深淵をのぞきに行ってきました![]()
「真理芝居108」オンラインに参加しました
ただ「感じる」
芝居というタイトルはついてるけど「これは儀式だから」と何度も念押しするHAPPYちゃん。参加前までは「ふーん(どういう意味?)」て感じで聞いてたけど、参加したら分かりました
観るものじゃなく、感じるもの
光の者
愛の者
影の者
時の者
火の者
死の者
6人の使者の問答やモノローグと、その合間に挟まれる動き(芝居ではなく「動き」)だけで進んでいく――
当日のわたしは体調最悪。今月に限って満月から謎の不正出血が続き(20年以上ぶりに!)、前日に今回の台本を音読してたら身体がどんどん重くなり、当日にキツめの生理がスタート
集中できる気がしない…
さすがに今回は流し見しようかなと思ってたんですが、始まってみたらすっかり儀式の中にいました
序盤は、ただぼーっとしながら、淡々と飛び交う問答を頭を通すことなく、直接、骨や肉に聞かせるだけ。「なぜ生まれてきた?」って問われたからといって、答えをひねり出すものでもない。考えるヒマもない
「時の者」あたりから様子が変わってきました
一番の変化は「火の者」がはじまったとき。無性にソワソワしてきて「そういえば、あれ何だっけ」と今やる必要のないことを思い出して、スマホに手が伸びかけました
でもすぐに「わたし逃げようとしてる」って気づいて止めました。刺さるポイントだったから見たくなかった
思考を働かせようとする頭を黙らせてじっと見てたら、トリハダが立つわ恐怖は湧くわ。これが何なのかは分からない。ただ、感じるまま
「火の者」のパートは「欲と野心」を表現してるので、わたしはここを直視したくないのか、ということだけは分かりました
ただ「思い出す」
「死の者」のパートでは、少し前に亡くなった人のことを思い出しました
わたしは普段から死について考えているので、比較的フラットに捉えているつもり。人間らしく悲しむこともあるけど、心の片隅ではそこまで嘆くものでもない、とわかってるつもり
でも、その人が亡くなったとき、すごく不条理なことがあったんです。仕方なかったこととはいえ、思い出すたび苦しくなる
今回、しばらく忘れていたその感覚を思い出しました
以前と違う感覚になるわけでもなく、新たに何か気づいたわけでもない。ただ「今回、このことを思い出した」っていうことが意外でした
終わった後、また思い出してしばらく寝られませんでした![]()
この儀式を通じて色んな感覚を味わいました。以上。
HAPPYちゃんも言ってたけど、儀式を通じて「良かった」「悪かった」とかいう感想は特になし。感じたり思い出しただけで、何かが解決したわけでもない
ただ「奥から何かが出てきた」、あと、身体に何かトリガーが埋め込まれた、って感じ
こうやってブログに書いてはいるけれど、書けることは全て外側の話。本質的なことは言葉にしようがないんですね
どうでもいい感想をいうとすれば、「こんな儀式が大都会のド真ん中で行われてるって、どういうこと」と思いました。笑
理論だけじゃたどり着けない
一夜明けて今朝、HAPPYちゃんの補足配信を聞いて思ったこと
今回の儀式は、HAPPYちゃんの内側を表現したものらしい。「こんな場所だったのか」と驚きつつ、量子力学系の人がいうゼロポイントフィールドって場所なのかな、と思いました
(今回は第1幕だから、真のゼロポイントは第3幕?)
HAPPYちゃんも量子力学の話は知ってるだろうけど、そっち系の用語はあまり使わず独自理論ですよね。でもどの方面から探っていっても、真理であれば最終目的地は同じはず
なのでわたしはHAPPYちゃんをベースに、知識として量子力学の話もよく聞きます
量子力学で説明する人は、「ゼロポイントフィールドに立てば、なんでもできる」っていうことを言います
だから「要はゼロポイントフィールに立てばいいんでしょ」って分かっているつもりでした
でも今回参加して、理屈でこの場所を理解しても、そこに立ったことにはならないことが分かりました。笑
自転車の乗り方について完璧に頭で理解できたとしても、自転車に乗ることとは全く別もの
量子力学の話は座学、真理芝居は実技
両方大事だけれど、実技で乗りこなせたらとりあえずOKですよね
(自転車だったら、座学で交通ルールも覚えなきゃいけないけど、ゼロポイントフィールドにルールはいらないし)
座学で限りなく真理に近づくことはできても、今回味わった感覚を頭で理解して実行できるとは到底思えない
最深部は言葉のない世界
「そこに行く」と意図を持ったものだけが、たどり着ける場所
今日はタイムリーに参加できるかな。怖いけど楽しみ
【追記】
2日目は音だけ聞き流し参加しました。
最終日の3日目はオンタイムで参加。その後の感想はこちら



