何かに掴まっていないと溺れてしまう、『サウルの息子』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『サウルの息子

【評価】☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】ネメシュ・ラースロー

【主演】ルーリク・ゲーザ

【製作年】2015年


【あらすじ】

 第二次世界大戦中、ユダヤ人収容所で同胞をガス室に送る仕事をしていたハンガリー系ユダヤ人のサウルは、運び出された遺体の中に息子の遺体を見つける。サウルは息子を埋葬したいと考え、遺体を隠して、祈りを唱えられるラビを探し始める。


【感想】

 ナチスによるユダヤ人の虐殺を描いたホロコースト映画。日本でも毎年何本か公開されるので、きっと世界中ではかなりの数のホロコースト映画が公開されているはず。この映画は、ハンガリー系ユダヤ人の主人公がガス室から運び出された遺体の中から自分の息子を見つける、というストーリー。


 特徴は、主人公サウルのアップを多用し、サウルの思いをダイレクトに伝えようとしているところ。かなり力の込められた映画で、収容所やホロコーストを他人事として俯瞰するのを許してくれない。あくまで切迫したサウルに同調するよう仕掛けられていた。そして主演俳優が、十分その期待に応える表情を見せていた。ただサウルが少し先に行きすぎてしまい、なかなか追いつけなかった。


 それにしても、何故こんなに多くのホロコースト映画が製作されるかちょっと気になる。もしかすると科学者が絶対零度や特異点といった、常識破りの世界に惹かれるのと同じなのかもしれない。良くも悪くも振り切れた状況では、普段窺い知ることの出来ない人間性が顔を出す。悪の限界を試し、光を見ようという試みにも思える。この映画も1つの極限状態を見せようとしていた。