Tue 200128 迷いに迷ってクマ鍋写真/天王寺明治屋/クマ鍋の翌日も大阪満喫  3906回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 200128 迷いに迷ってクマ鍋写真/天王寺明治屋/クマ鍋の翌日も大阪満喫  3906回

 新コロナウィルスが蔓延して、武漢から帰国のチャーター便まで飛ぶありさま。こんなに世の中が騒然としているというのに、あんまり暢気な話ばかり書いているわけにはいかないから、この2〜3日は、「更新しようかな」「ヤメようかな」とずいぶん悩んで過ごしていた。

 

 だって諸君、前回からの流れでは、どうしてもクマ肉の写真を掲載しないわけにはいかないし、「思うぞんぶんクマの肉をいただきました」「おいしゅーございました」の2行を書き入れずには済まないのだ。

 

 ネット事情に詳しい人間にも相談し、「書いていいか」「書いてはいけないか」「写真を掲載すべきか」「自重すべきか」を思い悩んで暮らしていた。

 

 しかしやっぱり日本はマコトに暢気な国であって、「関東地方で積雪」「東京都心で1cmの積雪」とか、雪国出身の今井君から見れば、そのぐらいのことで噴き出しそうになるぐらいの大騒ぎを演じている。

   (大阪・玉造「小原庄助」でクマ鍋を味わう。1皿目)

 

 国会論戦なんか、ひたすら「桜を見る会」であって、「ニューオータニ」「久兵衛のお寿司」「領収書はあるんですか?」その他、ほとんど夫婦ゲンカ程度の話で激烈なヤジが飛び、野党理事が委員長に詰め寄って延々と口ゲンカを続けている。

 

 こういうことばかりやっていて、教育問題は3の次&4の次、大学入試改革の話なんか刺身のツマかギバサの小鉢程度にも扱われないのは、マコトに愚かしく情けない事態であるが、イチ予備校講師がそんなことで切歯扼腕していてもはじまらない。

 

 ましてや「クマの肉の写真を掲載すべきか否か」でオヒゲの白髪が増えるほど悩みに悩んでいるのも愚劣なことである。思い切って1月22日のクマ肉を3皿ぶん、この場に披露することに決意を定めた。

   (大阪・玉造「小原庄助」でクマ鍋を味わう。2皿目)

 

 しかしその前に、大阪天王寺の名店「明治屋」について、若干の情報訂正をしておかなければならない。前回の記事で「創業1936年」「何と226事件の年」「この年、浜松一中(現・浜松北高)で大福餅による集団食中毒発生」と書いた。しかしこの「1936年創業」について別の説があり、「いや、正式には1938年だ」とおっしゃるのである。

 

「大福餅が食べたくなった」「最後に大福を食べたのはいつだっただろう」と、この上なく暢気な発言をしてくれた人もいたが、まあとにかく、もし1938年説の方が正確だとすれば、マコトに申し訳なかった。お詫びして訂正する真摯な姿勢においては、本邦の内閣総理大臣に勝るとも劣らない。

(大阪・玉造「小原庄助」でクマ鍋を味わう。3皿目は「脂が多め」をいただく。本来のクマ肉は、この雪のように白い脂身を賞味するものらしい)

 

 で、もしも1938年だとすれば、その世相は2年前の1936年よりはるかに緊張して、とても大福餅事件なんか起こりそうにない。1月、新潟県十日町の映画館では、積雪の重みで屋根が落下し、74名が圧死している。「雪が丸っきりありません」という2020年と比較すれば、温暖化の激烈さも気になるところだ。

 

 その2日後、女優・岡田嘉子がカラフト経由でソ連に亡命する「愛の逃避行」。2月には山川均・大内兵衛・美濃部達吉ら労農派の大学教授およそ30名が検挙される「第2次人民戦線事件」。マルクス研究が命がけだった時代である。

 

 春には「国家総動員法」施行、5月には岡山県で「津山30人殺し」事件。6月には日本軍の進軍阻止のため、中国側が黄河の堤防を爆破、数十万人が溺死する。7月、東京オリンピックの中止を決定。9月、富山県氷見で大火があり、約1500戸が消失。いやはや、時代の騒然ぶりは想像を絶するものがある。

 

 そして秋には、とうとうナチスによるユダヤ人迫害が始まり、日本軍は広東と武漢を占領。同じころ中国国民党の放火により長沙の町の数万人が焼死。いいことなんかちっとも起こらない。あえて言えば、「岩波新書・発刊」ぐらい。それ以来3つの東京オリンピックを股にかけて85年、これだけは間違いなく素晴らしいことである。

      (鍋のシメに中華麺を投入する)

 

 しかしどうも諸君、こうして「明治屋」創業の1938年を概観すると、武漢と東京オリンピックと、2つの固有名詞が気にかかる。まさかと思うが、このまま武漢でのウィルスの跋扈がおさまらなかったり、世界中に危機が拡大したりすれば、夏のスポーツの祭典にも何らかの影響は免れないんじゃないか。

 

 そう思ってビクビクすると、臆病な今井君はますます「クマ肉」どころではなくなってしまうのであるが、いや、どうせ乗りかかった船だ。このまま今日の記事を書き上げてしまいたい。

(翌日、北新地「Steak the First」にて牛の肉をいただく。「牡蠣醤油」が旨い。最初の150グラム)

 

 平日のまだ午後3時半、明治屋の店内はそれなりのオジサマばかり4組。もちろん我々もその「それなりのオジサマ」であって、幅40cmばかりの古いテーブルに向かい合って熱燗を酌みかわせば、まさにこの場にピタリとはまる。

 

 昭和の時代の駿台予備校は、どの校舎でもこの手のテーブルに4人、横並びで座らされた。クーラーのない教室も少なくなくて、猛暑の日には教室の前に氷の柱が2本立てられた。「氷があるから涼しいだろう」という恐るべき発想であるが、そういう環境でもほとんどの生徒はめげずに勉学に励んだのである。

 

 例外的存在だった今井君は、テーブルが一人当たり50cmもない環境に反旗を翻し、せめてクーラーのある空間を探し求めて、池袋や飯田橋や三鷹の名画座に入り浸った。その報いは翌年春にものの見事にやってきて、東京大学への進入を許可してもらえない羽目になった。

 

 あれから幾星霜、すっかり立派なオジサマに成長を遂げたサトイモ閣下は、こうして平日の夕暮れ近く、同じように狭いことこの上ない居酒屋のテーブルで、おでんとウナギの肝とサトイモの煮っころがしで熱燗を4合、しみじみと味わうことになった。

 

「全面喫煙可」というところが玉に瑕であるが、まあそんなに小うるさく、受動喫煙の害を説くにもあたらない。タバコの臭いは確かにイヤだが、昭和をじっくり味わうには、むしろ漂ってくるムラサキの煙も不可欠のものかもしれないじゃないか。

(北新地「Steak the First」で、フィレステーキ200グラムを追加する)

 

 1時間ほどでサッと店を出て、天王寺始発の大阪環状線で玉造に向かう。もっとじっくり明治屋を味わい尽くすのもよかったが、ああいう深い趣のある店は、短時間でスッと出るほうが後味がいい。

 

 玉造、読み方に注意したまえ。ギョクゾウではなくて、タマツクリ。いつも文楽の後にクマ鍋を満喫する店「小原庄助」は、玉造駅と京橋駅の中間にあって、大阪城真田丸のあったあたりの商店街をブラついていけば、徒歩10分ほどの距離である。

 

 すでにこの店は「馴染み」から「すっかり馴染み」の次元になりかけていて、「クマの赤身の好きな、驚くべき大酒飲みの、変に人なつこい東京のカタ」という扱いを受ける。店のオバサマにもオニーサマにも、大いに気に入ってもらっている。

(大阪ヒルトン「京都つる家」のかき氷。「黒蜜&きなこ」で熱い胃袋を冷ます)

 

 半個室に通されると、すでに鍋はセットされていて、透明な出汁も「今すぐ肉を投入してください」と言わんばかりに程よく煮えている。島根に青森に静岡に石川、日本全国の銘酒を2合ずつ5回注文して、クマ肉をじっくり煮ながらラグビー談義に花を咲かせた。

 

 店のオバサマによれば、今回のクマは滋賀県産。琵琶湖の東、岐阜県との県境は日本でも指折りの険しい山が続くから、クマも大いに元気にノシ歩いているんだという。

 

 ただし、今年は秋冬の気温が高すぎて、クマさんたちも冬眠を忘れるほど。すると「冬眠のために脂肪を溜め込もう」「そのためには徹底的にエサを貪らなきゃ」という意志をなくしたらしく、ビックリするぐらい脂肪が少ないんだそうな。

     (23日、夕暮れの四天王寺を訪れる 1)

 

 もともとクマ肉は、本来その真っ白な脂肪を味わうものなのであって、本日の写真の3枚目みたいな、雪のように美しい脂肪を見てお客は歓声をあげる。1枚目2枚目の写真みたいに、赤身が目立つのはあんまり喜ばれないらしい。

 

 その点サトイモ閣下は「赤身大好き」「脂肪は苦手」という男であるから、赤身が多ければ多いほど盛り上がるのであるが、「冬眠を忘れた」「暖かいのに逆に痩せ細っちゃった」というクマさんたちが不憫でもある。温暖化、やっぱり何が何でもストップさせなきゃいけませんな。

 

 シメに中華麺を投入するあたりからは、もう2人とも半分ロレツが回らない。明治屋から合計すれば、2人で一升五合を飲み干した計算、これは小学1年でも分かる足し算である。

     (23日、夕暮れの四天王寺を訪れる 2)

 

 いつもなら、ここから我々は「もう一軒、立ち飲み屋に行こう」「カラオケに行こうじゃないか」の類いの盛り上がりになるのだが、さすがに一升五合、この辺でオヒラキにしたほうがいい。何しろ諸君、この日大阪に集まったのは、「また文楽をみようじゃないか」「錣大夫の襲名披露をみようじゃないか」という企画だったはず。立ち飲みやら熱唱やらは、またこの次にすればいい。

 

 というわけで、午後9時にはもうウェスティンホテルに帰還。すでに春節の中国人団体がロビーを占拠している状況だったが、いやはやあれからすでに1週間、まさかこれほどの事態に発展するとは、さすがの今井にも予想もつかなかった。

     (23日、夕暮れの四天王寺を訪れる 3)

 

 なお、写真でも示した通り、翌23日のサトイモ閣下は、さらに大阪を満喫して回った。ウェスティンホテルもやっぱりすでに「馴染み」「すっかり馴染み」であって、夕方4時まで滞在が可能なのだ。

 

 ランチは、北新地のステーキ屋で牛の肉を350グラム。デザートは、ヒルトン地下の甘味屋で真冬の巨大かき氷をペロリ。夕暮れにはまたまた天王寺を訪問して、四天王寺に参拝。考えてみればワタクシにとって、これが2020年おくればせの初詣だったのである。

 

1E(Cd) CollardFAURÉNOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc. 1/2

2E(Cd) CollardFAURÉNOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc. 2/2

3E(Cd) Cluytens & Société des Concerts du ConservatoireBERLIOZSYMPHONIE FANTASTIQUE

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