Fri 171013 アサヒグラフ/広告の影響力/黄色い店のランチ(晩夏フィヨルド紀行30) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 171013 アサヒグラフ/広告の影響力/黄色い店のランチ(晩夏フィヨルド紀行30)

 一つのCMの記憶が、それなりに人生を変えることがある。それほど大袈裟な話ではないにしても、ワタクシがこのブログを始め、10年近く延々と書き続けてきたのも、元はと言えば幼児の頃に見た雑誌広告がキッカケなのである。

 1972年のミュンヘン・オリンピックだったと思うが、何故か我が家にはオリンピックのたびごとに「アサヒグラフ」という写真誌を買う習慣があった。

 しかもそれを家族で何百回もめくって見るものだから、「東京オリンピック」も「メキシコオリンピック」も、もうみんなボロボロ。1972年のミュンヘン版も、あっという間にボロボロになった。

 あのとき男子100メートルでは、9秒9が期待されていた。しかし期待されていたアメリカ人選手が失格になって、ソ連のワレリー・ボルゾフが金メダル。平凡な記録に終わって、アサヒグラフの見出しは「吹き飛んだ9秒9の夢」だった。

 女子体操のヒロインは、オルガ・コルブト。その後のコマネチと、その前のチャスラフスカの間のヒロインであって、アサヒグラフの見出しは「コルブトにもっと点を」。コルブトに与えられる点が低いことに、観客が激しいブーイングを繰り返した。

 その後のオリンピックでコマネチが10点満点を連発したのも、あの時のブーイングが元になっていたような気がする。「観客が後押しする」という光景の、歴史上始めてのケースだったかもしれない。
レストラン
(オスロの名店「Stortorvets Gjæstgiveri」。旅の最終日のランチは、この黄色い店に決めた)

 こんなふうに、イヤというほど記憶している1冊の雑誌の中に、そのCMはあった、それなのに、何の広告だったかは覚えていない。暗いデスクに向かい、万年筆を握る1人の中年男。書いているのは、日記か、またはお手紙か。

 どうやら彼は、海外に赴任するのである。餞別として、ないしは贈り物として、友人から1本の万年筆をもらったのである。写真の下のコピーには、友人宛の手紙の文面が記されていた。

「贈り物を、ありがとう。親しい君に、あえて礼は言うまい。しかしこのペンで記録するに値する日々を送ることを、君に誓おう」。うげ、こりゃ恥ずかしいでござるよ。若干ではあるが、BL系の美しい気分も漂うじゃないか。

 しかし諸君、幼児の頃から、何故か今井君はこの広告に触発されてしまった。だから、万年筆大好き。小学生の頃には父・三千雄の万年筆を借りて、わけの分からない文章を書きまくった。

 中1から先は、ほとんど万年筆マニアになった。お小遣いをはたいて、「プラチナ」「パイロット」「セーラー」、そういう国産の安い万年筆を何本もジャラジャラさせていた。

 中でも好きだったのが、当時流行の「パイロット・ショート」。若い諸君は信じられないかもしれないが、そのむかしは「万年筆のテレビCM」いうものがあって、「のーびたり、縮んだりの、パイロット・ショート!!」という歌が流行したほど。ワタクシはいまだにその歌を歌える。
店内風景
(Stortorvets Gjæstgiveri店内風景)

 というわけで幼い今井君は、「このペンで記録するに値する日々を送る」、あのCM中の彼の決意表明に触発されて生きてきた。マコトに残念なことに、人生それ自体は記録するに値するものになっていないが、少なくとも積極性だけは確保できている気がする。

 時代が変わってしまったから、さすがに万年筆を手にして「友人宛の手紙」などという恐るべきものを書いたりはしないが、その代わりに「毎日A4版3枚」「それを10年」「1日も休まない」と、たいへん激しいブログ宣言をしてしまった。

 その宣言自体、今思えばマコトに恥ずかしいものであったが、これはもう乗りかかった船。残り8ヶ月までグングン進んできた今、まさかいきなり「ヤメます」というわけにもいかない。それこそ「君に誓おう」の世界で、2018年6月まで突っ走るばかりである。
サカナ
(おサカナのお札もたくさんたまってきた)

 しかし1つだけ言っておくと、ブログと言ふもの、積極性の確保にはホントに間違いなく役立つのである。何しろ今井君はコドモの頃から消極性の権化。「あれもヤメにしよう」「これもヤメにしよう」、何でもかんでも自己否定して、何にも試してみない安全で否定的な日々が基本だった。

 しかし、他人がどんなに失笑&嘲笑しても、どんなにバカバカしい行動であっても、尻込みしてやらないより、思い切ってやってみた方が楽しいのである。

 昨日の記事の「ロフォーテンの戦い 第2章」なんてのは、誰が見てもバカバカしいかぎり。これ以上バカで恥さらしな行動は、ちょっと考えられないほどであるが、それでもワタクシはブログに後押しされる。

 コドモの頃の自分なら「待てよ」「待てよ」と自重するに決まっていた行動にでも、「やってみて、面白おかしくブログに書かなきゃ」と思えば、ギュッとコブシを握って突入しているのである。軽挙妄動、いいじゃないか。
大聖堂
(オスロ大聖堂)

 8月24日、いよいよオスロから東京に向かう日になったが、やっぱりその積極性は変わらない。もしもブログがなければ、チェックアウトするまでホテルの部屋でじっと佇んで終わるところ。というか、オスロの旅もフィヨルド探険も、最初からしていないかもしれない、

 チェックアウトは12時。いつものインターコンチ系列なら「チェックアウト16時」という驚異の行動も可能であるが、今回のグランドホテル・オスロはエクスペディア経由であって、「12時!!」はマコトに厳密である。

 そこで諸君、ワタクシは10時半にお部屋を出て、チェックアウトする前に① オスロ大聖堂へ突進 ② 有名レストランでランチ、その2つをギュッと心に決めた。「記録するに値する日々を送ろうと君に誓」っちゃったわけである。
スープ
(フィッシュスープ。たいへんおいしゅーございました)

 オスロ大聖堂については、まあそれほど「君」に書かなければならないことはない。ヨーロッパのそれなりの規模の街なら、どこでもごく普通にある教会である。

 しかし諸君、ランチに選んだ有名レストランは、今日の1枚目の写真に示した通りの貫禄ある名店だ。「Stortorvets Gjæstgiveri」、この名前も十分すげーけれども、何と言ってもすげーのは、この徹底した黄色だ。

 黄色の権化というか、オスロの印象を全て黄色に変えてしまうと言うか、美しい夕焼けの記憶さえ、ふと「黄色だったかな?」「いや、この世の中はみんな黄色かったかな」、そう錯覚するほど、ほぼカンペキな黄色いお店であった。

 150年もの歴史ある店内は、まさに貫禄十分。ホテルのチェックアウトタイムまでちょうど1時間あったから、まずビアを1つ、続いて「フィッシュスープ」を注文して、今回のオスロ最後のランチとした。

 フィッシュスープには、海鮮もたっぷり入っている。昨日の「ロフォーテンの戦い」に続き、口の中も胃の中も、エビとカニと貝類で一敗になったが、ついでにサーモン君も味わうことができた。

「ノルウェーに10日も滞在して、サーモンを食べなかったの?」と、マジメなヒトビトに難詰されかねない状況だったが、マコトに幸いなことにこの旅の最後の最後、「Stortorvets Gjæstgiveri」の黄色い壁の内側で、申し訳程度のサーモンは胃袋に収めることが出来たのであった。

1E(Cd) Pink Floyd:ATOM HEART MOTHER
2E(Cd) Pat Benetar:GREATEST HITS
3E(Cd) Gloria Estefan:GREATEST HITS
4E(Cd) J.D.Souther:YOU’RE ONLY LONELY
5E(Cd) Janis Joplin:PEARL
total m80 y1997 d21943