Thu 191128 ニャゴのいない11月/大阪・京都・岡山の大盛況/グルメな日々 3888回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 191128 ニャゴのいない11月/大阪・京都・岡山の大盛況/グルメな日々 3888回

 

 まもなく11月が終わろうとしている。ニャゴロワが天国に旅立ってから40日、10月下旬から11月にかけての日々は、「ニャゴがいない毎日」にどう対処するか、まさに手探りの日が続いた。

 

 だって諸君、なでしことニャゴがオウチにやってきて以来の17年間は、とにかくネコのことに夢中になって過ごしたのだ。朝起きれば「ネコたちのゴハンがなくなっていないか」「トイレはキレイかどうか」、その心配から始まり、暇でさえあれば1日中ネコを撫でて過ごしていたのだ。

 

「なでしこ」と呼べば、「なー」と低めのアルトで返事をしながら、小柄ななでしこが静かに走ってきた。「ニャゴ」と呼べば、「ミー、ウニャ、ウニャニャニャ!!」と独特のソプラノで答えつつ、純白のケモノが突進してきた。

 

 何度も書いてきたけれども、やっぱり「もう、いない」「どうしても、いない」の実感が強すぎる。ひと昔前「猫なんか、呼んでもこない」というマンガが大流行したことがあったが、なでしこだって呼べば必ず挨拶にきたし、ニャゴなんか呼ばなくても意地でもまとわりついてきた。

 

 それが諸君、今度こそ、呼んでも呼んでも意地でも来ない。そりゃ遥かかなたの天国からいちいちやってくるわけにも行かないだろうけれども、たまには来たってよさそうなもんじゃないか。トイレどころか点滴の世話さえ出来ない寂寥感は、あまりにも大きいのである。煩わしかった点滴の日々が今は懐かしい。

(大阪駅前ヒルトンプラザで、晩秋のかき氷を楽しむ。純白のニャゴを思い出して、熱い涙が湧き上がった)

 

 11月上旬から中旬にかけては、まさにその寂寥が頂点に達していた頃であって、福岡から大阪に移動の後は、大阪に京都に岡山、さらに淡路島・横浜・広島と公開授業が続いたことが、かえってニャゴの不在を忘れるちょうどいいクッションになった。

 

 11月4日、福岡ダブルヘッダーで「700名超」の素晴らしいスタートを切った後は、ずっと大阪に連泊して、7日大阪泉大津・8日京都・9日岡山の公開授業をこなした。5日と6日はリッツカールトン、7日から9日はウェスティン、大阪を代表する超高級ホテルに5連泊したわけである。

 

 福岡から大阪への移動は、新幹線を利用。ヒコーキもあるけれども、この十数年で福岡–大阪便は大きく縮小、新幹線との競争にほぼパーフェクトに敗戦した形で、今や主力は小さなプロペラ機である。プロペラ機も大好きな私であるが、便のあまりの少なさに、思わずヒヨッて新幹線を選んだ。

       (11月9日、岡山の大盛況)

 

 大阪に移動した日の夜は、セントレジスホテル内の高級イタリアンを満喫。30歳代前半の若いソムリエと言葉を交わすうちに、彼がかつてリヨンで学んでいたことを知った。リヨンは私にとっても思い出深い町であって、新しい「E組」や「D組」の長文読解問題でもリヨンに触れている。

 

「そうですか、リヨンですか」

「ポール・ボキューズの店で、いろんなことがありましてね」

と、話はどんどん盛り上がり、思わず「またリヨンに修業にでも行かれたらどうですか?」と、余計なことを言い出していた。それもこれも、ニャゴの不在のせいである。ま、絶品のイタリアワインを出してくれた若きソムリエさんへの敬意のつもりだったのだ。

(大阪梅田から中之島までウォーキング中、「おやじ焼」という恐ろしい看板を発見する)

 

 翌11月6日はまるまる1日予定がなかったので、午後から国立文楽劇場へ。5月・8月・11月と3ヶ月かけた通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の締めくくりを観てくることにした。

 

 数年前にはその「通し上演」に午前10時から午後9時まで一気に付き合って、気の遠くなるような思いがしたから、今回「3回に分けて上演します」という文楽劇場側の配慮に感謝。一気に上演すれば11時間かかるものを、半年かけて3回に分けて上演するというのは、マコトに常識的な判断である。

 

 とは言うものの諸君、「文楽を観る」「人形浄瑠璃を満喫する」という理由で1年に4回も大阪を訪れている、この今井の酔狂ぶりもまた驚きに値する。

 

 私は英語の講師であって、日本中世の文学や演劇とはほぼ無縁の存在のはずであるが、こうして文楽だの能だの狂言だの、仕事と無関係の演劇に信じがたいほどの時間とオカネを費やしている。いやはや、ホントに困ったオジサマなのである。

(大阪中之島「銀平」の刺身。ランチ鯛めし定食の1品目である)

 

 困ったオジサマは、食の世界でもまた同じ程度に困ったオジサマであって、文楽の夜はアナゴ料理屋で胃袋をアナゴでいっぱいにし、しかし翌日の昼になるとそれでは我慢できなくなって、大阪中之島「銀平」に鯛めしを貪りに出かけた。

 

「銀平」の鯛めしは、確か4年か5年前に大阪難波での公開授業の後、懇親会というか祝勝会というか、「今井先生は鯛めしがお好きだということですね」という加盟校さんのご配慮で、胃袋が破裂寸前になるほど目一杯いただいたことがある。

 

 当時は大阪の天ぷらの名店「与太呂」が気に入っていて、お昼の豪華天ぷら定食のシメに鯛めしをお願いする勢いだった。あれから数年、さすがの今井の胃袋も少し年をとって、「天ぷら15品の後に土鍋いっぱいの鯛めし」という離れ業は不可能になった。

(大阪中之島「銀平」の大根と豚の煮付け。ランチ鯛めし定食の2品目である)

 

 そこで11月7日、夕暮れから大阪・泉ヶ丘で公開授業を控えていた私は、「銀平」の鯛めしコースを選択したのである。しかしさすがに大阪は食の都であって、鯛めしコースを予約しても、滅多なことで鯛めしは出てこない。

 

 まずは、超豪華お造りが登場する。かき氷が3人前は作れそうなデカい氷の上に、一口で食べきることはどう見ても不可能な分厚い刺身が5種&10切れ。その後も、のどぐろの煮物、ぶりと大根の煮物、いやはや旬の煮物&焼き物が次々と供され、いざ本番の鯛めしが登場する頃には、もはや我が胃袋に鯛めしが潜り込むスキマも余裕も残っていないアリサマであった。

 

 こうして諸君、7日の今井はほうほうのていで公開授業に乗り込んだ。もともとは「大阪泉ヶ丘」のはずだったが、どういうわけか「大阪泉大津」に変更。ま、どちらでも「泉」がつくんだから、難しいことは言いっこなしだ。泉大津、出席者約100名。3年ぶりの訪問であった。

(大阪中之島「銀平」の「のどぐろの煮付け」。ランチ鯛めし定食の3品目である)

 

 11月8日、夕暮れから京都駅前「キャンパスプラザ」での公開授業があったが、お昼の今井はまず大阪駅前ヒルトンホテル2階の創作イタリアン店でランチ。お肉が若干ボヨンボヨンの「脂が甘い」系で頭が痛くなりかけたが、まあその辺もまた「うるさく言いっこなし」にしよう。

 

 午後からは、同じヒルトンプラザのメガネ屋「Glass Factory」を訪問。1時間を超える綿密な視力検査の後、ほぼ10年ぶりとなるメガネ購入を決めた。前回は2011年、前年11月の網膜剥離の緊急手術後だったから、いやはや東日本大震災を経て10年、現メガネ君はずいぶん頑張ってくれた。

 

 新メガネ君は、レンズがほぼパーフェクトな円形であって、旅行中だったイタリア・カプリ島の眼鏡屋さんでこのフレームを発見。「ヨーロッパ限定のフレームです」というレアなやつを、大阪のメガネ屋さんが頑張って強引に手に入れてくれた。

 

 2019年は「全講座リニューアル」に取り組んだ1年であったが、E組 → D組 → C組 → B組は、現メガネ君。最後に残ったA組のみが、新メガネ君。楕円形の現メガネから、ほぼ円形の新メガネへ、A組の完成も楽しみに待っていてくれたまえ。

(ニャゴロワそっくりの白いかき氷に、きな粉と黒蜜のシロップをかけると、驚くなかれ、なでしこに早変わりした)

 

 ついでに、ヒルトンホテル内「京都つるや」で巨大かき氷にチャレンジした。「なんで、11月にかき氷?」「なんで、晩秋にかき氷?」という不思議は重々承知の上であって、そりゃ諸君、「なんで、私が東大に?」「なんで、私が京大に?」に並ぶ人生七不思議の一環として放っておいてくれたまえ。

 

 だって諸君、私は視力検査で疲れ果てたのだ。疲れ果てた肉体に、何しろ仕事の前だから、アルコール飲料は厳禁ときている。ならば、熱くなった頭脳と肉体を冷やすには、かき氷。慣れない甘味屋に突進して「黒蜜きな粉!!」と注文、お店の上品なオバサマ店員さんを仰天させることにした。

 

 しかしまず、黒蜜シロップやらきな粉やらをかける前の純白の氷に、私はニャゴロワの美しい姿を思い出して悲しくなった。次にこの氷に黒蜜シロップをかけて見たまえ、あっという間にニャゴはなでしこに早変わり。なでしこは、黒蜜きな粉の優しいネコだったのである。

 

(大阪中之島ダイビル内の中華料理店で、ランチのフカヒレスープを貪る)

 

 京都駅前の公開授業については、すでに何度か写真も掲載した。出席者は、申し込みベースで370名。昨年も同じ時期に「キャンパスプラザ」の大ホールを超満員にして実施したが、今回もまた補助席の出る大盛況になった。

 

 巨大かき氷を完食の直後「寒い!!」と絶叫して店のオバサマ従業員を爆笑させた肉体から、もうもうと湯気のあがるほどの猛烈な汗をかきまくった。最高潮時、会場の気温は優に30℃に達していたものと思われる。 

 

 京都駅前での懇親会もまたギュッと真っ赤に燃え上がって、「次回は是非また祇園でやりましょう」と誓い合った。祇園というか四条大橋の西詰というか、その辺りに私がすっかり馴染みのワインバーがあって、そのお店なら何とか貸切に出来そうなのである。

(岡山の控え室で「ふわりーぬ」その他のお菓子をいただく)

 

 翌9日は、夕方から岡山で公開授業。中之島の中華料理屋でランチ、またまた胃袋パンパンの状況。フカヒレスープ、たいへんおいしゅーございました。やっぱり諸君、「あまーい脂でデロデロ」系は、出来るかぎり避けたい年頃なのだ。

 

 仕事場が岡山なら、私は大阪に宿泊して新幹線で往復する。新大阪から1時間、もう岡山は十分に大阪や神戸の通勤圏になっている。この1年で岡山はもう4回目だが、4回とも同じ最終の新幹線で大阪に帰った。

 

 岡山での公開授業は、出席者150名。岡山には岡山の「御三家」があって、古くからの名門である岡山朝日・岡山操山の2校に、中高一貫になってから急速に学力の伸びた岡山大安寺が食い込んでいる。

 

 どの高校からでも、「東大100名」とか「京大100名」とか、そのぐらいの合格を達成できそうなポテンシャルを感じる。というか、私は若い諸君にそのぐらいの大風呂敷を広げてほしいのだ。

 

 控え目すぎて大風呂敷も広げられないんじゃ、何だか寂しいじゃないか。「打たぬ鐘は鳴らぬ」であって、「広げない大風呂敷には何にも入らない」である。優秀な公立高校の諸君には、どんどん大っきな風呂敷を広げて、首都圏や関西圏の有名進学校の諸君を慌てさせるぐらいになってほしいのだ。

 

1E(Cd) IndjicSCHUMANNFANTAISIESTÜCKE CARNAVAL

2E(Cd) ArgerichSCHUMANNKINDERSZENEN

3E(Cd) Solti & ChicagoMAHLERSYMPHONY No.1

6D(DMv) CREED 

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