Wed 210630 山形のサクランボが不作かも/大阪でかき氷を思いとどまる 4080回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 210630 山形のサクランボが不作かも/大阪でかき氷を思いとどまる 4080回

 諸君、天候不順がたいへんだ。今日も東京は最高気温23℃、明日の予報も、やっぱり最高気温23℃。もう7月になるのに、連日こんなに気温が低いのは、5月の頃から何度もここに書いた通り、間違いなく「やませ」であって、3月&4月にあんなに気温が上がったぶん、何かのしっぺ返しが来ているのかもしれない。

 

 農作物の不作を心配していたら、毎年サクランボを送ってもらっている山形の業者から「今年はお送りできません」というお断りの知らせが届いた。「4月に発生した遅霜の影響で、受粉がうまく進みませんでした」「ギリギリまでお知らせを躊躇っておりましたが、今年は佐藤錦をお届けできません」とのことである。

 

 そう言えば、先週の大阪で宿泊したリッツカールトンホテルでも、サクランボの味や色が滅多やたらに悪かった。宿泊は6月23日と24日。今井君の誕生日が6月26日。ホテル側で気を利かせて「HAPPY BIRTHDAY」のカードとともに佐藤錦を1ダースほどプレゼントしてくれたのだが、「こりゃどうしたんだ?」と首をかしげるほど色ツヤが悪かった。

 

 もちろん諸君、生産者の皆さんが一番気の毒だ。「4月に発生した遅霜の影響」「受粉がうまくできませんでした」と肩を落としてから2ヶ月、それでも何とか生産にはこぎつけた。しかし6月下旬、集まったサクランボの実を眺めながら、「これでは責任を持って出荷できないね」と、仲間たちで悔し涙を流しただろう。

(大阪駅前ヒルトン地下「京都つる家」でアイスクリームを堪能する)

 

 ホテルの人たちだって、せっかく今井君のために「HAPPY BIRTHDAY」のカードを作り、前もって部屋に置いておいてくれたサクランボなのに、一目で「色ツヤが悪い」と判断されるんじゃ、それもまたたまらない。

 

 全てコロナのせいにするわけにはいかないが、そのリッツカールトンだってホテル全体がシーンと静まり返って、2年前の大阪サミットの頃の「滅多なことでは宿泊なんかできません」というパンパンの大繁盛は、まだ片鱗さえ感じられない。

 

 今のところ天候について「不順」を実感するのは関東地方のみ。西日本はすでに連日30℃近くまで上昇しているし、お天気オネーサマやお天気オジサマたちのお話を聞いている範囲では、東北も北海道も西日本並みに気温が上昇する日が多いようだ。

 

 しかし諸君、サクランボが不作ということになれば、ブドウだってモモだってリンゴだって、ラ・フランスだってスイカだってメロンだって、同じように何らかの影響を受けているに違いない。

 

 山形では、賢明な上杉家代々のお殿様が、江戸時代を通じて農民を指導し、低山の斜面に果樹を植えまくった。殿様たちの指導は、その後200年も経過して大きな実を結び、昭和中期には日本に冠たるフルーツ王国になっていた。山形を旅したら、山の斜面をてっぺんに向かって埋め尽くす豊かな果樹の眺めに、是非とも感動してくれたまえ。

 

 そのフルーツが、今年は危機に瀕している。今井君の大好きなスイカも心配だ。イタリアのアドリア海岸を旅して、バーリやアルベロベッロやマテーラの町で連日スイカを半個も貪り続けたのは、もう2年前のこと。今年もスイカを貪って、イタリアに行けない憂さ晴らしをしようと思っていたが、いやはや、今年はまだ一度もスイカを口にしていない。

(懐かしい「通話厳禁」を発見。2つ折になる前の「ケータイ」のイラストもまた懐かしい。大阪ヒルトン「京都つる家」にて)

 

 この天候不順のせいだろうか、ワタクシの食の嗜好や方向性もまた、いつもの年とは違うようである。だって諸君、先週の猛暑の大阪で、ワタクシはかき氷を選択しなかった。

 

 大阪駅前ヒルトン地下の「京都つる家」。いつもの夏なら、夢のように大きなかき氷を注文して、ただそれだけのことで店のオバサマたちと一緒に爆笑する。宇治抹茶、黒蜜きな粉、どちらを注文しても「ニャゴロワか?」と錯覚するほどの巨大な純白のかき氷が運ばれてきて、暑がりの今井君は狂喜乱舞するのである。

 

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 それなのに今年は、いつもの年以上に繁盛中の「つる家」で、ちっともかき氷に食指が動かない。コロナのせいで「自重また自重」という思いがあったし、その1時間後には奈良・橿原神宮での仕事に出かけなければならなかったから「お腹をこわしちゃいかん」という気持ちもあったが、今井君がかき氷を我慢するなんてのは、それ自体が天変地異の1つである。

(6月24日、京都・清水寺を訪問。ただし境内には入らず、清水焼のコーヒーカップをひたすら物色した)

 

 結局、注文したのは今日の写真の1枚目、いかにも上品な「アイスクリーム」。おお、なんてことだ、今井が食べ物のことで自重するだなんて、ホントにホントに天変地異じゃなかろうか。

 

 いつもの年の今井なら、そろそろ真夏の広島で「生牡蠣48個」をやるはずだ。昨年も広島県庁には「食中毒注意報」の大きな垂れ幕があったが、それでも生牡蠣48個、間違いなく平らげたのだ。そのワタクシが、「かき氷は心配だ」「アイスクリームにしておきます」というんじゃ、そりゃサクランボだってびっくりする。

(相変わらず食欲は旺盛だ。新宿「かつくら」でヒレカツ200グラムの定食を満喫。もちろん飲酒は自重する)

 

 小学3年の年、お盆の墓参りの帰りに、母方の親戚一同と「アイスクリームの食べられる店」を探して、秋田市土崎の街を歩き回った記憶がある。親戚一同、みんな「かき氷のほうがいい」という意見だったが、一番年上の伯父が「いや、かき氷はお腹をこわす」「どうしてもアイスクリームの食べられる店を探す」と言って聞かなかった。

 

 その後その伯父は静岡大学の総長にまで出世したのであるが、今もワタクシにとっては「かき氷を食べさせてくれないケチンボ」でしかない。さすが経済学者だっただけのことはある。かき氷でお腹をこわすぐらいなら、アイスクリームの食べられる店を探すふりをして、結局みんなで諦める方向に導いた。

(6月25日、「銀座デリー」でまたまた極極辛カシミールの大盛りを注文。カシミールのおかげでますます健康だ)

 

 で、結局あのお盆の夜は、親戚一同みんなで疲れ果ててオウチに帰ることになった。「オウチ」というのは、要するに母の実家であって、母を含めて兄弟姉妹5人が太平洋戦争の戦中戦後を生き抜いた古家なのだった。

 

 祖母・エスもまだ若々しくて、あの晩は確か井戸水で冷やしたスイカを切ってみんなで食べた。「いちご用のスプーン」「スイカ用のスプーン」などというものがまだどの家庭にも存在した時代で、スプーンの尖った先っちょでスイカのタネを丁寧に掻き出しながら、生ぬるいスイカを黙々と貪った。

 

 かき氷が目の前にありながら、それでも我慢して常識を優先したのは、思えばあの時以来である。公開授業の直前でも、今も200グラムのヒレカツ定食を貪り、カレーソース2倍の極極辛カシミールカレーをスープみたいに飲みほす今井が、夏の大阪でかき氷を我慢したのは、うーん、やっぱり大事件だったのだ。

 

1E(Cd) KrauseBACHDIE LAUTENWERKEPRELUDES&FUGEN 1/2

2E(Cd) HarnoncourtBACHWEIHNACHTSORATORIUM 1/2

3E(Cd) Bobby CaldwellCOME RAIN OR COME SHINE

4E(Cd) The BeatlesABBEY ROAD

7D(DMv) MONTANA

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