地を這うSF映画、『ブレードランナー2049』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『ブレードランナー2049

【評価】☆☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】ドゥニ・ヴィルヌーヴ

【主演】ライアン・コズリング

【製作年】2017年

 

 

【あらすじ】

 2049年、ロサンゼルス市警に所属するレプリカントのKは、人類にとって脅威となる旧型のレプリカントを捕獲するブレードランナーの仕事に就いていた。そしてある事件の捜査中に、思いもしない事実を探り当ててしまい、捜査機関と巨大企業に翻弄されることとなる。

 

 

【感想】

 「ブレードランナー」が公開されたのが1982年ということで、当時は「スター・ウォーズ」が絶大なセンセーショナルを起こしていたはずで、SF映画と言えばこの流れに乗るのが常套手段のように思える。未来の世界を無機質で透明感のあるものとして描き、そこにスピード感溢れる戦闘シーンと、壮大なドラマを加える。未来を明るく、機械的で滑らかな世界としてイメージさせる。そんな未来観やSF観があったと思う。

 

 

 しかし「ブレードランナー」の示す世界は、どんよりと薄暗く不快さや不潔さが漂う。まさかまさかの未来。進歩した技術もあるものの、アメリカがアジアの混沌に食われている感じ。80年代といえばジャパン・アズ・ナンバー・ワンの時代、アメリア人の衝撃はきっと日本人以上だったのかも。現在の世界と地続きの未来、夢や希望が萎えていきそうで、意気揚々と喜んで住みたくなる世界ではない。

 

 

 そして今回の「ブレードランナー2049」も、前作の世界をしっかりと引き継いでいた。更に混沌に拍車が掛かり、鬱々とした世界が広がっていた。「ブレードランナー」の世界観や美術造形を、しっかりと継承し発展させている。無謀とも思える続編のプロジェクトを、驚くほど上手く成し遂げていた。ストーリーも無駄がなく、最後には切なさが味わえる。ブレードランナーから、寂しさや生きる願いが滲む。