昨夜のaloness配信、

あんまり覚えてないんですが

 

神は無駄が好きだから

無駄なことこそやろう!

 

みたいな話をしてましたね

 

 

 

前の記事で

 

しょうもない趣味が

人を喜ばせた

 

って話を書いてたので

おお、シンクロ電球

って感激してました

 

(配信前に書いた)

 

 

 

 

配信内容の詳細は

忘れたんですけど

 

 

 

この3次元世界ができた理由

を考えると すぐ腑に落ちました

 

 

 

わたしが推している

”この世が誕生した説”は

 

身体を持たず

調和の中にいた神が

 

制限のある3次元世界で

感情や体感を味わいたかったから

 

 

 


人生に迷ったとき

「人はなぜ生きるのか?」

ってことを考えたのですが

 

意外と多くの人に

関心あるテーマらしい

 

 

 

色んな人が答えを

提示してくれるんだけど


いま選ぶとすれば

 

人生に意味なんてない

 

が正解だと思います

 

 

 

”生きること”こそが

生きてる意味

 

こうやって答えを探そうと

もがいていることすら

意味がある

 

 

 

ウツ状態の時に

そんなこと言われたら

殴りたくなるけど

元気になったら

やっぱりここに戻ってくる

 

 

 

前にダンスについて

書いた時から考えてたんです

 

 

 

HAPPYちゃんがなぜ

歌やダンスをするのか?

 

 

「好きだから」

「エンタメのツールだから」

 

とは別次元で

 

HAPPYちゃんの

活動の軸にある「生き方」と

どう繋がるのか?

 

 

それは

 

身体を持って

生きるということは

歌って踊ることと

同じ意味だから

 

だと思いました

 

 

 

若かりし頃、

mixiっていうSNSで

友達から送られてきた

テンプレの質問に答える

っていう遊びがあって

 

 

ある友達の日記で

 

この世から

音楽がなくなったらどうする?

 

っていう質問がありました

 

 

 

みんな若者らしい

カワイイ回答をするのだけど

 

 

わたしはこう思いました↓

 

 

この世に音があって

人がそれを聞く限り

音楽はなくならない

 

もし一掃されたとしても

また必ず生まれる

 

だって音はそれだけで

音楽だから

 

 

 

ちなみにわたしには

この質問は回ってないので

書いてません

 

たとえ回ってきても

これは書かないかな💦

 

 

 

 

身体を動かすだけで

それはダンス

 

声を出すだけでそれは歌

 

必ずしも芸術的でなくても

連続性がなくても

 

 

身体を動かすことも

声を発することも

3次元的な振動

 

 

この多様な振動こそ

神が欲しかったもの

 

 

じゃない?

 

 

 

では、

身体(ダンス)はわかるとして

なぜもうひとつがなの?

 

匂いじゃダメなの?

 

っていうと

 

いろんな振動の中でも

能動的に身体や周囲に

響かせることができるから

声(音)は感覚の代表

 

もちろん他も大事

 

 

って思います

 

 

 

人生っていうのは

3次元の肉体を持って

いろんな振動を味わって

=五感を味わって愛でる

 

だから

それさえできればいい

 

 

人間的には

生産性やら効率やら

政治経済やら

「大事」と思われることに

あふれているけれど

 

 

 

神目線では

特別な価値なんてない

 

 

 

世間一般で

「きっと大事だろう」

と思われていることに

意味を持たせているのは人間

 

 

 

本当は意味なんてない

 

 

 

だから無駄なことをしよう

 

 

 

そう理解しました

 

 

 

 

でも…

 

 

 

神目線で生きるなんて

1日や2日でできない

 

人間として生きてるのに

「無駄こそやるべき」

なんて理想論に聞こえる

 

 

 

って気持ちもある

 

 

そのアンサーというか

選択の幅を広げる話として

 

 

 

人間目線でも

ちょうど転換期を迎えてる

 

ってことは救いかな

 

 

 

 

ちょうどAIのおかげで(?)

今まで大事とされてきた

ロボット的な資質は

(スピードや正確性、記憶力)

もう不要になるから

 

今まで無駄と思われてきたこと

こそ重宝される時代になる

 

みたいなことが言われてます

 

 

 

思うんですけど

 

たとえば街の飲食店って

家でご飯を作らない家庭とか

独り暮らしの人が

お腹を満たしに行く場所

だったはず

 

 

でも今や

お腹を満たしたいだけなら

コンビニや大手チェーンで

安く事足りる

 

 

大手ほどコスパが良くない

個人店は昔とコンセプトが

違ってきてる

 

 

 

値段で勝負できないなら


コンビニやチェーン店では

味わえない豪華さとか

店員さんの安心感とか

 

個人には何かしら

「そこにしかない魅力」を

求めるようになってる

 

 

 

すべての業界で

そうなっていくはず

 

 

 

かつてわたしは

 

ロボットになれたらいいのに

 

って思ってた時期がありました

 

 

 

シチュエーションは

覚えてないんですけど

 

いちいち心を揺らして

仕事に影響をきたすことがイヤで

 

HAPPYちゃんと同じように

自分を徹底的に管理してたんです

 

 

 

いけいけドンドンで

馬車馬のように働いても

それが希望だった時代もあった

 

けど、社会が成熟してきたら

その要素はもういらない

 

 

 

人間的にも無駄なことを

振り返る時期みたいです

 

 

 

神から見ても無駄

人間から見ても無駄

 

本気の無駄をやるのが

これからの黄金期キラキラ

 

なのかも