長編物語ブログ -16ページ目

長編物語ブログ

 うんざりするほど長い物語です。
 でも不思議と中毒性があるかもしれません。
 
 
<チームイミタン>
イラスト担当:t2 文章担当:イミタン

「私は過去の記憶が映像で流れ、当時の感情がそのまま蘇ってくることが当たり前だと感じていた。
 良いことも悪いことも全てが繰り返し起き、ひどいときにはいつだって自分からそれを取り出せた。
 子供の頃眠れないときは、ドラえもんの長編映画を頭の中で再生させた。
 三人称視点でまさに映画を体験している感覚に近かった。
 面白いことに今でも胸の中に当時と変わらない感情があって、理解でき識別できるのだ」


 人との終わり、付き合いの終わりが理解できない原因が最近になってようやっとわかった。
 それは私の中にある過去の記憶は全て、当時の感情のまま保存されてしまうからだ。
 劣化するということは起きない。
 自分の好意や嫌悪を無視してこれは繰り返されてしまう。
 例え他人や家族にひどいことをされても、過去を探ればそこには手の届く位置に感情があるのだ。
 まるで身体の一部になったような感覚がある。
 
 私は最も仲の良い親友にこの感覚の説明をしていたとき、
 親友はこう言った。
 記憶の触感と、
 多少語弊はあるが、もっとも分かり易い説明であった。
 私たち発達障害は根深くこの記憶の触感に悩まされる。
 嗜好品や趣味に没頭するのも、この記憶の触感から抜け出したい為なのかもしれない。
 過集中が解けると頭の中で常に繰り返される。
 私は親友が何度も語る、ここまで考えたらやめるという意味が理解できなかった。
 つまり、考えてもわからないことは一旦やめるということなのだが、
 どう私の頭を探してもそのスイッチは見つからないのだ。
 フラッシュバックがひどいときには、感情、動画、声、今の自分の気持ちとの差、全てが理解できてしまう。
 最近はこの現象を止めることばかり考えてしまう。
 現時点では一番の問題点だと感じているからである。
 しかしもうこの息苦しさは消えないとも理解している。
 親友に言われて試そうと思っていることがある。
 記憶や過去を触っていると感じたら、今の状況を考えるということだ。
 そしてできれば触れないということだ。
 簡単なようで忘れていたことなのかもしれない。
 「私は長い年月をかけて自分というものを捨てていった。
 気づくと私は生活の中心が恋人になり、彼女に会うのも苦痛になった。
 しかし私はときにその苦痛を捨て、自分から彼女のもとに歩みよったのだ。
 彼女がおかしいことを誰も本当に理解してくれない。
 なぜなら彼女は仕事に適応できれば、案外普通なのだ。
 ある一定の親密度をいでしまいそれが継続すれば、ある日ふと確信を得る。
 彼女が人間関係において親密度が上昇することは、とても希だ。
 だから私の訴えは恐らくたった一人の理解者しか、本当は得られない。
 それはときが流れて、ゆっくりと自分を捨てていった自分と、
 離れようともまるで接着材でくっついてしまっている自分だ

 発達障害の方に関わるということがどういうことか
 この記事を愛読してくださる方に対して言えることは、
 家族以外ならば、生半可な気持ちじゃ同情したりしないでください。
 発達障害を先天的にもって生まれた方に悪意はありません。
 しかしそこがきっかけでこのカサンドラが始まってしまいます。
 私の考えでは、恐らく共依存に酷似してますが、その実全く違うということです。
 共依存とは対象が第三者から見れば浮き彫りになるのです。
 しかしこのカサンドラはそれがありません。
 正体不明の苦痛があります。
 それを第三者に訴えた所で伝わりません。
 共依存の対象が絞れないわけです。
 たちの悪いことにカサンドラ本人は、対象に対して気持ちがないと冷静に言ってのけます。
 強がりではなく、それは第三者にも伝わってしまいます。
 結果的に何が苦痛なの? 何が起きたの?
 意味不明な状態になってしまいます。
 私の症状を説明しますと、

 1 自分という存在、アイデンティティを捨てざるおえない状態に陥ること
 2 本当は自分がおかしいのではないかという衝動
 3 周囲は理解してくれない状況
 4 障害という先天的な状況により、相手が全くできない変われない部分があること
 5 対象である本人が障害の自覚がまったくできないこと

 私はこれらの状況が絡み合って生まれると考えてます。
 アスペルガーは自分を障害だと認めない傾向が強く、遺伝の要因により家族にもその兆候が現れているため、認知させることは困難な状態になります。
 田舎であったりすると、そういった機関を探すことも難しくなります。
 
 唯一できることは、アスペルガーの方と時間や距離を明確にあけることですが、
 次に会ったときは完全に前は少しあった認知がリセットされていると思います。
 本人に自覚がない場合は、個性で押しとどめて、そこから先には踏み込まないほうが無難です。
 恐らく長い時間過ごすとそれすら無理になるでしょうが……。
 もしも過去に戻ることができるとして、私は過去の自分にこう伝えたい。

「彼女とはわかりあえない、君では無理だ
 なぜなら君は勤勉で物事を深く知ろうとしてしまう、なぜなら君は鈍感になることはできない。なぜなら君は彼女の愛故に、専門家にはなれないからだ」

 私が彼女をASだと気づいてからしたことは、自分を無意識のうちに殺すということだった。
 なぜそれが起きたか、本当の意味でそんなズレが知覚できてしまうからだ。
 ASだと知らない内は、少しは気遣ってよという文句が、
 ギブアンドギブを根ざしたものになり、どう変換しようとも、この人には本当にできないことなのだとわかってしまう
 
 もしも本当に恋人が触れられることを嫌悪していることに気づくとどうだろうか。
 もしも自分はこういう行動をとったから、理解してくれるだろうがなかったらどうだろう
 それらは、初めのうちは漠然とした硬いものであるが、
 ある日を境におかしいと気づき始める。
 そこで私は、知るという欲が出てしまったのだ。

 そこからは何を置いても自分を犠牲するというのが当たり前になってしまった。
 そこからはどうにかASという認知を彼女にさせることに必死になった。

 本当に発達障害ならば、専門家が見なくともある一定の親密度があれば必ず、他人とのズレに気づいてしまう。

 ASの彼女は仕事以外でキャミソールを持ち歩き、車に乗るときは、
「つるつるがとられてしまう」
 と、言う。
 つるつるとはキャミソールのことだ。
 彼女は仕事以外、左右どちらかの指でそう――つるつると生地を触っているのだ。
 触っていないときを探す方が難しい。
 これは定型にもある『安心毛布』というレベルではない。
 私はある日突然その異変に気づいて、
 彼女は私と身体を重ねるときでもそれを枕元に運んだ。
 緊張感が高まると更にその指の動きは速くなった。
 
 ADHDのACの傾向がある私は、
 死に物狂いで周囲に合わせようとしてしまう。
 なので、客観性を発達障害の部類でも持ち合わせている。
 今まで社会に適応できなかったり、人間関係に悩んだりと、
 その客観性を磨くしかなかったので、
 今では思い込みは以前より減ったように思う。

 しかし彼女はその認知という歪みすら自覚ができないのだ。
 つるつると生地を触り、全く言葉の裏も読めず、真剣な話しをしているときに眠ってしまう。
 身内で不幸があったとき、話しを聴いて欲しいと言ったところ、
 彼女はしばらくすると、ゲームをしていいかと私に尋ねてきた。
 そんな彼女に行動や言動がズレいると指摘をすれば、
 世の中の人はみんな「つるつる」を持っていると返してくる。
 もしくはこういう性格だからと開き直る。
 私は目に見えて悪いことを認めてほしかっただけだったのだ。

 彼女は本当の意味で自分と他人のズレを認識できないのだろう。
 
 あの機嫌がいいときに子供のようになる口調に乗っかるしかないと私は思った。
 きづけば、もう私の彼女は一切撲を呼び捨てできなくなっていた。
 定型でいうカタカナにできそうなニックネーム、彼女は誰と話しているときでも私のことをそう呼ぶ。

 何か問題が起きたときには四歳児に話しかけるように意識した。
 すると専門家でもない私は、そのニックネームの男の子の一人称を自分で使わないと成立しないと気づいた。
 そこから自分はその子になりきってしまった。
 ときどき名前で呼んでくれと言ったが、もうそのときにはおしまいだった。
 私の心は冷めてしまった。
 しかし面白いことに恋愛感情が枯渇しようとも、
 自ら彼女の元へと歩みよった。
 苦痛が生まれた。
 
 もう本当の自分は自分で殺してしまっていた。
 あのとき彼女がASだと認知した瞬間に。