朝靄の中ジルハは何度もその林を振り返った。
まるで追ってから逃げるように小走りにか細い足は土を踏んだ。
関所が見えて来ると少しだけ歩みを遅くし、立っている門番に警戒心を与えないように呼吸を整えた。
ジルハは軽く頭を下げると兵士の前に立った。
「御苦労様です」
と、言って通行証を掲示しようと兵士から視線を行李に移した。すると兵士はゆっくりとまるで柱時計が倒れるように地面に横になった。
ジルハは眉を寄せて訝しんだ。そして兵士を凝視した。
兵士は仰臥していた。
そしてジルハはしかと見た。
近寄って、半眼になると理旋律を手繰り寄せた。すると男の身体の背中で途切れていた。
「大丈夫ですか!」
半ばもうこの男は死んでいるだろうと思ったがそう声をかけた。
ジルハは身体を揺すった。すると男の背中にはべっとりと血がついていた。聖職者として死体を見ることには慣れていたが、兵士の死というものに立ち会ったことがなかった。それはシルマ大陸でここ何十年と戦がなかったからだが、
ジルハは跳ねた心臓を落ち着かせようと、印を結んでイースター神に祈りを捧げた。
剣戟の音が聞こえてきたのはちょうどジルハが祈り終わったときだった。そして扉の近くから怒号が聞こえてきた。
「隊長! 一緒に逃げましょう!」
「馬鹿野郎が! 誰が聖都に報告するんだ!」
「でも――」
「でももクソもねぇ、早く行きやがれ」
鉄扉が少しずつ開いていった。そして三割ほど開くと、扉が塁壁ごと破砕された。まるでハリケーンが起きたようだ。
ジルハは軽い身のこなしでステップを踏むと後方に下がった。
若い兵士がジルハの少し前に吹き飛ばされていた。顔は血だらけで生きているかどうか怪しいが、息はしているようだ。
ジルハは壊れた扉の前方を見上げた。
巨大な鶏がそびえ立っていた。鶏には三つのバツ印があった。
ジルハは小さく印を結ぶと目力を込めて、一歩また、一歩と歩いていった。砦の塁壁の半分はあろうかという巨体な鶏に臆することなく進んでいった。
「イースターの書二十八、神罰という贖罪が欲しいのならば神は不要だ。なぜならあまねく全ての生物は命を育んだその瞬間から罪を背負っている。
不浄なる者は生命を冒涜する行為であり存在である、我はその者の名の成因をたつだろう」
掌を掲げ、一歩また一歩と歩いて行った。
ジルハの掌は凝縮された光の渦で波打った。するとその光は光線のように鶏に向かって伸びていき、嘴の直前で止まると幾千にもなる細い光の糸に変わり巨体を包み込み、爆発を起こした。
鶏は不快な鳴き声を砦中に響かせ暴れた。
砦の塁壁は破壊され、飛沫や、砕かれた石がジルハのもとに襲ってきたが、ジルハは軽い身のこなしでステップを踏んで避けた。
やがて巨体はゆっくりと動かなくなった。
ジルハは呼吸を整えると、兵士の下へと向かおうと振り返った。すると急激に胸が苦しくなり膝をついた。
ジルハは口から真っ赤な血を吐いた。
ルーシーはワンドの先から伸びている糸を見て笑みを作った。
その糸は細く透明で灰色であった。
ルーシーは軽く指先でその糸を押すと、頭の中で波紋が起こり、砦の関所に向かうリエリの姿が見えてきた。やはり警戒はまったくしていない。
「バカね、魔術師から物質を盗めるとでも思っているのかしら」
ルーシーはそう独白し半眼になった。
距離は? 方角は? 意識の中で糸を手繰り寄せルーシーは暗闇の杖と自分の位置を確認していった。ルーシーの思考は小さな波紋で膨れあがった。
テレポートできる距離だと悟ると、呪文を唱え始めた。
「遥か彼方へと繋がる物
それは失わず解き放つ物
西に百二十東に五百八
マリスイザカキタヒアルブ
我旋律を刻む者なり」
ルーシーが呪文を唱え終わると、ワンドから伸びた細い糸はピンと貼り振動を伝えた。そしてゆっくりとルーシーの姿は残像のあとに消えていった。