前回記事
のつづき
最新の引き寄せは
「体感を望む」ということで
HAPPYちゃんの体感を
望んでたんですけど
なんか合わなかったので
わたしが本当に欲しい体感はなに?
って考えたところ
ささやかなのが浮かびました
たとえば
ブログアクセス数が
急上昇したときの
「わーい☆」っていう体感
お店とかネットとかで
わたしの好みにドンピシャな
ものを見つけた時の
「ほしい!」っていう体感
バラエティ番組で
涙が出るほど笑ってるときの体感
得意の料理を
家族がもりもり食べてくれるときの
満足感
美しい景色を見たときの感動
こういう感覚の共通点を
ムリヤリいうなら
「うわあ…
」みたいな?
こういう
味わいたい体感を思い出して
再現して味わっていたら
同じ体感を味わえるような現象が
違うシチュエーションでも起きる
―はず。笑
(いま実験中なので確証はない)
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「感覚の先取り」「予祝」
といわれるものって
正確にいうと
「体感の先取り」であり「予体感」
細胞ひとつひとつが
血沸き肉躍るとか
喜びにあふれてるとか
キラキラ輝いてるとか
文章で表現しようとすると
ありきたりになっちゃうけど
これなんですよね
いうなれば追体”感”
ですかね
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わたしは自分の経験だけじゃなく
他人の創作物でも
簡単に味わうことができる
便利な体質なんですが
良いことと同じくらい
悪い体感も味わいやすい![]()
むかし、
退廃的ですさんだ雰囲気の
暗めの日本映画に憧れて
そんなのばっか見てたら
近い状況になったことがありました
「経験してみたい」って
思っていたのは事実なので
いいんですけどね
十分味わったので
もういりませんけど
※
「生きてることが生きてる意味」
っていう話↓
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で、ここまできたら
また疑問がわきました
「うわあ…
」っていう体験すら
特別なイベントじゃないのか?
もちろん望んでるけど
数日に一回くらいでいい
生きてたら、それよりもっと
たくさん過ごしている時間が
あるじゃないですか
何ひとつ特別じゃない瞬間、
もっと平凡な日常の毎瞬
の方が大事なのでは?
↓につづく

