「私は過去の記憶が映像で流れ、当時の感情がそのまま蘇ってくることが当たり前だと感じていた。
良いことも悪いことも全てが繰り返し起き、ひどいときにはいつだって自分からそれを取り出せた。
子供の頃眠れないときは、ドラえもんの長編映画を頭の中で再生させた。
三人称視点でまさに映画を体験している感覚に近かった。
面白いことに今でも胸の中に当時と変わらない感情があって、理解でき識別できるのだ」
人との終わり、付き合いの終わりが理解できない原因が最近になってようやっとわかった。
それは私の中にある過去の記憶は全て、当時の感情のまま保存されてしまうからだ。
劣化するということは起きない。
自分の好意や嫌悪を無視してこれは繰り返されてしまう。
例え他人や家族にひどいことをされても、過去を探ればそこには手の届く位置に感情があるのだ。
まるで身体の一部になったような感覚がある。
私は最も仲の良い親友にこの感覚の説明をしていたとき、
親友はこう言った。
記憶の触感と、
多少語弊はあるが、もっとも分かり易い説明であった。
私たち発達障害は根深くこの記憶の触感に悩まされる。
嗜好品や趣味に没頭するのも、この記憶の触感から抜け出したい為なのかもしれない。
過集中が解けると頭の中で常に繰り返される。
私は親友が何度も語る、ここまで考えたらやめるという意味が理解できなかった。
つまり、考えてもわからないことは一旦やめるということなのだが、
どう私の頭を探してもそのスイッチは見つからないのだ。
フラッシュバックがひどいときには、感情、動画、声、今の自分の気持ちとの差、全てが理解できてしまう。
最近はこの現象を止めることばかり考えてしまう。
現時点では一番の問題点だと感じているからである。
しかしもうこの息苦しさは消えないとも理解している。
親友に言われて試そうと思っていることがある。
記憶や過去を触っていると感じたら、今の状況を考えるということだ。
そしてできれば触れないということだ。
簡単なようで忘れていたことなのかもしれない。