感染したらどうしようもない、『怒り』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『怒り

【評価】☆☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】李相日

【主演】渡辺謙

【製作年】2016年

 

 

【あらすじ】

 八王子で夫婦殺害事件が起こった。それから一年後、事件は未解決のままだった。そして東京、千葉、沖縄に前歴不詳の男が現れる。彼らは、指名手配されている殺人犯に似た風貌をしていた。周囲の人間は、彼らを受け入れながらも、拭いきれない不信感を募らせていく。

 

 

【感想】

 怒りをコントロールするのは難しい。ほとんど不可能といってもいいくらい。繁華街を行けば、あるいは電車に乗れば、怒りに支配された人にしばしば出会う。警察官などは、怒りを消し止めたり、その後始末をしたりするのが仕事なのだろう。火に立ち向かう消防士に似てなくもない。そもそも怒りの原因は何かと考えてみると、あれこれ答えらしきものが浮かんでくる気もする。怒りはダークサイドへの通過点。

 

 

 怒りは多くの場合、虚仮にされたり、己の価値を低く見積もられたりするときに発生する。人間の本能は、無視されることや、無価値と評価かされることに大きく反応するよう出来ているのかも。怒りは、全身全霊の異議申し立てなのかもしれない。往々にして、どうでもいい下らないことに反応してしまうのが困りもの。怒りを削除して、喜哀楽にして澄ましていられればよさそうだけれども、きっとそれでは人間や人類が立ちいかないのだろう。

 

 

 この映画は、当然のことながら“怒り”が大きなキーワードになっている。ただ、怒り全開で物語が展開するわけではない。東京、千葉、沖縄の三か所を舞台にして、映画が滑らかに回転していく。それぞれに雰囲気が異なり、殺伐とした東京、のどかな千葉、熱い沖縄がスクリーンに映し出される。キャスティングの妙もあり、また程よく無理のないミステリー仕立ても心地よかった。日常や非日常がリアルに響き、よそ者の取り扱い方にも唸らされた。人間は分からない、ということがちょっと理解できる映画だった。