Mon 240108 ゼロの焦点/今井君の正月は、旧暦だ!!/滋賀北部・木ノ本への旅 4479回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 240108 ゼロの焦点/今井君の正月は、旧暦だ!!/滋賀北部・木ノ本への旅 4479回

 松本清張といえば「ゼロの焦点」であり、光文社カッパブックスの「ゼロの焦点」は、我が父上と母上の本棚の最上段の左の端に、ワタクシが小学生の頃からキチンと収まっていた。1958年作品、今からもう65年も昔の名作である。

 

 父母の本棚には中央公論社の「日本の文学」全80巻も当然のようにズラリと揃っていた。80巻の全集はいつの間にかワタクシの本棚に引き継がれ、書斎の天井まで届く9架の書棚のやっぱり左端、上から4段目に80巻、几帳面に揃えて保存してある。

 

 ところがその全集に、松本清張は入っていない。昭和の「文学全集」に入れてもらうには、何が何でも「純文学」という栄誉のジャンルの称号を受け入れるしかなくて、大衆系・推理系・直木賞系は全て排除されたのである。

(11月27日、京都から滋賀県北部、木ノ本に日帰りの旅をする。目指すは「鶏足寺」である)

 

 その「ゼロの焦点」、舞台は金沢である。というか、新婚1週間で夫が失踪してしまった新妻が、東京と金沢を繰り返し繰り返し列車で往復するうちに、事件の糸が次第にほぐれてくる。これ以上はそれこそネタバレであるから、ここから先は諸君自身でググるか、実際に手に取って読んでいただくしかない。

 

 映画にもなっている。1961年版では、ヒロインが久我美子、2009年バージョンでは広末涼子が新妻を演じている。他に中谷美紀・本田博太郎・木村多江など錚々たるメンバーが出演。プロデューサーの力こぶが見えるようだ。しかしそこからでもすでに15年が経過。時間の経つのは速いものだ。

 

 ワタクシとしては、1961年版をオススメしたいのである。書かれたのが1958年、すぐに映画化が始まって3年後の公開。さすがに臨場感が違う。久我美子が演じる新妻の健気さには、60年が経過した今眺めても強く心打たれるに違いない。

  (1958年版、日本交通公社の時刻表、もちろん復刻版だ)

 

 試しに1958年版の「日本交通公社 時刻表」を紐解いてみる。そういうものをすぐに紐解けるのが今井君の書斎の物凄いところであるが、1958年当時、東京から金沢への列車の旅では、急行「北陸」を使うのが一般的。今みたいに新幹線「かがやき」やら「はくたか」やらが東京駅からバンバン発車している時代とは違うのだ。

 

 もちろん東海道本線米原から北陸本線に乗り換えてもいいが、金沢行きの夜行列車は、上野からの発車である。「北陸」はそののち特急に格上げされたが、65年前はまだ夜行急行・福井行き。上野発2115分、大宮・熊谷・高崎・水上と停車して、水上で日付が変わる。

 

「国境の長いトンネルの抜けると、そこは雪国」「夜の底が白くなった」と川端康成どんが感激したあたりであるが、しかし越後湯沢には停車せず、長岡が午前2時32分、富山に6時59分、高岡に7時20分。結婚1週間で夫が失踪してしまった新妻として、こんな長旅を繰り返すのがどれほどの負担になったか、そのへんも小説の読みどころである。

(琵琶湖の東岸を北上する前に、京都駅山陰線のホームで「ちくわ天そば」をすする。オイシューございました)

 

 やがて舞台は、金沢から能登方面に北上する。金沢から輪島に向かう「七尾線」に乗り継いで、羽咋(はくい)で乗り換え。羽咋から三明(さんみょう)へ、三明から富来(とぎ)までは険しい雪道をバスで行く。

 

 1961年の久我美子バージョンで見ると、1人でバスを降りたヒロインが能登の激しい地吹雪の中を行く姿、あまりにも哀れに見える。新婚の夫の行方は、杳として分からない。そのまま舞台は日本海「ヤセの断崖」に向かうが、ここが原作でも映画でもクライマックスになっている。

  (木ノ本、マコトに鄙びた鶏足寺付近にたどり着く 1)

 

「だから何?」とおっしゃるかもしれないが、ちょうどこのあたりが今回の震災で何度も地名を聞く「志賀町」、震度7の町である。ニュースで「志賀町」という響きを耳にするたびに、ワタクシはあの雪と地吹雪の中をヒロインが懸命に歩いていくシーンを思い浮かべてしまう。

 

 何しろあの「御陣乗太鼓」の本場だ。例え暖冬で雪が少なくとも、自然環境はマコトに苛烈&過酷である。むしろ地吹雪になってくれた方がマシなので、風に吹かれる地吹雪の軽い雪ならまだしも、暖冬でジットリ水分を含んだカキ氷のような重い湿雪に積もられては、除雪作業の苦役だって数倍に厳しいものになってしまう。

 

 今回の大地震があってから、お正月の間ずっとあの雪と地吹雪のシーンを思って過ごしてきた。むかしむかしのお正月は、田舎のジーチャンもバーチャンも、必ずマゴたちに「オモチ、いくつ食べた?」と笑顔で尋ねたものだったが、今井君は何だか悲しくて、今年のお正月は餅が2個しか喉を通らなかった。

 

 その「餅2個」というのも、やっぱりずっと以前から予約していた旅の最中の、京都の白味噌雑煮で味わったものだったから、「オウチのコタツでぬくぬくしながらのアンコロモチ」「いそべもち」という最高の幸福は、今年は全く経験しなかった。

(木ノ本、鶏足寺付近の茶畑にて。「山1つ越えたら、もう岐阜県やで」「クマもたくさんおるよ」と運転手さんが笑った)

 

 さて、昨日は「七草粥」だった。お正月の暴飲&暴食で疲れた胃腸を休めるために、セリ・ナヅナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ「これぞ七草」をお粥に入れていただくわけだが、何しろ2024年の今井君は、お正月の暴飲暴食を生まれて初めて謹んだ。

 

 だから、七草粥もやっぱりお預けである。むかしむかしまだ絶好調だった代々木ゼミナールでは、全国各地どこに行ってもあった総合病院なみの大校舎の壁という壁に「ぼく達の正月は三月だ!!」と大書して貼り出した。「ぼくら受験生は、お正月の餅も遊びも全て3月まで延期します」という健気な決意を示すものだった。

 

 20年前の今井センセはこの貼り紙が大キライで、代ゼミの全ての授業で批判を繰り返した。何より「ぼく達」がキライ。「女子を無視してどうすんだ?」「ぼくがひらがなで、達が漢字なのはどうしてだ?」「そもそも21世紀初頭、お正月がそんなに楽しみなのか?」、まあそういうヘリクツを並べた若気の至りだった。

  (木ノ本、マコトに鄙びた鶏足寺付近にたどり着く 2)

 

 しかし2024年、やっぱり我々は「我々の正月は3月だ!!」と、ぎゅっとコブシを握りしめる方がいいんじゃないか。受験生だって、あの大キライな共通テスト、もう目の前じゃないか。

 

「急げ」「急げ」「とにかく急げ」「読み飛ばせ」「時間との勝負だ」と徹底的にせき立てられるだけの試験。「論理的思考力と判断力を試します」と言っている割に、要するに「どれだけ速いか」「どれだけスバシコイか」ばかりが要求される試験。「あの問題のどこが論理的思考力なんですか?」と真顔で尋ねたくなるような中身。いやはや、とにかく早く解放されたいものですな。

 

 だからやっぱり「ぼく達の正月は3月だ!!」なのだ。早くあそこから解放されて、ホントの読書生活に入りなされ。1ページ1ページ、身も捩れるほど楽しい本がナンボでも待っている。1行1行、手に汗を握るスリリングな展開が待っている。諸君、諸君の正月は3月なのだ。

  (木ノ本、マコトに鄙びた鶏足寺付近にたどり着く 3)

 

 一方の今井君は今、「ぼくの七草粥は、2月の旧正月だ!!」と絶叫している。2月11日、京都・洛南の城南宮では、旧正月の七草粥が振る舞われる。と言っても、確か500円の志納があったから正確には「お振舞い」ではないが、とにかく七草が全て入った本格的な七草粥だ。

 

「唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に 七草なづな」

「テッテッ、テロロロロロロロ ...」

「テッテッ、テロロロロロロロ ...」

 

 京都のオジーチャンの優しい笑顔とトボけた声でそう諭されながら、マゴたちが春草の匂いの熱いおかゆを喉に流し込む。これを食べとけば、鳥が運んでくるかも知れないインフルエンザだって、へっちゃらだ。ま、そういう七草粥だ。

 

 このブログを見ればわかるように、今井君は1ヶ月遅れの旧暦の世界に生きている。世の中の大半は明日1月9日に仕事始め。しかしワタクシの仕事始めは、はるか先の1月29日の予定。だから「今井君の正月は旧暦だ!!」なのであって、我が心は今もなお2023年の年の暮れにある。

 

 以上、軽い言い訳であって、今日の写真は昨年1127日に滋賀県北部を旅した時のもの。すでに実際の太陽暦より40日も遅れている。しかしどうしても11月&12月の記録は省略できないから、40日前、琵琶湖の東岸をどこまでも北上し、虎姫・木ノ本から鶏足寺(けいそくじ)まで山中に分け入った時の写真だけは掲載しておく。

 

21世紀は、清水寺や東福寺や南禅寺みたいなチョー有名なお寺の紅葉より、滋賀の山奥の鄙びたお寺の紅葉がいい」と考えて「クマも出ますよ」という山中に分け入ってみたが、いやはややっぱり奥の奥まで闖入しすぎたかもしれない。

(鶏足寺と書いて「けいそくじ」。マコトにマコトに鄙びた風景でござったよ)

 

 木ノ本の駅前から乗ったタクシーの運転手さんは、あまりにも能弁。能弁すぎて、さすがの語学の天才♡イマイでも、半分しか聞き取れない。日本語リスニング能力に疑問を感じるひとときだった。

 

 しかしよく聞いてみると、関西コトバと、名古屋のアクセントと、北陸のイントネーションが、ちょうど1/3ずつミックスされて、マコトに興味深い言葉なのである。

 

 浅井と朝倉と織田信長が力を競い合ったあたり。佐々氏やら六角氏やら足利幕府やらの勢力ももちろんくんずほぐれつ、蓮如が率いる一向一揆勢力もまたくんずほぐれつ、そう考えれば、京都と一乗谷と加賀と尾張と美濃のコトバが20世紀にもまだくんずほぐれつ、それもまた「むべなるかな」なのだった。

(琵琶湖東岸を北上中。「虎姫」と言ふ駅に停車する。虎姫、可愛いじゃないか)

 

 加賀から能登、北陸のコトバには顕著な特徴があって、特に強調したい文節や詠嘆や間投詞の語尾を、2回から3回、折りたたんで喉の奥を震わせる。

 

「あぁあぁあ」「うぅうぅう」「えぇえぇえ」、文字で書けばこの程度にしか表現できないが、もし諸君が冒頭に示した映画を見る機会があれば、あの独特の温かい言葉の味わいを聞き取っていただきたい。北陸愛がグッと高まるはずである。

 

 ただし、それも20世紀まで。21世紀の日本の若者たちは、おそらくそんなコトバの妙味をほとんど理解できていない。みーんな同じ「半疑問形」に統一されて、1文節ごとに相手の空気を用心深く読みながら話す、マコトに自信なさげな話し方に毒されてしまった。

(京都に帰還して、さすがに腹が減った。北大路イオンモール内「清修庵」でカツ煮&蕎麦セットをいただく。京都の人は、ホントによく召し上がる)

 

 鶏足寺からの帰りのタクシーでも、京都・名古屋・北陸が1/3ずつ混じったコトバの運転手さんと、同じようなことを嘆きあった。往路と負けないぐらいの年齢のジーチャン運転手さんは、「最近の若者は、鮒寿司も飯寿司も食べようとしませんな」とおっしゃる。

 

 鮒寿司は、近江の名物である。近江の代名詞のような名物ではあるが、発酵食品の発酵の度が過ぎて、地元のオジサマ&オバサマでもそれなりに苦労する。相当の高齢に至って、初めて鮒寿司や飯寿司の妙味が理解できる。

 

 運転手さんは「午後3時を過ぎたら、もう仕事はヤメにして、鮒寿司で酒をたっぷり飲みたいですな」とおっしゃる。今井君も、まさに大賛成だ。発酵の進んだ鮒寿司&飯寿司、ワタクシの大好物なのだ。ただし今井は秋田の人間、フナ寿司ではなく、発酵したハタハタ寿司をナンボでも食べられる。

 

 そのハタハタ寿司に、日本酒は6合、いや7合を熱燗で。何しろ「今井君の正月は、旧暦だ!!」なのだから、その話を運転手さんにしてみたら、「毎晩6合はスゴイですな」と目を白黒、ついでに「鮒寿司が大好きというお客さんに出会えて、本当に嬉しいです」と大いに感激していらっしゃった。

 

1E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 8/10

2E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 9/10

3E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 10/10

6D(Pl) 新国立劇場バレエ団:くるみ割り人形:新国立劇場240107

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