全てを忘れさせてくれる、『オーバー・フェンス』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『オーバー・フェンス

【評価】☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】山下敦弘

【主演】オダギリジョー

【製作年】2016年

 

 

【あらすじ】

 妻と離婚し故郷の函館に帰ってきた白岩は、失業保険を延長するため職業訓練学校に通い、大工仕事の基礎を学んでいたが、大工になろうという考えは全く持っていなかった。そしてボンヤリと毎日をやり過ごしていたある日、同じ訓練学校に通う男にキャバクラに誘われ、そこで聡という風変わりなホステスに出会う。

 

 

【感想】

 舞台は函館の職業訓練学校。殺風景な建物に、作業着を着た男たちがたたずんでいると、刑務所の中なのかと思えてくる。主人公は妻と別れ帰郷した四十男。将来の目的を見失い、束の間の学校生活を何となく過ごしている。訓練学校に集うのは、年齢も職歴もバラバラな男たち。社会のメイン集団から、取り残された面々。緩い空気と哀愁が漂うが、微かな自由をまとっているようでもあり、ちょっと羨ましく見えてくるから不思議。

 

 

 主演はオダギリジョー。優し気な男を演じ、映画にのんびりとした流れを与えていた。とても魅力的に映っていたが、時折見せる鋭い視線や言葉が、映画をグッと引き締める。諦めているのに、諦めきれない男。この映画で主演男優賞を狙えそう。そして相手役の蒼井優のやさぐれ感が、なかなか凄まじい。最近は、自分のイメージを壊すことに快感を覚えているのかも。危うさを感じる。普通ということに、興味を失っているのかも。

 

 

 ストーリーは恋愛モノともとれるし、ヒューマンドラマとしても見応えがある。それぞれに爆発しそうな登場人物が、何とか折り合いを付け普通に過ごす。傍から見ればのどかだが、一皮むけば違った姿が顔を出す。大工になれるとも思わず、黙々と授業に出席する男たちは、どこかシュールな存在だった。そしてホームランの放物線は美しい。あの放物線は、ほんの一瞬全てを超越し、雑念を流し去ってくれる。