飾り気のない男っぽさ、『ジェイソン・ボーン』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『ジェイソン・ボーン

【評価】☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】ポール・グリーングラス

【主演】マット・デイモン

【製作年】2016年

 

 

【あらすじ】

 過去の記憶を取り戻したボーンは、中近東を一人放浪していた。そして彼のもとにCIAの元同僚が近付き、彼女が盗み出したデータの中に、ボーンの父親に関する秘密が隠されていたことを知らせる。二人はギリシャで再開する約束をするが、CIAも直ぐに動き出し二人に襲い掛かる。

 

 

【感想】

 マット・デイモンが、元CIAの殺し屋を演じる“ボーン・シリーズ”の4作目。前作で失っていた記憶を取り戻し、物語が完結したように思えたが、再びシリーズ始動させた。撮影が終わった直後には、ウンザリした気持ちになるのだろうが、何年も経って落ち着いてみると、あれが充実した日々だったと懐かしく思えるのかもしれない。シリーズの雰囲気を思い出させてくれる内容になっていた。

 

 

 このシリーズの見所は、スピーディーで怒涛のように押し寄せるアクション。カットが細かく、力強い現実感を作り出している。このアクションの流れに呑まれると、考える暇もなくひたすら翻弄され続ける。今回も派手で、有無を言わさぬ強引なアクションは健在だった。そうそうこの感覚が“ボーン・シリーズ”だったと、ちょっと懐かしくなる。軽い同窓会気分が楽しめた。

 

 

 ストーリーは、スノーデン事件やギリシャ危機が取り入れられ、現実世界に寄り添おうとしていた。それでも主人公ジェイソン・ボーンの超人ぶりは相変わらず。次第に、荒ぶる神に見えてくる。今回、神の怒りに触れるのが、全ての情報を手に入れようとするCIA長官と、彼の手駒でもある暗殺者。ある意味、神になろうとする男と悪魔になろうとする男に、神が鉄槌を下す。傲慢な人間に身の程を思い知らすのが、ジェイソン・ボーンの役割なのか。満身創痍になりながら、思いあがった人間を叩きのめしていた。