「私は長い年月をかけて自分というものを捨てていった。
気づくと私は生活の中心が恋人になり、彼女に会うのも苦痛になった。
しかし私はときにその苦痛を捨て、自分から彼女のもとに歩みよったのだ。
彼女がおかしいことを誰も本当に理解してくれない。
なぜなら彼女は仕事に適応できれば、案外普通なのだ。
ある一定の親密度を稼いでしまいそれが継続すれば、ある日ふと確信を得る。
彼女が人間関係において親密度が上昇することは、とても希だ。
だから私の訴えは恐らくたった一人の理解者しか、本当は得られない。
それはときが流れて、ゆっくりと自分を捨てていった自分と、
離れようともまるで接着材でくっついてしまっている自分だ」
発達障害の方に関わるということがどういうことか
この記事を愛読してくださる方に対して言えることは、
家族以外ならば、生半可な気持ちじゃ同情したりしないでください。
発達障害を先天的にもって生まれた方に悪意はありません。
しかしそこがきっかけでこのカサンドラが始まってしまいます。
私の考えでは、恐らく共依存に酷似してますが、その実全く違うということです。
共依存とは対象が第三者から見れば浮き彫りになるのです。
しかしこのカサンドラはそれがありません。
正体不明の苦痛があります。
それを第三者に訴えた所で伝わりません。
共依存の対象が絞れないわけです。
たちの悪いことにカサンドラ本人は、対象に対して気持ちがないと冷静に言ってのけます。
強がりではなく、それは第三者にも伝わってしまいます。
結果的に何が苦痛なの? 何が起きたの?
意味不明な状態になってしまいます。
私の症状を説明しますと、
1 自分という存在、アイデンティティを捨てざるおえない状態に陥ること
2 本当は自分がおかしいのではないかという衝動
3 周囲は理解してくれない状況
4 障害という先天的な状況により、相手が全くできない変われない部分があること
5 対象である本人が障害の自覚がまったくできないこと
私はこれらの状況が絡み合って生まれると考えてます。
アスペルガーは自分を障害だと認めない傾向が強く、遺伝の要因により家族にもその兆候が現れているため、認知させることは困難な状態になります。
田舎であったりすると、そういった機関を探すことも難しくなります。
唯一できることは、アスペルガーの方と時間や距離を明確にあけることですが、
次に会ったときは完全に前は少しあった認知がリセットされていると思います。
本人に自覚がない場合は、個性で押しとどめて、そこから先には踏み込まないほうが無難です。
恐らく長い時間過ごすとそれすら無理になるでしょうが……。