あなたが自分の本当の価値を知っているならば、どうして他人の評価を気にする必要があるだろう。
他人が自分のことをどう思うか。
あなたを受け入れるか拒むか、気にする必要は全くない。
仮にあなたが他人の評価を心配しているならば、あなたは自分の価値を全く知らないということだ。
あなたの身体の中に脈々と波打つ神々しさ。
あなたの内には神、TAO呼び名はなんでもいい。
それが宿っているが、あなたが自分自身の価値に気づいてないため、他人の意見が自分の意見よりも重要になってしまっている。
あなたは今や奴隷だ。
あなたは神でありながら、奴隷であることを選択しているようなものだ。
これがどれだけ馬鹿げたことなのか考えてみるといい。この週末はその意味を考え、自分を再発見するいい機会だ。
−あなたの内には絶対的な領域がある。それはどんな呼び名であれ真実そのものだ−
あなたはなぜ他人の評価を気にするのだろうか。
会社の評価を気にする。
上司の評価を気にする。
同僚の評価を気にする
友人の評価を気にする。
彼、彼女の評価を気にする。
etc...
生活のため、会社の居心地のため、達成感のため、役職のため、恋人に好かれるため。
理由はなんでもいい。
私たちは他人の評価を気にする。
そして評価されていないと感じると途端に苦しくなる。自分は今や必要とされていない人間だ。
自信がなくなった人間は惨めだ。
他人から陰口を言われるだけではなく
自身も自分に対し否定的になる。
あれだけ愛していた恋人の愛は届かず、彼彼女は今や他人の彼彼女になろうとしている。
今や貴方に笑顔はない。
この世が終わったような感覚になる。
なぜだろう。
他人の評価は、食べ物と同じくらい生きるために不可欠な要素となっている。
そして、すっかり自信がなくなってしまった貴方はどうにかして他人に嫌われない方法を取ろうとする。
嫌われまいとすればするほど、上司の無理難題に笑顔で対応しなければならない。
他人を誹謗中傷する噂話に耳を傾け、かといって自分はいい人である印象を他人に与えなければならない。寝る間を惜しんで会社のために尽くさなけらばならない。
恋人の行き過ぎたわがままを聞かなければならない。行きたくもない友人との食事会に行かなければならない。
気に入られるために、貴方はより努力する。
貴方は次第に自分のことは全く気にしなくなる。
貴方は作り笑いに必死で、自分の意見を発言する機会をなくしてしまった。
自分の中に創造的な意見は出てこない。
心の中には他人の意見でいっぱいだ。
今や他人の意見にうなづくことしかできない。
それは非創造的な生き方だ。
あなたは自分の中にストレスを溜め続ける。
精神的な苦しみが生まれ、胸が痛くなり、夜は寝付けなくなる。
そしてある時、あなたは立ち止まる。
私はこのままでいいのだろうか、と。
−あなたの内には絶対的な領域がある。それはどんな呼び名であれ真実そのものだ−
あなたは無条件に愛されている。
まずそのことを知らなければならない。
無条件に愛されているとはスピリチュアルな世界で使い古された言葉だが、あなたはそのままで幸福であるということだ。
あなたはただ息をするだけで全身に充足感を感じることができる。生きていることの感動をそのまま感じ取ることができる。
しかしそのためには、あなたは一度自分の中に神を発見しなければならない。
そしてそれは可能だ。
次の休日の夕暮れ時。
自分だけの時間を持ちなさい。
自分の好きな場所でその瞬間を待つことだ。
どこでも構わない。あなたが一人で過ごしたいと思う場所に行きなさい。
夕暮れどき。日が落ちる。
その雰囲気をただ感じてごらん。
世界の音を聞こうとしてごらん。
いいかな。
いまこの場所には、どんな不安もない。
仕事の悩みも人間関係の悩みも。
今この瞬間にはない。
悩みは仕事をしている時、恋人、友人と会っている瞬間にあるだけだ。
いまここには、ない。
いまここにあるのは、世界が夜を迎えようとしていることだけだ。
夕闇が深まって行く。
あなたの呼吸が深まる。
どこか遠くで他人の会話が聞こえる。
あなたが世界をただ感じることで、あなたは自分の中の声が少なくなっていることに気づく。
そこに不安は見つからない。
あなたはいつのまにか身体の中に充足感があることに気づく。
やがて充足感が深まったとき。
あなたは自分の中にとてつもない価値が息づいていることに気づく。
そのとき、あなたは全く他人の評価を気にしなくなる。他人の評価より自分の中に絶大な価値があることに気づくからだ。
自分が生きていることが何よりも尊いと気づく。
あなたが自分の本当の価値を知っているとしたら
どうして他人の評価を気にする必要があるだろう。
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