Wed 231122 鞍馬の火祭り/間違いさまざま/時代祭は苦手/嵯峨・大念仏狂言 4457回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 231122 鞍馬の火祭り/間違いさまざま/時代祭は苦手/嵯峨・大念仏狂言 4457回

「言いまつがい」とか「聞きまつがい」というのはよくあることで、最近のワタクシは空港の往復に律儀にバスを利用しているのだが、バスを降りる時の車内アナウンスで、「お預けになった荷物を引き取る際には、鳥の死骸にご注意ください」というのにはビックりした。

 

「は? バスの降り場に鳥の死骸がそんなにたくさん転がっているのかい?」であり、「ムクドリかな? そんなに鳥の死骸がワンサとあるんじゃ、街の清掃にあたる人もたいへんだろう」とワタクシ、すっかり「鳥の死骸」と聞きまつがえた。

 

 しかしまあ諸君、いくら何でも「鳥の死骸」なんかじゃありえないので、よく聞き直してみると「とりのしがい」ではなくて「とりまちがい」「取り間違い」なのだった。いやはや、日本語のリスニングはマコトに難しいのである。

(10月22日、鞍馬の火祭りの最終盤、午前1時まで鞍馬に居残った 1)

 

 そうかと思えば、中高年のオバサマたちの言動も、また素晴らしく面白い。この間、京都でおそらく30年ぶりに三十三間堂に入った。普段なら三十三間堂は修学旅行の中高生で朝の山手線なみに混雑しているのだが、入った時刻は12時半、中高生はちょうどお昼ゴハンの時間なのだった。

 

 11時には駐車場に大型バスが8台も9台も停車して、「こりゃいかん」「こりゃ無理だ」「仏像1001体 vs 修学旅行の中高生、果たしてどっちの数が多いか」という有様だったのだが、12時半の三十三間堂はすっかり閑散として、30年ぶりの訪問にはお誂え向きだった。

 

 入ってすぐ、風神雷神像の前に立った今井君の前には、マコトに嬉しそうな中高年オバサマ3人組。風のいっぱい詰まった袋を肩にかついた風神像の前で、何だか盛んに感心していらっしゃる。「ああら、こんなに大きな荷物を運んで、この人たいへんねえ」とおっしゃるのである。

 

「あらバカね、これは荷物なんかじゃないわよ」

「だってすごく大っきな荷物じゃない?」

「荷物じゃなくて、風の袋よ。だってこれ、風神様でしょ」

「あらやだ、荷物だとばっかり思ってた」

「ケラケラケラ、バカねバカね」

そういう会話が明るく弾んでいる。中高生よりずっと若々しい。

(東京駅地下「まめだ」の稲荷寿司を購入してから京都に向かう)

 

 オバサマ3人組は、やがて笑いながら風神像を離れ、次の二十八部衆像に向かった。真っ白いお目目が薄暗闇の中でも鮮やかに目立つ像である。

 

 オバサマの1人が「あら、お目目がすごく白いわねえ、そういえば◯◯さん、このあいだ白内障の手術を受けたんですって」と、オバサマ連には絶好の話題を思いついた。すると諸君、もうオバサマ連の頭の中は、三十三間堂だの二十八部衆だの御本尊の美しいお姿だの、そんなのはどうでもよくなってしまうのだ。

 

「白内障ならまだいいほうよ」

「△△さんなんか、緑内障でたいへんらしいわよ」

「そうですってね、視野が欠けてきて、字を書くのにも苦労するんですって」

「あらそうなの?」

「下の方の視野が欠けて、ペン先が見えないんですって」

「あらたいへんね」

「お互い気をつけなきゃね」

そういう会話が延々と続くのである。

(嵯峨清涼寺を訪問。昨年に続いて大念仏狂言を満喫する 1)

 

 このへんから、彼女たちのペースがぐんぐん早くなった。風神のところで「大きな荷物」に感激、その次のところで「白内障」、あとはずんずん病院通いのつらさやらたいへんさやらの愚痴が続いて、オバサマ連の三十三間堂訪問は、どうやらそれだけで目的を完全達成してしまったらしかった。

 

 かく言う今井君のほうも、オバサマ連の楽しげな会話にすっかり魅了され、ご本尊にも雷神にもちっとも集中できない。だってオバサマ連の会話の方が圧倒的に面白いのだ。「出来れば、会話に加わりたい」「このままオバサマ連の京都案内役になってあげたい」、そう熱望する今井君なのであった。

(嵯峨清涼寺を訪問。昨年に続いて大念仏狂言を満喫する 2)

 

 10月22日にも、ワタクシは京都を訪れた。この時はお仕事も何にもなし、純粋な観光目的だったから。マコトに身軽、マコトに気軽、朝の新幹線で京都には10時に到着、宿泊するブライトンホテルに荷物を預けて、さっそく京都散策に繰り出した。

 

 この日は「時代祭」の日であって、時代祭はいちおう「京都三大祭り」のうちの1つであるから、国内からも外国からも観光客がどっと押し寄せ、午前中からすでに沿道には人垣ができている。このまま午後3時過ぎまで行列の通過を待つというのだから、ご苦労なことである。

(嵯峨清涼寺を訪問。昨年に続いて大念仏狂言を満喫する 3)

 

 ただしワタクシは、この「時代祭」が大の苦手。同志社大や立命館大や京都産業大学や、要するに京都市内の大学生バイトが、坂本龍馬やら橋本左内やら、新撰組やら鞍馬天狗やら、紫式部やら和泉式部やら、そういう扮装をして都大路を練り歩くだけなのである。

 

 音楽もナシ、お歌も踊りもほとんどナシ。ぞろぞろ&ぞろぞろ、アルバイト隊が歩いていく。扮装だけでは誰のつもりなのか誰にも分からないから、バイトくんの前に「藤原道長」とか「足利義満」とか「鴨長明」とか、扮装者が「誰のつもりなのか」を明記した小旗を掲げた別のバイト君が先導する。

 

 行列が始まった直後の時間帯なら、まだバイト君たちもみんな元気だからいいが、開始から2時間も3時間も経過した午後3時ごろ、ゴール地点の平安神宮に接近した頃には、もうみんなヘトヘトである。

 

 道長もヘトヘト、龍馬もヘトヘト、近藤勇も土方歳三も沖田総司もみんなヘトヘト、顎を突き出し、苦しそうに浅い息をつき、「もうバイトはこりごり」「もう歩くのはイヤ」「早く帰りたい」、足をひきずって歩くそういう歴史上の人物たちに、これもまた疲れ切った見物客が形ばかりの弱々しい喝采で迎える。

 

 ワタクシが目撃した時代祭は、コロナ前、確か2018年の秋のことであるが、あまりのことにワタクシ、例え10月22日 → 時代祭当日の京都に滞在しても、時代祭だけは敬して遠ざけている。

(嵯峨清涼寺を訪問。昨年に続いて大念仏狂言を満喫する 4)

 

 この日ワタクシが向かったのは、まず嵯峨の清涼寺。昨年に続き、今年も「大念仏狂言」を堪能しようというのである。ただし、まだコロナの影響でガラガラだった昨年とは違う。開始30分前にようやく到着したワタクシが見たのは、「もう座る席なんか1つもありません」という大盛況ぶりだった。

 

 狂言といっても、嵯峨清涼寺の大念仏狂言は、基本的にパントマイムである。セリフみたいなものは一切ナシ。ジェスチャーによる定型表現だけで、筋書きの全てを理解しなければならない。

 

 鉦が間遠に打ち鳴らされるなかで繰り広げられるパントマイムに、多くの人は10分足らずで強烈な睡魔に襲われる。しかし諸君、この今井君は睡魔との戦いにはすこぶる強い。40年も意地を張って見続けた人形浄瑠璃・文楽でも、能でも歌舞伎でも今まで睡魔に負けたことは一度もない。

 

 ただし、この日は違った。うらうら暖かな秋の夕暮れ近いお日さまの光を浴び、間遠な鉦の音を聴きながら悠長な狂言の進行に身を委ねているうちに、ほんの一瞬、睡魔に負けたのである。

 

 もちろんそれは一瞬のことで、すぐに我が戦闘態勢を立て直したのであるが、まさに油断大敵、その一瞬を秋の蚊に狙われた。蚊に刺されたのは、顔である。顔を蚊に刺されるほどに油断していたとすれば、それこそ睡魔に負けた一瞬の存在を厳しく証拠立てるものだろう。

(京都ブライトンホテルそば、京都府庁に近い「進々堂」で熱いグラタンをいただく。オイシューございました)

 

 さて10月22日、ワタクシの京都訪問の主題は「鞍馬の火祭り」である。鞍馬の火祭りには、昨年もノコノコ出かけていった。

 

 ただし昨年は鞍馬到着が午後5時、鞍馬を離れたのが午後10時。何しろ帰りの電車の問題があって、まさか鞍馬山から京都市内までトボトボ歩いて帰るわけにもいかないから、火祭りを最後の最後まで満喫することは出来なかった。

 

 その時の記録が、以下の2本の記事である。鞍馬の火祭り前半部については、この2本の記事を読むなり写真をポチッとするなりして、まあじっくり楽しんでくれたまえ。

 

Thu 221117 続ウェブリブログ・サービス終了の衝撃/金沢の思ひ出/鞍馬の火祭 4296回

 

Sun 221120 大河ドラマの歴史とともに/鞍馬の火祭り、いよいよクライマックス 4297回

 

(10月22日、鞍馬の火祭りの最終盤、午前1時まで鞍馬に居残った 2)

 

 というわけで、2022年に火祭りの「前半」を堪能、だから2023年は、火祭りの「後半から終盤」を堪能することにして、午後9時半に鞍馬に到着した。するとすぐに、由岐神社からの急な石段を勇壮なオミコシ2台が駆け下りてくる。大量の火の粉が舞って、いきなり祭りのクライマックスの中に飛び込んだ。

 

 このまま午前1時まで、火祭りの鞍馬の町をのし歩く予定なのである。午前1時にMKのクルマが迎えに来る手筈だから、叡山電鉄の終電のことは一切気にしなくて構わない。

 

 終電は午後10時半すぎ。観光客ほとんどは、その時刻には鞍馬駅に殺到して長蛇の列を作り、四苦八苦して京都市内まで降りていく。ワタクシも昨年はその「四苦八苦」の真っただ中にいたのだが、今年はそこからまだ2時間も3時間も鞍馬に腰を据えて、火祭りの〆のクライマックスまで見守ることにした。

 

 ま、そのためにはそれなりのオカネも払った。オカネを払わないと、「午前1時の迎えのクルマ」は来てくれないんだから、致し方ない。どんなことでも、それこそ地獄の沙汰だって、むかしむかしのその昔から「カネ次第」と決まっている。

 

1E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/SYMPHONY No.4

2E(Cd) Hungarian Quartet:BRAHMS/CLARINET QUARTET・PIANO QUINTET

3E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT

4E(Cd) Menuhin:BRAHMS/SEXTET FOR STRINGS No.1 & No.2

5E(Cd) Backhaus(p) Böhm & Vienna:BRAHMS/PIANO CONCERTO No.2

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