人間なんだもん、『ローマ法王の休日』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『ローマ法王の休日

【評価】☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】ナンニ・モレッティ

【主演】ミシェル・ピッコリ

【製作年】2011年


【あらすじ】

 ローマ法王が逝去し、新たな法王を選ぶためバチカンに世界中から枢機卿たちが集まった。そして密室の中で投票が行われ、メルヴィルが法王に選出される。慣例に従い信者の前で就任の演説することになっていたが、責任の重さに気付いたメルヴィルは警備の隙を突きバチカンから逃げ出してしまう。


【感想】

 イタリア人の喋り方は小鳥がエサをついばんでいるようで、小気味よく可愛いらしい感じがする。しかも手の動きが言葉と同調しているので、傍から見ていると全身で会話している印象を受ける。イタリア語は分からなくても言葉の響きには朗らかさがあり、勝手に思うところの地中海性のカラっとした乾いた空気を体感させてくれる。


 そしてイタリア語は、軽いタッチのコメディーと相性がいいように思える。この映画も、軽くくすぐってくるコメディーの様相だった。チャーミングとでも言いたくなるおじいちゃんたちが、愛敬タップリに喋ってくれる。その喋りに脇役の精神科医が、的確にツッコミを入れていく。リズムと温かみのある映画になっていた。


 ストーリーは、突然自らの責任の重さに気付いた新法王が、脱兎のごとくバチカンから逃げ出し市井の人々の暮らしの中に紛れていくというもの。確かにあらすじだけを見れば、“ローマの休日”の法王バージョンと思えてくる。実際、途中まで微笑ましい映画で、キレイに幕を閉じるはずだと確信していた。


 しかし最後の最後で呆気にとられる。安全な映画と思い込んではいけないようだ。コメディー映画としてのフリにまんまと騙されたのかもしれない。思いも寄らぬところから斬り込まれたようだった。突然の居合い抜きに、何の言葉も浮かんでこなかった。監督の術中にはまり、幻惑された気がする。