Sun 240121 万年筆広告の記憶の混線/「書き記すに足る日々」/充実の11月 4485回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 240121 万年筆広告の記憶の混線/「書き記すに足る日々」/充実の11月 4485回

 小5だったか小6だったか、幼い今井君がまだ中学校に上がる前の春3月、我が父上がマコトに珍しく月刊の「総合雑誌」を買って帰ってきた。

 

 月刊総合雑誌といえば、昔も今も「文藝春秋」か「中央公論」であるが、あの時は間違いなく「文藝春秋」。500ページもある分厚い雑誌が、国鉄の狭い社宅の居間のテーブルに、ずいぶん長いあいだ放置されていた。

 

 今は「JR」という何ともチャラチャラした名前の民間企業であるが、当時の国鉄 = 日本国有鉄道は戦前の「鉄道省」、単なる社宅ではなく「官舎」という名称で恭しく呼ばれ、小さい庭には小さいながらも池があり、数匹の金魚が泳ぐ池に松の木が覆い被さって、まあそれなりに風情もあったものである。

 (12月1日、神戸・三宮で200名の講演会。詳細は、次回 1)

 

 と言っても、官舎とはいえ要するに「狭小住宅」。8畳間が1つ、6畳間が1つ、姉の部屋が4畳半。今井君の部屋なんかたった3畳、台所とお風呂場に挟まれた何とも湿っぽいお部屋で、小6男子に必要なプライバシーなんか、全く考慮されていなかった。

 

 8畳の居間には、床の間があり、床の間には地元のデパートで買ってきた安い掛け軸がぶら下がり、掛け軸の前には「岩上の鷹」だか「巌乗の鷹」だかの置物もあった。

 

 市内の家具屋で何度も逡巡を繰り返して購入した重たいテーブルが居間の真ん中を占拠し、父は職場から仕事を持って帰ってきては、そのテーブルで深夜まで仕事を続けた。

 (12月1日、神戸・三宮で200名の講演会。詳細は、次回 2)

 

 何しろ父は理系の人間だから、月刊総合雑誌なんかにはあまり縁がなかったのだが、ちょうど時代は「国労」「動労」のストライキが激しかった頃で、労働組合対策やらストライキ対策やらを任された中間管理職の父としては、「文藝春秋」に掲載されたストライキ特集やら春闘特集やら、そんなのも熟読しなければならなかったんだと思う。

 

 さすがに今井君はまだ小5や小6で「月刊 文藝春秋」に関心を持つほど大人びてはいなかったけれども、まあ本好きといえば本好き、別に活字がキライというわけではないから、居間のテーブルの「文藝春秋」、午後8時ごろに父が帰宅する前の夕暮れ、何度も何度もペラペラめくってみたのである。

(12月1日、京都から神戸に移動。ANAクラウンプラザホテルから神戸の港を望む 1)

 

 その時に繰り返し読んだのが、どこかのメーカーの万年筆の広告記事。昭和の時代にはまだ日本の万年筆メーカーには広告費がたっぷりあって、プラチナにパイロットにセーラー万年筆、みんな凝りに凝った万年筆のCMをテレビに提供し、雑誌にも新聞にも、コピーライターが腕にヨリをかけた広告を載せた。

 

 めでたく中学生になったら、当時の親たちは腕時計を買ってくれる。叔父さんとか叔母さんとかは、万年筆を買ってくれる。時計も万年筆も中学生向けに思い切り安いものだったけれども、当時の日本の中学生はそれで十分に満足した。

 

 かく言う今井君も、中1の春に手に入れたプラチナ万年筆で、中3の夏まで書いて書いて書きまくって勉強を進めた。ブルーブラックのスペアインクが大好きで、「どれだけインクを減らせるか」みたいな馬鹿馬鹿しいことばかり考えて中3までを過ごした。

(12月1日、京都から神戸に移動。ANAクラウンプラザホテルから神戸の港を望む 2)

 

 そういう地味なコドモであるから、父の「文藝春秋」で万年筆の広告を発見した時も、嬉しくなってそのページばかり繰り返して読んだ。広告は、「大学時代の友人から記念品として万年筆をもらった男の、友人への決意表明」というスタイルをとっていた。いやはや何とも気恥ずかしい設定の広告じゃないか。

 

「高価な贈り物、ありがとう」という1行で広告は始まっていた。「君に、誓おう。この万年筆で記録するに相応しい充実した毎日で、僕はこれからの人生を満たそうと思う」「君がくれた万年筆で書き記すのに恥じない毎日を送ることを、君に誓おうと思う」。おお、お顔から火が出るような、恐ろしい決意表明じゃないか。

(神戸なら、まずは「神戸元町 別館 牡丹園」を訪問しなきゃいけない)

 

 しかし昭和の時代には、これを恥ずかしいと思わない熱い熱い熱すぎる青年やら中年やら熟年やらが溢れていたし、このぐらいの決意表明なら、ごく普通に交換する熱い友人関係も珍しくはなかった。「青春ドラマ」「スポコンドラマ」に負けないほど、「熱血中年」なんてのも溢れかえっていたのである。

 

 なお諸君、人間の記憶というものはいろいろ混線するものであって、今は「月刊 文藝春秋」だったと信じて疑わないこの逸話について、ホンの7年前のワタクシのブログでは朝日新聞系の雑誌「アサヒグラフ」の思ひ出として書いている(Fri 171013 アサヒグラフ/広告の影響力/黄色い店のランチ(晩夏フィヨルド紀行30))。

 

 今となってはどっちがホントか判断がつかない。正直に告白しておくから、まあ諸君も7年前の記事も、ぜひポチッとして読んでみてくれたまえ。

 

 というか、きっとどちらも真実なのだ。あんなに頻繁にいろんな雑誌に掲載されていた広告だ。「アサヒグラフ」でも「文藝春秋」でも、幼いワタクシはどっちの雑誌でも同じ広告を目撃したに違いない。

 

 さて、こんな広告を繰り返し読んじゃった小5だか小6だかの今井君としては、とにかく何とか手っ取り早く万年筆を手に入れて、「万年筆に相応しい日々」というのを送ってみたくてたまらなくなった。

 

 父の引き出しに、18金のパイロット万年筆があり、さらに父が何かの記念品としてもらってきた「パイロットショート」があるのも知っていた。伸びたり縮んだり、変幻自在に長さの変わるニュータイプの万年筆で、テレビCMでも「のーびたり、縮んだりの、パイロットショーーート!!」と連日連夜、コミカルな歌を流し続けていた。

(神戸「別館 牡丹園」の春巻き。こりゃ旨い。大阪心斎橋「大成閣」と、春巻きの双璧をなすと言っていい)

 

 ま、それでも今井君は、中1の春まで辛抱強く待ったのである。中1でプラチナ、14金の1500円のヤツ。中3で父のお下がりの「パイロットショート」。高2でまたパイロット万年筆の3000円のヤツ。これは初めて自分のお小遣いで手に入れた。

 

 ということは諸君、青少年期の今井君はだいたい2年に1本の万年筆を使い倒していたことになる。何でもかんでも滅多やたらに丁寧に使う今井君だ。今でも、靴1足10年とか、冬コート1着15年とか、何と35年目になる冬コートだってタンスに入っている。

 

 だから万年筆1本を2年平均となると、その使い方のヘビーさには驚くべきものがある。いやはや13歳から18歳まで、何しろ今井君は書いて書いて書きまくったのである。その総量や、いかに。まあ諸君、すでに4485回を迎えるこのブログの文章量を考えてみてくれれば想像はつく。

(神戸「別館 牡丹園」、かた焼きそば。もやしとニラのバージョン。海鮮バージョンもあるが、ワタクシはこっちの方が旨いと思う)

 

 何しろ今はPCで書いている。連日連夜こんな分量を書きまくって、今日が4485回、間もなく4500回を迎えようとしていても、別にPCがぶっ壊れる心配はない。とは言うものの、すでにほぼこのブログだけのために、PCが4台ほぼオダブツになった。

 

 13歳から18歳まで、今井君はこれを上回る勢いで万年筆を酷使し続けた。大学学部生になっても、万年筆の酷使をオシマイにすることなく、塾講師のバイトでいくらかリッチになってからは、モンブラン2本、ペリカン1本、それなりに高級万年筆もオダブツにし続けたのである。

(20年も付き合ったワイシャツを、神戸のホテルで断捨離する)

 

 その点は、まああの時の「文藝春秋」の熱すぎる広告コピーに恥じるところはない。しかし問題は、「君に誓おう」「この万年筆で書き記すに恥じない充実した毎日を送ることを」という部分である。いやはや、「書き記すに恥じないっ充実した毎日」、こりゃなかなか難しい。

 

 もちろん諸君、あくまで「一応」であるが、充実はしている。あんまり充実しすぎていて、書いても書いてもカレンダーに追いつかず、すでに2024年の1月も20日を過ぎているのに、ブログの方はいまだに2023年の12月1日だ。

 

「ぼくの正月は、旧暦だ!!」と 開き直ったのはいいが(Mon 240108 ゼロの焦点/今井君の正月は、旧暦だ!!/滋賀北部・木ノ本への旅 4479回参照)、このままでは実際のカレンダーに2ヶ月の差をつけられてしまう。平然と構えてはいるけれども諸君、実際の今井君の焦りは相当なものなのだ。

 (新神戸、ANAクラウンプラザホテルのクリスマスツリー)

 

「こりゃちょっと、『万年筆で書き記すに恥じない充実した日々』を心がけ過ぎてるんじゃあるまいか」「もっともっとずっと薄っぺらい、『とりたてて書くことナシ』『無為の1日』『今日も何にもしなかった』みたいな日々を心がけたほうがいいんじゃないか」、さすがの今井君も気弱になるのである。

 

 それどころか諸君、それこそ「晴耕雨読」という理想ではないかとも思うのだ。晴れたら田んぼや畑を耕して、雨が降ったら読書に励む、雨にもマケズ&風にもマケズ、粗末な机に分厚い宗教書や哲学書を山と積み上げて、むしろ雨が降るのを楽しみに待つ、そういう生活のほうがいいんじゃないか。

 

 しかしどうやらまだワタクシ、ココロもカラダもそこまで枯れていないようだ。ふと昨年11月を振り返ってみると、こりゃやっぱり「万年筆で記すに相応しい充実した日々」であることに間違いはない。

  (講演会の後、神戸三宮のステーキ屋を訪問する)

 

 11月1日、滋賀県草津で講演会。11月2日、京都キャンパスプラザで講演会。11月3日、山形で講演会。11月4日、山形の名店「庄司屋」で蕎麦と日本酒を満喫、11月7日、沖縄・那覇の名店「ジャッキー」で大っきなステーキを満喫、同じく11月7日、沖縄・浦添で講演会。上旬の充実ぶりはかくの如し。

 

 1110日、群馬県高崎で公開授業。12日、四国・高松で公開授業。13日、高松から大阪に移動、兵庫県西宮で公開授業。14日、岡山県倉敷で公開授業。15日、大阪・京橋で公開授業。16日、大阪・茨木で公開授業。17日、大阪から福岡に移動、博多の水炊きを満喫。18日、福岡県柳川で有明海料理を徹底的に賞味。19日、福岡・香椎で講演会。20日、帰京。おお、中旬の充実もかくの如し。

(神戸三宮のステーキ屋にて。エビとロースは美味かったが、ヒレステーキ(左)が少し残念なお肉だった。というわけで、お店の名前は掲載しない)

 

 1122日、東京から札幌に移動、札幌で恒例のジンギスカンを満喫。23日、10時からダブルヘッダー講演会・午前の部。14時半からダブルヘッダー講演会・午後の部、18時から北海道の魚介を徹底満喫。24日、札幌から大阪にヒコーキ移動、夕暮れから京都駅前で講演会。

 

 25日から30日まで京都・宝ヶ池に滞在。25日、京都北山コンサートホール。26日、北野天満宮・お茶壺行列、大阪・国立文楽劇場で文楽、イノシシ鍋。27日、滋賀木ノ本・鶏足寺。28日、宝ヶ池・詩仙堂・曼殊院。29日、祇王寺・大覚寺・真如堂・金戒光明寺・豆水楼。30日、京大室町寮・妙顕寺・南禅寺・天寿庵・「畑かく」イノシシ鍋。下旬もまた、かくの如し。

(神戸三宮のステーキ屋にて。〆のライスを、写真のようなカレーに変更できる。カレーはたいへんオイシューございました)

 

 何しろ「セキュリティーの問題」がある難しい世の中だ。事前に詳細なスケジュールをを書くことが出来なかった11月の日々であるが、いま思い出すままに書き出せば、以上のようになる。まあこれなら、たとえ友人に贈られた高価な万年筆であっても、書き記すのに恥ずかしいことはないんじゃないか。

 

 そして諸君、2024年もあと残すところ345日しか残っていないのであるが、またまたワタクシは「とても記録が間に合わないよ」と慨嘆を繰り返すほどに、どこまでも徹底して生活を充実させていきたいのである。

 

 関係者の諸君、このベテラン豪傑♡イマイが記録しきれないほど充実したスケジュールを、もりもり遠慮なく入れてくれたまえ。

 

「別に関係者じゃありません」という諸君も、もし何か依頼があったら、何の遠慮なしに依頼してくれたまえ。そしてもし街で出会ったら、いつでもどこでも、どんどん遠慮なく声をかけてくれたまえよ。

 

1E(Cd) Leinsdorf:MAHLER/SYMPHONY No.6

2E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.8 1/2

3E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.8 2/2

6D(DPl) 能:観世流 俊寛(観世寿夫 宝生弥一)/ 観世流 猩猩 乱(観世寿夫 宝生弥一)

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