し絶命していた。その姿を見てギースは生理的に反応をし吐瀉した自分を呪った。
「サインダ……サインダ……」
憎たらしい口調でいつも罵ってきたが、その表情の裏にはいつでも温かさがあった。ギースは両目を伝う雫の正体を知らぬまま、何度も地面を叩いた。そして目力を込めると梯子を登った。
頂上には鐘があった。ちょうど踊り場になっているその少し前面で兵士たちがそれと対峙していた。
「馬鹿野郎、ガキはくんじゃねぇ!」
数時間前まで一緒に賭けをしていた面々だった。その中の長身の男が、タワーシールドを掲げ少しだけ振り向くとギースに向かって怒鳴った。
ギースは呆然とした。それは赤い肌を持った人間だった。否、翼と角があるので獣に近いのかもしれない。
「どうして実体化してるんだ……ゴーストは……」
ギースが吐き出すようにいった。
「シールド隊トライアングル!」
長身の男が声高らかに叫ぶと、タワーシールドを持った数人が一斉に三角形の陣形になった。
「弓兵、間隙開始」
三角形の陣の中にいた弓兵は規則的に矢を放った。
タワーシールドを持った兵士たちはまるで一つの身体のように、全ての所作に狂いがなかった。弓兵が矢を番える少しの間、シールドを高く掲げ、下ろすと矢を放つ、これを繰り返した。
「馬鹿野郎! 何をしにきたんだおまえは、心を折るな俺達は騎士だ」
長身の男がそう言うとギースは我に返った。そして、兵士たちが押し上げてくれたその場所を縫うようにして鐘があるその場所にたどり着いた。
ギースは無我夢中で鐘を鳴らし続けた。
何度も何度も響き渡るその鐘はこの砦が発する咆吼のようにも聞こえた。
塁壁の頂に立ち下を見ると目がくらむほどに高い。
ベックは見張りがきちんと配置についているか、部下たちの士気に問題はないかと辺りを窺い円形の塁壁を歩き始めた。
しばらくして彼の足は止まった。そして苦笑いになると、塁壁を背にしてまどろんでいた兵士の肩をゆすった。
「サインダ、おまえはよくもこんな場所で眠ることができるな、心臓に悪いだろう?」
と、ベックが声をかけると兵士はすぐ起き上がり屹立し身体を棒のように硬くした。
「た、隊長! 驚かさないでくださいよ、またギースの野郎の悪戯かと思いました」
「わかってるな?」
「はっ! ありがたく受け取ります」
そうしてサインダは歯をくいしばった。するとヘルムの上から鈍い音がした。ベックが片手剣の柄頭で殴ったのだった。
「有事の際にはここが真っ先に狙われる。わかってると思うが、慣れというものは怖いからな、まぁここから落ちない程度にしろ」
そういって肩を揺らしてベックは歩き出した。
サインダは、視界を三百六十度回した。
この砦は聖都とサルマドの中間に位置する砦であった。サルマドと聖都の間で紛争などもうここ何十年とかなかった。
二つの国は切っても切れない関係で、サルマドが魔法都市ならば聖都は教会都市だった。 魔術師と神官が合わさって初めて物質と人間の繋がりが見えるとされていた。なので聖都領に属するこの砦は半ば義務的にサルマドとゴーストの監視をしているにすぎなかった。
ベックが城門に近づくとそこは踊り場になっており、何やら兵士が五人集まって賭け事をしていた。そして一際背の高い男がサイコロを椀に乗せて転がす所だった。
ベックが後ろに立つと五人はバツが悪そうな顔をして立ち上がった。
「おまえらなぁ救いようねぇな、ギース!」
隊長が怒鳴ると、ギースと身長の高い男が直立不動の姿勢を取った。
「またおまえがけしかんだろう?」
「そうなんですよ隊長聞いてくださいよ、ギースの奴このまえはサインダをかもにして今日は俺ですよ。こいつ絶対イカサマしてます!」
「そんな問題じゃねぇだろうが……このバカどもが……サイコロ貸してみろ」
ベックがそういって手を差し出すと、ギースは顔を曇らせサイコロを渡した。そしてそのサイコロを地面に置くと、足で踏みつけた。
木製のサイコロは潰れたが片方のサイコロから黒い重しとみられる鉱石が見つかった。「ギースてめぇ! ――」
「まぁ待て後でやれ、それよりおまえらは横一列!」
ベックが声を張り上げると、兵士はあっという間に並んだ。そして一人一人丁寧にヘルムの上から打撃を与えていった。
「ギース、一つだけおまえを褒めてやるぞ、おまえの度胸だけはたいしたものだ、この砦でおまえが一番若いのに、先輩を相手にイカサマだ。だが、気持ちだけじゃ何もできんぞ」
ギースはにやにやとしながら、
「ありがとうございます」
といった。すると他の兵士も後に続いた。
ベックが向きを変え歩き出すと兵士たちはギースを取り囲んだ。
「ギース! 今までイカサマした分の金を返してもらおうか」
そう言って一人の兵士がギースを羽交い締めにした。するとギースは、声を大きくしていった。
「あっ! 隊長が戻ってきた」
羽交い締めをした兵士が直立不動になった瞬間、ギースは走り出した。
「逃げやがった!」
「まぁ許してやれ、騙されたおれたちも悪いからな」
「わかってるさ、ただからかっただけだ」
そうして兵士たちはギースに湿った目を向けた。
歩く者、佇む者全てが闇に解け森閑としていたが、砦の塁壁の頂上付近は少しだけ状況が違った。
あちこちで隊長に叱られない程度の声を出して囁きあっていた。内容は新米兵士のギースの話題が中心だ。彼はこの老兵たちの墓場のような砦に運悪くも配置されてしまったが、それを苦に感じたことはなかった。ギースのちょっといきすぎた賭け事や悪戯も老兵たちにとってみれば、子供が遊んでいる微笑ましい光景にしか映らなかった。今もサインダは指折り数えてどれだけぼったくられたかを計算していたが、からからと乾いた笑い声を上げて拳を握り、西を向いていた頭を北に変えて漆黒の遺跡を見やった。すると視界の端で何かが蠢いた。サインダはまたギースが悪戯をしているのだろうと思った。
「ギースいい加減にしろよ。明日の朝飯は抜きにしてやるぜ」
サインダの足下から飛沫が飛んでたきた。
「ギース! おまえ――」
サインダは立っている足下を見て言葉を失った。砦の塁壁にはサインダの頭より高い位置に巨大な爪があった。凍り付いた視線をゆっくりと顔を上にあげると、ひゅっと風を切るような音が響いた。
それは星を遮るようにしてそこに立っていた。そして左の爪でサインダの胴を鎧ごと両断した。サインダの上半身は血しぶきを上げながら塁壁から下に落ちていった。
それは大きな翼を羽ばたかせた。赤茶けたその翼が動くと突風が起きた。大きな嘴をもち鶏のような姿だった。四肢には翼に一つずつ黒いバツ印のようなものが刻まれ、嘴にもそれはあった。合計三つの文様が不気味に浮かんでいた。
ギースは兵舎から出ると見張り台に登ろうと、円形になっている塁壁の梯子にむかっていた。口笛を吹きながら、
夜空は雲一つない快晴だった。星が瞬いている。しかしギースが梯子の頂上からサインダのいる位置に視線を移すとそこだけまるで夜空が黒で塗られたように星が途切れていた。ギースは首を傾げた。
何やら怖くなって歩みを早めようと一歩踏み出そうとしたそのとき、ドサリと何かが落ちた音が聞こえた。ギースは眉をひそめた
辺りを窺うべく振り返ると砦に不協和音が響いた。それはまるで鍛冶屋が鉄を叩くような音だった。ギースは走り出した。初めに音がした方向に。
呼吸は荒くなり喉はからからになったが更に速度を上げて力の限りに走った。ギースがこの砦に着任して一度もこんな事態は起きなかったが、身体は早く反応を示した。これもベックたちの指導のおかげだ。
ギースは土嚢が転がっていると思った。そして近寄ってそれを見つけた。
サインダは口と胴から大量の血を吐き出し絶命していた。その姿を見てギースは生理的に反応をし吐瀉した自分を呪った。
「サインダ……サインダ……」
憎たらしい口調でいつも罵ってきたが、その表情の裏にはいつでも温かさがあった。ギースは両目を伝う雫の正体を知らぬまま、何度も地面を叩いた。そして目力を込めると梯子を登った。
頂上には鐘があった。ちょうど踊り場になっているその少し前面で兵士たちがそれと対峙していた。
「馬鹿野郎、ガキはくんじゃねぇ!」
数時間前まで一緒に賭けをしていた面々だった。その中の長身の男が、タワーシールドを掲げ少しだけ振り向くとギースに向かって怒鳴った。
ギースは呆然とした。それは赤い肌を持った人間だった。否、翼と角があるので獣に近いのかもしれない。
「どうして実体化してるんだ……ゴーストは……」
ギースが吐き出すようにいった。
「シールド隊トライアングル!」
長身の男が声高らかに叫ぶと、タワーシールドを持った数人が一斉に三角形の陣形になった。
「弓兵、間隙開始」
三角形の陣の中にいた弓兵は規則的に矢を放った。
タワーシールドを持った兵士たちはまるで一つの身体のように、全ての所作に狂いがなかった。弓兵が矢を番える少しの間、シールドを高く掲げ、下ろすと矢を放つ、これを繰り返した。
「馬鹿野郎! 何をしにきたんだおまえは、心を折るな俺達は騎士だ」
長身の男がそう言うとギースは我に返った。そして、兵士たちが押し上げてくれたその場所を縫うようにして鐘があるその場所にたどり着いた。
ギースは無我夢中で鐘を鳴らし続けた。
何度も何度も響き渡るその鐘はこの砦が発する咆吼のようにも聞こえた。
ルーシーがサルマドを経ってから三日が過ぎようとしていた。今頃になって魔法学術院の講義に出席しておけばよかったと後悔し始めていた。豪雨はひっきりなしに降りしきりフードの上から染みこんだ雨で身体は濡れそぼりびっしょりになっていた。ルーシーは駆け出しの魔術師であるが、杖は立派な樫の木で作られた物でなく、名前も刻まれていない小ぶりのワンドを持っていた。真っ黒い髪は肩に届くか届かないかという長さで肌は透き通るような白だった。
三日前、寮から近い酒場に行くと、暗黒の杖というタイトルの張り紙があった。情報提供の値を見て一笑に付したが、好奇心という誘惑に勝てず、気づけば張り紙を外して酒場のマスターの下までいってしまっていた。情報の値段と杖の名前からくる値があまりにも不釣り合いだったのだ。ルーシーは酒場のマスターに言われた通りこの酒場でしばらく待つと冒険者風の男がやってきたので立ち上がって腕を差し出した。
男の印象は寡黙だった。ルーシーはその寡黙な印象から少しだけこの情報を信じることができるような気がしてきた。
男の話を聞けば更に真実みがわいてきたのだ。男はいった。俺達の仲間には魔術師はいないだから杖を置いて来て、情報を売ることにしたと。遺跡にある罠やゴーストたちは殆ど排除し、宝は杖を省いて持ち帰ったと、男は笑いながら最期にこういった。「杖に触れなかったのは正解だったろ魔術師のおねぇさん」ルーシーは力強くうなずいた。もし男が杖に触れていれば、この館に張り紙をすることはおろか、遺跡から帰ることはできなかっただろう。つまり死んでいたに違いないと。ルーシーは逡巡したがお金を取り出すと男に渡した。
サルマドの郊外から三日ほど歩くと漆黒の遺跡につくと男はいっていたが、ルーシーは歩けど歩けど草木ばかりで開けない空間にいい加減嫌気がさしてきた。
「世の中そんなうまい話は転がってないわね」
そう独白しルーシーは足を速めた。柔らかい地面に足が取られ、靴の中は泥だらけになっていた。
ルーシーは魔法学術院にいる学徒たちを思い出した。あの子たちならきっと今のわたしと同じ状況になってしまえば、無意味に泣いたり喚いたりするに違いないわ。
シルマ大陸東方に位置するルーシーの故郷は男も女も平等だった。サルマドのように貴族然りとした町並みや、人々は皆無だった。しかし決して貧しいというわけではなかった。
「アイバーンに戻りたい、私の氷竜、あなたに会いたい」
ルーシーの一番の友人は氷竜だった。物心ついたときにはいつでも傍にいた。小さな小さな私の氷竜。
ルーシーの思考は切り立った稜線が緩やかになり、そして草木に覆われた地が開け、漆黒の遺跡の入り口が見えてくると終わった。あたりは薄暗く、夜もやってきそうな時間だった。
ルーシーは遺跡の入り口にあるぽっかりと浮かぶ空洞の中に駆け込んだ。そしてワンドを目の前に掲げると半眼になった。
「光よ集え、我旋律を刻む者なり」
ワンドに青白い光が灯った。
ルーシーは心がざわついた。呪文を詠唱しながら理旋律をたぐりよせると、そこはかとなく感じるのだ。何かが喪失しているという感覚。
この感覚はある朝から始まり、あれから少なくとも朝日が十回は登っただろう、学術院にいる導師たちにこのことを話しても、君の気のせいだと、とりあってはくれなかったが、ルーシーは魔法を使うたびにこの感覚に陥った。
「シルマに何かが起きている、氷竜コールドチル、ねぇあなたはどう思う?」
ルーシーは行李の中から毛布を取り出すと石でできた床に敷いた。それから着ている衣服を全て脱ぎ捨てると身体を毛布で包み、背を壁に当て座った。
重い身体がふと軽くなったと思った瞬間ルーシーは眠りに落ちた。
遺跡の最下層にあるという暗黒の杖はあっさりと見つかった。最下層への道のりは長かったが、罠は全て解除されゴーストに至っては全く出会わなかった。
ルーシーはこれならばサルマドから遺跡までの道程の方が断然苦労したと思った。ここに訪れた冒険者たちはかりの手練れであることは間違いがなかった。
しかしルーシーは祭壇にひっそりと置かれていた暗黒の杖が白く光り、マナーリを放出しているのを目にし、そこから無数に伸びる理旋律を見ると油断はしまいと心に誓った。
ルーシーはワンドを掲げ目は半眼になった。
「隔離された呪いは浄化されなすがままに 我旋律を刻む者なり」
杖が三十モント浮き上がり、停止した。
「これで大丈夫ね、頼むわよ……」
ルーシーはおそるおそる杖に手を伸ばした。指先が杖に触れた瞬間、ルーシーの目の前は暗黒に飲み込まれていった。しまった……やっぱりわたしにはまだ無理だったかな……これは本物の聖遺物なのか……。チルわたしの可愛いチル、ルーシーは呪いの奔流に飲み込まれる寸前氷竜の名を呼んだ。
現実にはほんの一瞬の出来事であった。ルーシーは呪いから回帰すると目の前にあった祭壇を見た、するとそこにあった杖はなくなっていた。
ルーシーが辺りを窺おうと振り返った瞬間、足音が遺跡に響いた。何者かは後方にある階段を駆け上がっていった。杖を持って――。
「待ちなさい!」
ルーシーは口を大きく開けて叫び後を追った。
何者かの足はとても早くルーシーは追いつけないと思ったが、以外なことに階段をしばらく駆け上がるとその者は杖をほうり投げ両目を覆っていた。
「ちきしょう、目が、あたしの目が――」
ルーシーは唇をつり上げ不気味な笑みを作った。
「バカな盗賊、呪いが解除されたとおもったんだ。これは聖異物よ」
そういって笑ってから、杖を掲げ呪文を唱え始めた。
「束縛という名の後悔を与えよ、我旋律を刻む者なり」
目を覆っていた何者かは、まるでロープで縛られたように動けなくなった。身体が圧迫され思わず声をあげた。
「リエリ様を縛るなんて、おまえゆるさねぇぞ」
「下品な言葉使いね、女の子のよあなた盗賊だけどね」
盗賊の女は身長は低く、茶色の髪の毛は無造作で短かった。
「リエリといったわね、あなた張り紙を貼っていた冒険者の仲間でしょう。わたしが呪いを解除してあなたが持ち帰るという手はずだったのね、残念」
ルーシーはそう言いながら、行李から毛布を取り出して慎重に杖をくるみ、行李の底に収めた。
「しかしこんな強力な呪い、この杖のマナーリは並じゃないことは確かね。目が見えなくなって記憶に縛れるなんて……さて私は帰りますそれでは失礼」
ルーシーはそう言って歩き出した。すると後方からは怒鳴り声がした。
「待てよ! 悪かったよ! 解いてくれ……」
「そうね、束縛が解除される頃にはきっとあなたは飢え死にしてるわよ」
そういってルーシーは歩き出した。
リエリはじたばたともがいた。
「頼むから、その杖はくれてやるから!」
「当たり前でしょう。そういう交渉をしたのだからね。罠は解除してもいいけど、あなたに襲われるとも限らないから、では失礼」
リエリは歩き出した。
「俺は絶対おそわねぇ」
「根拠は?」
「……」
「ないのね?」
「盗賊の心意気に誓って」
ルーシーの足はぴたりと止まった。
「心意気か……リエリさん私の生まれた国では心意気という魂が存在しています。それに免じてあなたを許しましょう」
ルーシーは杖を振った。
「調子乗りやがって」
リエリはルーシーに躍りかかった、しかしルーシーが杖を横倒しにするとリエリの身体はバランスを崩した。
「あなたってバカですか?」
「ちきしょう!」
リエリは杖を掲げて呪文を唱え始めた。
「鉄は羊皮紙も軽い 我旋律を刻む者なり」
そうして、もう一度呪文を唱える。
「束縛はという名の後悔を与えよ、我旋律を刻む者なり」
リエリの身体はまるで羊皮紙のように軽くなり、ルーシーを々と背負った。
「てめぇ離しやがれ」
「これならあなたも問題ないでしょう。私は喋る荷物が増えたと思うことにしますし、あなたが飢え死にすることもないでしょう」
そう言いながら歩き出した。
肩にはリエリをかるって、ルーシーは思った。うまい話は転がってないし、たとえ存在していてもあくどい何かおまけのようなものがついてしまっていると。
リエリは喋る荷物を抱えて笑った。
三日前、寮から近い酒場に行くと、暗黒の杖というタイトルの張り紙があった。情報提供の値を見て一笑に付したが、好奇心という誘惑に勝てず、気づけば張り紙を外して酒場のマスターの下までいってしまっていた。情報の値段と杖の名前からくる値があまりにも不釣り合いだったのだ。ルーシーは酒場のマスターに言われた通りこの酒場でしばらく待つと冒険者風の男がやってきたので立ち上がって腕を差し出した。
男の印象は寡黙だった。ルーシーはその寡黙な印象から少しだけこの情報を信じることができるような気がしてきた。
男の話を聞けば更に真実みがわいてきたのだ。男はいった。俺達の仲間には魔術師はいないだから杖を置いて来て、情報を売ることにしたと。遺跡にある罠やゴーストたちは殆ど排除し、宝は杖を省いて持ち帰ったと、男は笑いながら最期にこういった。「杖に触れなかったのは正解だったろ魔術師のおねぇさん」ルーシーは力強くうなずいた。もし男が杖に触れていれば、この館に張り紙をすることはおろか、遺跡から帰ることはできなかっただろう。つまり死んでいたに違いないと。ルーシーは逡巡したがお金を取り出すと男に渡した。
サルマドの郊外から三日ほど歩くと漆黒の遺跡につくと男はいっていたが、ルーシーは歩けど歩けど草木ばかりで開けない空間にいい加減嫌気がさしてきた。
「世の中そんなうまい話は転がってないわね」
そう独白しルーシーは足を速めた。柔らかい地面に足が取られ、靴の中は泥だらけになっていた。
ルーシーは魔法学術院にいる学徒たちを思い出した。あの子たちならきっと今のわたしと同じ状況になってしまえば、無意味に泣いたり喚いたりするに違いないわ。
シルマ大陸東方に位置するルーシーの故郷は男も女も平等だった。サルマドのように貴族然りとした町並みや、人々は皆無だった。しかし決して貧しいというわけではなかった。
「アイバーンに戻りたい、私の氷竜、あなたに会いたい」
ルーシーの一番の友人は氷竜だった。物心ついたときにはいつでも傍にいた。小さな小さな私の氷竜。
ルーシーの思考は切り立った稜線が緩やかになり、そして草木に覆われた地が開け、漆黒の遺跡の入り口が見えてくると終わった。あたりは薄暗く、夜もやってきそうな時間だった。
ルーシーは遺跡の入り口にあるぽっかりと浮かぶ空洞の中に駆け込んだ。そしてワンドを目の前に掲げると半眼になった。
「光よ集え、我旋律を刻む者なり」
ワンドに青白い光が灯った。
ルーシーは心がざわついた。呪文を詠唱しながら理旋律をたぐりよせると、そこはかとなく感じるのだ。何かが喪失しているという感覚。
この感覚はある朝から始まり、あれから少なくとも朝日が十回は登っただろう、学術院にいる導師たちにこのことを話しても、君の気のせいだと、とりあってはくれなかったが、ルーシーは魔法を使うたびにこの感覚に陥った。
「シルマに何かが起きている、氷竜コールドチル、ねぇあなたはどう思う?」
ルーシーは行李の中から毛布を取り出すと石でできた床に敷いた。それから着ている衣服を全て脱ぎ捨てると身体を毛布で包み、背を壁に当て座った。
重い身体がふと軽くなったと思った瞬間ルーシーは眠りに落ちた。
遺跡の最下層にあるという暗黒の杖はあっさりと見つかった。最下層への道のりは長かったが、罠は全て解除されゴーストに至っては全く出会わなかった。
ルーシーはこれならばサルマドから遺跡までの道程の方が断然苦労したと思った。ここに訪れた冒険者たちはかりの手練れであることは間違いがなかった。
しかしルーシーは祭壇にひっそりと置かれていた暗黒の杖が白く光り、マナーリを放出しているのを目にし、そこから無数に伸びる理旋律を見ると油断はしまいと心に誓った。
ルーシーはワンドを掲げ目は半眼になった。
「隔離された呪いは浄化されなすがままに 我旋律を刻む者なり」
杖が三十モント浮き上がり、停止した。
「これで大丈夫ね、頼むわよ……」
ルーシーはおそるおそる杖に手を伸ばした。指先が杖に触れた瞬間、ルーシーの目の前は暗黒に飲み込まれていった。しまった……やっぱりわたしにはまだ無理だったかな……これは本物の聖遺物なのか……。チルわたしの可愛いチル、ルーシーは呪いの奔流に飲み込まれる寸前氷竜の名を呼んだ。
現実にはほんの一瞬の出来事であった。ルーシーは呪いから回帰すると目の前にあった祭壇を見た、するとそこにあった杖はなくなっていた。
ルーシーが辺りを窺おうと振り返った瞬間、足音が遺跡に響いた。何者かは後方にある階段を駆け上がっていった。杖を持って――。
「待ちなさい!」
ルーシーは口を大きく開けて叫び後を追った。
何者かの足はとても早くルーシーは追いつけないと思ったが、以外なことに階段をしばらく駆け上がるとその者は杖をほうり投げ両目を覆っていた。
「ちきしょう、目が、あたしの目が――」
ルーシーは唇をつり上げ不気味な笑みを作った。
「バカな盗賊、呪いが解除されたとおもったんだ。これは聖異物よ」
そういって笑ってから、杖を掲げ呪文を唱え始めた。
「束縛という名の後悔を与えよ、我旋律を刻む者なり」
目を覆っていた何者かは、まるでロープで縛られたように動けなくなった。身体が圧迫され思わず声をあげた。
「リエリ様を縛るなんて、おまえゆるさねぇぞ」
「下品な言葉使いね、女の子のよあなた盗賊だけどね」
盗賊の女は身長は低く、茶色の髪の毛は無造作で短かった。
「リエリといったわね、あなた張り紙を貼っていた冒険者の仲間でしょう。わたしが呪いを解除してあなたが持ち帰るという手はずだったのね、残念」
ルーシーはそう言いながら、行李から毛布を取り出して慎重に杖をくるみ、行李の底に収めた。
「しかしこんな強力な呪い、この杖のマナーリは並じゃないことは確かね。目が見えなくなって記憶に縛れるなんて……さて私は帰りますそれでは失礼」
ルーシーはそう言って歩き出した。すると後方からは怒鳴り声がした。
「待てよ! 悪かったよ! 解いてくれ……」
「そうね、束縛が解除される頃にはきっとあなたは飢え死にしてるわよ」
そういってルーシーは歩き出した。
リエリはじたばたともがいた。
「頼むから、その杖はくれてやるから!」
「当たり前でしょう。そういう交渉をしたのだからね。罠は解除してもいいけど、あなたに襲われるとも限らないから、では失礼」
リエリは歩き出した。
「俺は絶対おそわねぇ」
「根拠は?」
「……」
「ないのね?」
「盗賊の心意気に誓って」
ルーシーの足はぴたりと止まった。
「心意気か……リエリさん私の生まれた国では心意気という魂が存在しています。それに免じてあなたを許しましょう」
ルーシーは杖を振った。
「調子乗りやがって」
リエリはルーシーに躍りかかった、しかしルーシーが杖を横倒しにするとリエリの身体はバランスを崩した。
「あなたってバカですか?」
「ちきしょう!」
リエリは杖を掲げて呪文を唱え始めた。
「鉄は羊皮紙も軽い 我旋律を刻む者なり」
そうして、もう一度呪文を唱える。
「束縛はという名の後悔を与えよ、我旋律を刻む者なり」
リエリの身体はまるで羊皮紙のように軽くなり、ルーシーを々と背負った。
「てめぇ離しやがれ」
「これならあなたも問題ないでしょう。私は喋る荷物が増えたと思うことにしますし、あなたが飢え死にすることもないでしょう」
そう言いながら歩き出した。
肩にはリエリをかるって、ルーシーは思った。うまい話は転がってないし、たとえ存在していてもあくどい何かおまけのようなものがついてしまっていると。
リエリは喋る荷物を抱えて笑った。