アロマテラピーを学んだのは「アロマテラピーの学校」という自然療法スクールでした。





確かなものを求めたがる一方で不確かさのなかにもヒミツが隠されてるかのような。人や物事の曖昧さや余白を重んじるところとか。



コトバになる前の「・・・」にそれぞれの好きなモノを当てはめてみて♪そんな雰囲気がふんだんに漂っていてw



当時は直感で、学ぶならココ!と即座に決めてしまったけど



そんな大らかさや柔らかさが決め手だったんだなーと今になって思い出してます。



なんで急にそんなコトを思い出してるのかというと…



力と努力で乗り切ろうとしないこと



そんなタイトルのブログを拝見したから。


 

セラピストって人を助けたい気持ちがより強い方が多いと思います。



わたしも不調を抱え、自分が何とかなりたい思いでアロマテラピーや自然療法に傾倒していきましたが、



周りの人もわたしみたいに困ったり悩んだりしてる人がいるんじゃないか?



そんなことも自然とセラピストを目指すきっかけにもなってました。



アロマテラピーの柔らかなタッチが物足りなくなって、しっかりした圧や的確なほぐしを求め、その後気功整体を学ぶことになるのですが



今となっては、どちらにもその時々でのいい点があることを体感しました。



こちらの思う「良さ」もお客さまが感じる「良さ」と異なることもある。



私があなたをどうにかしてあげたい!って、施術中につい手に力が入り過ぎてしまうこともあったけど



体は持ち主の管理下にあるし、どの手技でどんな風に施術を受けられたいのかを決めるのは、あくまで受け手側。



セラピストになって1番よかったことは、手技を習得した以上に「他者との関係性」を通じて「自分との関係性」も見直せたことです。



「なりたい自分」がいつのまにかピッタリ自分に寄り添うようになると、今度はそれが「当たり前の自分」過ぎて逆に「見えなくなるモノ」も出てくることを感じます。



そうして、行きつ戻りつしながら私は私の「ちょうどよさ」を感覚的に調整していきます。



生きるって、こんなことの繰り返しなんだろうけど。



そこに特別な意味も求めずに淡々と日々を紡いでいけることが何よりの幸せなのかも。



思えば、物心ついた頃から「イミ」とか「意義」を求めるようになってたな。



そんなこととは無縁だった無邪気な子供の頃なんて、能天気に生きる以外何もなかったけれど、そこには「シンプルに存在してる」自分への安心感がありました。



探せば探すほどに遠ざかるコトがあるなんて皮肉にも感じますが、考えずに出来てたコトを、考え抜いた経験を超えて



さらにぐるりと戻ってくることが、私たちには必要なこともあるように感じます。



力が入るほどに見過ごしてしまうこともあるから。手を出し過ぎず、大らかに自他を見守っていく。



探し続けたものが、実はいつも常にそばにあって優しく寄り添ってくれてたものだった♪そんな気づきもあったりしてね。



 

 

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