カクテル”ゴッドファーザー”も飲んでみました、『ゴッドファーザー』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『ゴッドファーザー』

【評価】☆☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】フランシス・フォード・コッポラ

【主演】アル・パチーノ

【製作年】1972年


【あらすじ】

 ニューヨークを根城にするイタリア系マフィア・コルレオーネファミリーのドンは、圧倒的な存在感を持ちボスとして君臨していた。しかし三男のマイケルは、父親の仕事を軽蔑し堅気の道を歩もうとする。そんな時、マフィアの抗争で父親が狙撃され重傷を負う。更に父親の命を執拗に狙うヒットマンの存在が明らかになると、マイケルは自ら進んで暴力の支配する世界に入っていく。


【感想】

 何回観てもどっぷりと浸れる映画だ。切ない音楽のせいなのか、美しい映像のせいなのか、充実した俳優陣の演技力のせいなのか、気がつくと「ゴッドファーザー」の世界の中でウットリしてしまう。優雅さや気品に溢れながら、同時に冷酷で残忍であったりもする。切れ味鋭い鈍刀といった感じ。


 オープニングの結婚式のシーンから映画の魅力がほとばしる。和やかで幸福感に満ちている式の最中に、淡々と血なまぐさい話しが進んでいく。華やかさと冷たさが同居し、厚みのある世界の幕開けとなる。屋外の眩しい光と、室内の仄暗い光。視覚的にもきっちりとした対称がある。愛情と憎しみが違和感なく共存していることが、この映画の奥深さに繋がっているような気がする。


 監督はフランシス・フォード・コッポラ。何故この映画を作りえることができたのか不思議ではある。この後にも何本も映画を撮っているが、おそらく「ゴッドファーザー」を越える作品はないのだろう。「ゴッドファーザー Part3」を観てしまうと尚更にそう思えてくる。ある意味、この撮影は奇跡だったのかもしれない。あらゆる偶然がプラスの方向に進み、誰もが想像しえない地点まで行ってしまった。


 特にキャスティングの妙が、映画に大きな推進力を与えていた。主演のアル・パチーノやマーロン・ブランドの他にも、脇を固める役者が自在に役柄を作っていた。トム役のマイケル・デュバルやソニー役のジェームズ・カーンなど、印象深い演技を見ることができた。キラ星のようなタレントが揃いに揃うサッカーチームを見ているよう。


 ただその中でも、アル・パチーノの存在感は図抜けていた。実力の伴うスターチームの中にあって、堂々と10番を背負っている。改めて観ても、アル・パチーノの目には魅入られてしまう。父親の仕事を毛嫌いしている頃の目と、ボスとして君臨する時の目がガラリと変わる。ファミリーを守るために殺しを続けることで、冷たい輝きが目の中に宿っていく。言葉以上に雄弁で迫力を持つ目が、映画に芯を与えていた。


 多くの人が素晴らしいと言うだけあって、怒涛のような流れを持つ映画だったが、よく観ると穴も所々である。例えば、ソニーがカルロを殴り倒すシーンでは、拳が空を切りまくる。リアリティーとは程遠いが、映画の流れを止めているかといえばそうでもない。徹底したリアリティーは案外退屈だったりもする。この「ゴッドファーザー」にあるのは、徹底した様式美なのかもしれない。実際のマフィアにではなく、「ゴッドファーザー」の中のマフィアにこそエレガントさがある。それが観る者を酔わすのだろう。