塵と命の区別はなく、『無言歌』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『無言歌

【評価】☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】ワン・ビン

【主演】ルウ・イエ

【製作年】2010年


【あらすじ】

 1960年、毛沢東の主導する反右派闘争により多くの人民が収容所に送られた。そしてゴビ砂漠にある辺境の収容所では、過酷な労働に加え食料不足により毎日多くの死者が出ていた。収容所は絶望感に満たされ、地獄のような光景も見られるようになった。そこへ夫に会うため、上海から一人の女性がやって来る。


【感想】

 1960年というのは文化大革命の起こる少し前の頃。1957年に毛沢東は共産党への批判を奨励するが、これがかなりの曲球だった。批判は瞬く間に盛り上がりを見せるが、この反応に毛沢東が驚いたのか、または冷徹な策略だったのか方針を一気に転換させる。共産党を批判した人々は右派のレッテルを貼られ、次々と収容所へ送られる。


 この映画は、不運にも辺境の収容所に送られた人々の姿を映している。更にその頃、大躍進政策の失敗により飢饉も発生、収容所では水で薄めた粥しか出せない状況だったらしい。映画はドキュメンタリーのような力強さで、死線をさ迷う人間たちの姿をリアルに描き出していた。


 夢や希望の登場しない映画。武骨なままに収容所の日常風景を映し、地獄絵図を作り上げていた。切羽詰れば人間のすることに差はなくなるのだろう。微かに残る良心や優しさが幻のように淡く立ち上っていた。何としてもあの時代を再現しようという監督の執念は、ひしひしと伝わってくる。


 改めて思うのはちょっとしたきっかけで、大規模な悲劇が生まれてしまうということ。多分、毛沢東は自らの政治的安定を図っただけなのだろうが、まさかこんなに人が死ぬとは思ってもみなかったのだろう。もしくは他人の命に関心がなかったか。一人の人間の気まぐれや意地が、大災害以上の災害を生んでしまうこともあるようだ。分かってはいるけど、口は災いのもとだ。ただ黙っているもの難しかったりする。